夢中になれる「対物」、ありますか?
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夢中になれる「対物」、ありますか?

くらしアトリエ(地域と暮らしの発信)

今年の3月に綴った、こちらのコラム。なぜか、じわじわと毎日「スキ」をいただいております。

同じように「真っ白なTシャツが着られなくなった」という方がいらっしゃるのかしら。なぜこのコラムがじわじわと読まれているのかは分からないのですが、この中で、

「50になったからにはこれをしてやろう計画」

のひとつとして、自分の服を自分で縫ってみる、というのを掲げておりました。

その後、なんだかんだと理由をつけて製作を先延ばしにしていたのですが(何人かの方に「あれ出来たんですか」と聞かれたりした)、連休中に時間がたくさんあったので、ようやく重い腰をあげて布をカットし、説明が書かれている冊子を見ながらミシンを動かしました。

いやあ、洋服を作るのは娘たちが3~4歳のころ以来。子ども服に比べて大人の洋服は、端の処理をするだけでひと苦労です。

それでも順調に工程は進み、前と後ろを縫い合わせ、さて、ズボンの形になってきたぞ!と全体を見てみたら…

あれ、なんか短いな…。

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裾の部分はカフスがつくのですが、それにしても、予定していた裾丈よりもかなり短い…足首がちょっとだけ見えるくらいの丈で採寸したつもりだったのに、なんかひざ下すぐの半端丈パンツみたいになってしまった…。

と、気づいたところで急激にやる気が失せ(笑)、パンツはこの、中途半端な状態で連休中ずっと放置されていました…ああ、もったいない。

短いなりに完成させるべきか、どうにかして丈を伸ばすべきか(そんなスキルは私にはありませんが)、悩み過ぎて、結局リビングの隅っこに追いやられている「パンツ…のようなもの」を見ると、「50になっても、私は私だな…」としみじみ、虚しさを覚えずにはいられません。

(あ、でも余った布でバッグは作ったんですよ!これは上手にできました。バッグを作ったことですっかり満足してしまった私です。)

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それはそうと、ミシンをかけている間にふと気づいたのですが、この「無心でミシンに向かう」という作業が、修行のように心を清らかにしてくれるのです。機械に向かってひたすらに布地を動かし、まっすぐな線を作る、という作業。作業中には余計なことは考えず、ただひたすらミシンの線に向き合う。これが、写経とか座禅とか、(やったことないけど)修行みたいだなあ、と感じたのでした。

娘たちが幼い頃に子ども服を作ることにハマり、何着も何着も、何かに 取り憑かれたように1日中ミシンに向かっていたときも、この「無心になれる」作業がストレス解消になっていたのかもしれません。

そこで思い出したのが、数日前から読み進めていた落合陽一さんの著書「落合陽一34歳、”老い”と向き合う」という本に出てくる、養老孟司さんとの対談でした。

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対談の中で、超高齢化社会の現代で人はどう生きるべきか、といった議論が展開されるのですが、

「人生100年時代」といわれている中で、暇な時間が増えていくにもかかわらず、その時間を潰せなくなる人も多いと思うんですよ。そうした人に対して、何かアドバイスはありますか?」

という落合さんの質問に対し、養老さんが

僕は「対人」と「対物」を分けて考えているのですが、若いうちになにか「対物」で好きなことを見つけておくといいと思います。

と答えておられたのです。養老さんの場合、それは「昆虫」だそう。

人はいろいろと反応があってめんどくさいけど、対物であればそれを気にしなくてよい、という理論に「なるほど~」と思ったのですが、ミシンを無心でかける作業も、いわば「対物」なんじゃないか、と思ったのでした。

夢中になれるものを見つける、というのは生きるうえでとても大事なことですが、それに人間関係が絡まると、大好きなのに他人とうまくいかず諦めなければいけなくなったり、逆に、やりたくないのに付き合いでしなくてはいけなくなったり、といったことが往々にしてあるのではないでしょうか。

もちろん、良い人間関係の中で夢中になれるのなら、それが最高なのですが、人生何があるか分からない。人と話したり、集まったりすることがしんどくなってしまうことも、あると思うのです。

そんなとき、「人」ではなく「物」を対象に無心になれるとしたら、その時間は自分にとって癒やしになるだろうし、気分転換にもなる。「物」とじっくり向き合い続けていると、また少しずつ「人」に触れたくなってくるかもしれません。


自分にとって、「対物」で夢中になれるものって何だろう…と考えてみました。

ミシンは、確かにやってるときは無心になれますが、出来上がったものをどうしたら良いか困ってしまいそう。子どもが小さければ洋服を着てもらえるけど、大人用の洋服は私にはハードルが高そうだし(前述のパンツで実感…)、バッグや小物だって自分で使うには限界がある。じゃあ誰かにあげたらいいのか、と考え始めると、その時点で「対物」から「対人」になってしまいます。

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料理やお菓子作りも好きですが、これも作ったら消費しないといけない。自分が太るか、人にあげるか…いずれにしても、「対物」という範囲からはちょっと離れてしまいそうです。

夢中で取り組んでも困らないもの、増えたり溜まったりしても嬉しいもの…と考えると、私にとってそれは「庭」「畑」なのかなあ、というのが結論でした。

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庭仕事は無心になれて、草を抜けば抜くほど庭はきれいになります。世話をして、花がきれいに咲いたり、畑の作物がたくさん収穫できたりしても、困ることはありません(むしろ嬉しい)。花も野菜も、煩わしい人間関係はありませんから、まどろっこしいことは考えずに作業ができます。

思えば、コロナ禍が始まった2020年春も、ずいぶんと庭や畑に助けられました。ステイホームと言われて「これからは食べものも自給自足だ!」と、勢いで始めた畑でしたが、何とか3年目を迎え、今年も楽しく(時にしょんぼりしながら)土に向き合っています。気持ちのもやもやや、しんどさも、草を抜いたり花を剪定したりしていると不思議と落ち着くんだよなあ…。

こだわりもないし、すごく適当だけど、やっぱり「庭」と「畑」がある、というのは、自分にとってすごく良いことなんだなあ、と、今回あらためて立ち止まって考えたときに感じることができました。

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他にも、例えば読書だったり、楽器を演奏することだったり、お金を貯めることだったり、資格を取ることだったり。「対物」で夢中になれること、いろいろありそうです。対人関係に疲れたとき、ちょっとそこに背中を向けて、「物」に没入してみること、長い人生のなかでは確かに、必要なんじゃないかな。

皆さんもあらためて、自分にとっての「対物」を考えてみてはいかがでしょうか。

ながーい人生を生きるうえでのライフハックとして、ひとつは夢中になれる「対物」を持っておくというのを、考えてみると良いかもしれません。





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