【エッセイ】共感できない相手を犯罪者予備軍扱いしてはならない

どうも、倉泉遼です。最近Twitterで少し話題になっている「小児愛者の話」に関連した話題です。まずは、小児愛者って何?という方に向けて一通り用語について説明します。

異性愛者:異性を恋愛や性欲の対象とする人
同性愛者:同性を対象とする人
小児愛者:子供(目安として10歳以下)が対象の人
犯罪者予備軍:一歩間違えば犯罪に走りそうな人

厳密にはもっと細かく分けることもできると思いますが、今回で用いる用語はこの三つだけにします。それでは本題。


先日、Twitterで見かけた主張にこのようなものがありました。「同性愛者は願望が叶っても犯罪ではないが小児愛者は願望が叶うと犯罪なので堂々としてはならない」と。

これ、一見すると正しく感じてしまう人も居るかと思いますが決して納得してはなりません。偏見による差別をしたい人が用いる詭弁の在り方なのです。

同性愛者もよく差別されていますが、その差別の中にこのような主張があります。「同性愛者の人は同性をいつ襲うかわからない」。これもまた強烈な偏見と差別です。言ってることは先程の「願望が叶うと犯罪」と何も違いはありません。

何が詭弁なのかと言いますと、そもそも“犯罪になる”とか“相手の意思を踏みにじる”などの問題がありながらも強引な行為に及ぶ人間は異性愛者にも当然居ます。その中でなぜ、同性愛者や小児愛者だけが強引な行為に及ぶ危険性が高いと言われなければならないのでしょうか。

確かに小児愛者は他の方と違って「平和な形で対象と恋愛することが現実的ではない」かもしれません。しかしそれで小児愛者が犯罪に走りやすいかと言えばそうではなく、折り合いを付けて生きてる方がほとんどであると私は見ています。

そしてその事情は同性愛者も似たようなものであり、もちろん同性愛者の方も各々の形で平和に生きている方がほとんどのはずです。

そういった事情を理解できず、ただ“自分にはない性質”があって共感できないからと犯罪者予備軍のように扱うのは明確な差別であると断言します。


一つ注意点があります。私は「差別意識を持つこと自体は仕方ない」という考えです。わかりやすい例えで言えば、異性愛者に酷い加害を受けた人間が異性愛者に対して強い警戒や差別を持つのは自然なこと。自衛のためでもあり、個性でもあります。社会的には正しくない差別だとしても、その人の中では必要な差別であることはあり得るのです。

その上で強く指摘しておきますが、自分の差別意識をまるで社会的に正しいものであるかのように主張し、無実の人たちを犯罪者予備軍扱いするのは絶対に間違っているのです。自分が自衛として警戒や差別の意識を持つことと、無実の相手を社会的な犯罪者予備軍として扱うことは、同じレベルの行為ではありません。

警戒や差別をするのは仕方ないが、それはあくまで自分の都合と感覚で行っているものであるとの自覚が必要なのです。人それぞれに様々な形の「警戒や差別」があり、その上で、社会の中でお互いにどう生きるかを考えることが大切なことなのです。

これは今回の話題にした異性愛、同性愛、小児愛だけではなく、人種や性別、年齢や趣味などあらゆる分野において言えると思います。

以上、今回はここまで。何か意見があればコメントやマシュマロなどでお送りください。気になったものがあればnoteやTwitterで反応いたします。


追記:マシュマロに返信しました


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