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妄想:田植えロボット!〜原さんの「竹かご」を見て考えた、地方とテクノロジーの親和性。

週に1度の「時々、コラム」。今週は、先日サークル「くらしの学校 オンライン」の方にも記事を上げましたが、その発展版です。

施設オープンに向けて仕入れていた商品のひとつに、「原さんの竹かご」があります。

以前noteでも原さんと竹かごのエピソードを綴り、大きな反響をいただきました。

かいつまんで説明すると、この竹かごは私たちが活動する島根県雲南市にお住まいの原さんが、冬の間、田んぼがない時期に、ひとつずつていねいに作ってくださる作品です。ずいぶん前、道の駅にごろんと無造作に置かれていたのを見かけて、連絡を取り、イベントなどで少しずつ販売させていただいてきました。原さんご夫婦の朗らかなお人柄が大好きで、お会いするのがいつもとても楽しみ(奥さまの熱烈な歓待ぶりやお話が、いつもすごく面白い)なのです。

この記事を書いたのがちょうど2年前。昨年は、原さんが体調を崩され、「今年は作れそうにないわ」と奥さまから連絡をいただき、とても心配していました。以前にも一度、入院していて作れないという年があったので、今度も早く元気になってほしい…と念を送っていたのです。

今年の2月に、奥さまから「今年は元気になって、張り切って作っちょーけんね。良かったら買ってごしなさい」と連絡をいただきました。かごはさておき、原さんが元気になって本当に良かった!

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4月になったら取りに行くね、と約束していたのですが、3月のはじめくらいから「これは施設をオープンできないかもしれないね」という話になり、3月半ばには「延期だね」と結論を出すことになります。

「原さんの竹かご、取りに行かないとね」「大丈夫かな、ちゃんと感染予防されてるかな」と言いながら、ご自宅を訪れたのが4月のはじめ。

原さんはお元気でした!

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いつもなら「あがりなさいあがりなさい」と家にあげられ、コーヒーとお茶とトマトジュース…みたいな、こちらに断る隙さえ与えない接待を受けるのですが、この日は「コロナだけんね、今回はこれでごめんよ〜」と、野菜ジュースと、なぜか「ずれない靴下」をスタッフに1足ずついただきました(愛用しております)。

ご主人は竹かごを手にして、「ようけ作ったから、頑張って売ってよ」とニコニコしながら声をかけてくださったのですが、施設のオープンが延期になった旨をお知らせすると、たちまち顔を曇らせ、「だったらこんなに買ってもらっても売れんじゃないか。それはいけん」と、急に売り渋りを始められ、「いいですけん!買いますけん!」と、半ば無理やりに仕入れさせていただいたところです。

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竹かごは、原さんのやりがい・生きがいです。私たちが仕入れたのはかごであってかごではない。そこに原さんご自身の「誰が使ってくれるか分からんけど、かわいがってほしい」という思いが乗っています。その思いを、施設で直接販売できない今、どうやってお客さまにお届けしようか、と思案しています。

オンラインショップで販売することもできますが、大きなかごなので送料だけでかなりかかってしまいます。大きさもまちまちなので、できれば直接見て選んでいただきたい。お近くの方で「欲しい」という方にお渡しするにしても、どういう手段を取ったらいいか…。もうちょっと時間が必要かもしれません。とにかく、かごは手元に7つあります。

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原さんご夫婦は、雲南市の土地で田んぼや畑をして、秋が過ぎたら山へ入って竹を切り、冬の間はかごを作って…と、夢に見るような田舎暮らしを実践されています。ただし、それが「かっこいい」とか「憧れ」だとかいうことは一切なく、当たり前のこととして不便を受け入れておられるのです。お孫さんの面倒を見たり、奥さまはパッチワークをしたり(遊んでばっかりおるけんね、とおっしゃっていましたが、見事な腕前です)と、穏やかで豊かな暮らしが垣間見えて、うらやましくもあります。

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原さんにしても、私たちが活動する「はたひよどり」の地域の方にしても、昨日と同じ今日、今日と同じ明日、を生きておられて、存在そのものが「あるがまま」です。歳を重ねるごとに、土と同化していくような感じさえします。

アースカラーの服を着られて田んぼにおられたりすると、何というか、そのまま雑誌の表紙にならないこともない…。ある意味最先端な生き方をされていて、しかもご本人たちはそのことに対する自覚がない、というのがとても興味深いです。

一方で、集落は高齢化が進み、持続することそのものが大変になっているという現状もあります。「あるがまま」だけでは続けることができないというのもまた、現実。

田んぼをきれいにしてくれるのも、竹かごが望む人のところへ渡るのも、地域に暮らす地域の皆さんがあってこそ。それこそが地域資源なんだよな~、と、いつも感じます。ひとりひとり、人材が地域資源。

なんとかこの穏やかな地域の色を残しつつ、最新のITやIOTと地域を組み合わせて、風景や手仕事を残せないかなあ。今あるものと、それを活かす最新のものが仲良く融合できたら、地方にこそ未来がある!と強く思っています。

いま、アフターコロナやウィズコロナで「これからは地方の時代!」みたいな気運が(またまた)高まりつつあります。そんな議論を聞きながら、「地方って広島とか金沢とかそういうのを想定してるんじゃないの?」と生ぬるい視線を送っていますが、本当の意味で技術を欲しているのは、島根のような超高齢県・超中山間地域なのではないでしょうか。

実は一番親和性があると思うのです、地方と技術革新。

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例えば、スタッフはいつも事務所の下に広がる耕作放棄地を見ながら、「人型田植えロボットを導入して、ロボットはみんな手ぬぐいを頭に巻いて農作業したらいいと思う」と話しています。ロボットは疲れないからひたすら作業をしてくれるし、10分に1回くらいは腰をとんとん叩いたり「あ~疲れたわ」と肩を揉んだりするプログラムを組んでおけば、見ていても楽しいと思うのですが…。草取りや稲刈りも人間とロボットが一緒にやって、できたお米は「ロボット米」かなんかネーミングしてPRすれば、売れると思うんだけどな~。

鳥取県の隠れた特産品である芝を出荷する作業(すごい重労働なのです)をやってくれるロボットが開発された、とのニュースを以前観ましたが、竹かごの材料の竹を切る作業だって、もっとテクノロジーが進出してもいいんじゃないかな。竹林の問題、田舎では待ったなしですよね。

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こういう「地方とテクノロジーの融合」が進むためには、県や市町村といった自治体が積極的に取り組む姿勢(誘致を含めて)と、地方に暮らす人びと自身がテクノロジーに興味を持ち、おもしろがる気運が高まることじゃないかな、と考えています。「うちの県で最先端の技術を使って、社会的意義のあることをどんどんやってください」的な、先導できるような首長がいる地域が強いだろうし、地域住民が「田んぼにロボット?面白いね」と言って一緒に取り組めるような土壌が必要で、島根はどちらの点においても、一歩も二歩も遅れているような印象です。

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生産者や作り手のやりがい・生きがいと、テクノロジーは、仲良くなれる部分も大いにある、と思います。これは人の手でやらないと意味がない!とか、人は良くて機械はダメ、みたいな議論ではなく、どうやったらこの地域が50年先・100年先に、この美しい風景を残していけるのか、という視点に立って考えてみることも必要なんじゃないかな。大切なのは、島根が美しいままでそこにありつづけること、なのではないでしょうか。

コロナ禍の先に、どんな地域の未来が待ち受けているのか。いや、待ち受けるのではなく、どう作っていけるのか。地方に暮らす一人として、自分ごととして考えていきたいと思います。



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