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暮らしはまだまだ、良くできる。〜より良い住まいを求めて

今日の「時々、コラム。」は、暮らしをもう一度見直す、ということについて。

少し前から読み始めた、一田憲子さんの『人生後半、上手にくだる』という本がとても良くて、読み終えるのが惜しくてちびちびと日々、ページをめくっています。

一田憲子さんの著書は「山の図書室」にもありますが、今まで何となく敬遠してきました。すっきりとした生活をされていそうな一田さんの文章を読むと、自分の暮らしの怠慢な部分など、痛いところを突かれる気がしていたからです。

でも、今回ふと気が向いて手にとった本の中には、自分とまるっきり同じ思考で綴られた文章がたくさんありました。

「若者に学ぶ姿勢」、「人生後半の時間割」、「頑固な年寄りにならないために」…どれも、ひしひしと日々感じていることばかり。また、年老いた両親とのかかわり方や、食への意識の変化など、自分自身でも考えがまとまらず悶々としている事象についても文章があり、他人が思いを綴ったものを読むことで自分自身の整理にもなって、大いに刺激をもらっています。

何が自分にそんなに刺さるんだろう、と考えてみると、「人生を下る」ということを前向きにとらえ、「どうせならもっと、より良い暮らしを」という意欲にあふれているところに惹かれたのだと思います。

暮らしはまだまだ、良くできる。
人生の折り返し地点を過ぎても、暮らしに貪欲でいてもいいんだ!と、背中を押してもらったような気持ちになったのです。


そう考えると、毎日が俄然楽しくなりました。

ちょうど同じタイミングで、古澤千恵さんの『イタリア人が教えてくれた美しい暮らし方』という本を読みました。イタリア人たちが大切にしている暮らしの知恵がまとめられた1冊です。

こちらは、さらに具体的な暮らしの楽しみ方がたくさん載っていて、「は~素敵!」「真似したい!」というものが散りばめられていました。読むたびに「暮らしをもう一度見直して、もっと楽しみたい!」というマインドに私をいざなってくれています。

ガラス瓶に詰められた季節の保存食。
パリッとアイロンの効いたリネン類。
ピカピカに磨き上げられたキッチンのシンク。

どれも、手が届きそうだけど、「ちょっと手間がかかるな…」と自分に甘えておざなりにしていた、暮らしの彩りの部分をくすぐってくれる気がします。
特に印象に残ったのは、「美しさ=調和している」というイタリア人の考え方。整っていなくても揃っていなくても、磨かれた審美眼で選び抜かれたものに囲まれた生活は美しい、という考えが、自分が思う暮らしのあり方を言語化してくれている気がして、すごく腑に落ちたのでした。
今まで選んできたものに自信を持って、これからの暮らしを楽しみたい!という気持ちがさらに強くなった気がします。


今年の2月にこんなコラムを書きました。

「収納マップ」というのを作って、自分の家のどこに何があるのかを把握し、可視化したことで見えてきたもの…について綴っています。

このマップを作る際に収納の場所や「もの」の量を見直し、すっきりスマートな暮らし方になった!と思っていたのですが、実際に生活をしてみると、やはり新たな課題や気づきが出てきました。
でも、「使いづらいな」「これほんとに要るのかな」と思いながらも、日々に流されてそのままにしていた部分が多くあったのです。

それが、今回2冊の本を読んだことでアドレナリンがふつふつと…。

いま私は猛烈に整理整頓がしたい!自分の家にあるものをもう一度見直して、「本当に必要なのか」を問いながら、あるべき場所におさめたい!と、意欲にあふれています。収納、ひいては暮らし方の再構築です。

例えば…少し先にリフォームを計画しているのですが、間取り図など家を建てたときの膨大な書類が、めちゃくちゃ重たいバインダーにファイリングしてあります。

このバインダーが、物置の棚の一番上の段に収納されているのですが、まあ取り出しにくい!打ち合わせの際など、書類を確認したいなと思った時には、まず椅子を物置まで持ってきて、その椅子に乗って、棚の一番上の段にある重たいバインダーを、腕をぷるぷるさせながら取らないといけないのです。

そのくせ、同じ棚の一番ものが取り出しやすい特等席には、何十年も前のCD数十枚がずらり。これ、多分もう聴かないな…と思いつつ、最初にしまった場所にそのまま置き続けて、やがて「風景」となってしまっていたのでした。

「何となく」「惰性で」その場所にあるものに対して、「本当にそこに在るべきなのか」と問い直し、正しい場所へしまうこと。これが、私が人生の「下り坂」を楽しみながら歩んでいくための第一歩な気がしています。

もちろん、ちょっとラフに収納したり、ごちゃごちゃとしているインテリアも好きなので、そこは50年生きてきた自分自身の審美眼…というか、ものさしを使って、取り入れるべきところは取り入れ、「これは私には無理だな」というものばバッサリと捨てて、気持ち良い家で新しい年を迎えられるように考えを巡らせてみたい。

もっともっと、暮らしを良くしたい。そう考えるだけで、2022年の残り20日がとてもわくわくしたものになりました。

また、歳を重ねるにつれて感じていることがもうひとつ。
心もそうですが、身体もちょっとしたことでつまづきやすくなりました。
わずかな段差への対応力とか、遠近感とかが、確実に鈍っているのを感じます。

高いところにあるものが取りにくいとか、1日に何度も同じところでちょっと屈まないといけないとか、洗濯やゴミ出しの際の動線とか、そういったちょっとしたストレスをなくすだけでも、暮らしがちょっと上向きになる、というのを先日テレビで観ました。

ちょうど、「シマシマしまね」にいらしたお客さまが同じ番組をご覧になっていて、「あそこまでは無理だけど、部屋がきれいになったら気持ちも前向きになって体調も良くなるって言ってましたよね~!」と盛り上がりました。

なるほど~、と、またアドレナリンがふつふつ。
持ち物自体もコンパクトにしつつ、基本的な動作をスムーズに、無理なく行えるような住まいづくりを、あらためて考えてみたいなとも思っています。

これは、家を建てた時、30代の自分自身では絶対に想像できなかったこと。

収納は多い方がいいと信じていたし、ちょっと不便でもかわいいほうがいい、それがこだわり!と思っていました。

でも、本当に健やかに暮らせる住まいは、ストレスがなく動けることなんですよね。
自分の身体やライフスタイルに合わせて、「住まい」は変わっていくべきものなのでしょう。

あるべきところに手すりやドアノブがあること、それこそ目をつぶってでも歩けるようなスムーズさがあることが大切なんだな、としみじみ感じる日々。

今からでも少しずつ、歳を重ねた自分にしか見えない景色を貪欲に楽しみながら、住まいについても再構築していきたいな、と思っています。


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