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ありのままの自分を受け入れ、独自の感性を磨き、「学び」に繋げる。フィンランドの教育環境。
フィンランドの教育では、ありのままの自分でいられる自己肯定感を育て、自分自身の感性を持たせること、それに加えて「考える力」を身に着けることに力を入れていると感じます。大学ではさらに分野も考え方も全く違う人達と一緒に協力してプロジェクトをする為のマインドセットや自分の役割について、実践を通して学ぶことに力を入れているように感じます。
フィンランドの語学学校、成人教育施設(Aikuisen yliopisto)、オープンユニバーシティ、アアルト大学で、実際にわたしが教育のサービスを受けた体験から、感じたこと、良いなと思ったことをシェアしたいと思います。
0)わたしの受けた教育
フィンランドに移住してからの最初の2年程、オープンユニバーシティやAikuisenopisto(成人教育施設:言語、スポーツ、ダンス、音楽、手工芸品、芸術とライフスキルに関するコースを提供している)に通い、英語の勉強をしました。
オープンユニバーシティはヘルシンキ大学で。一般人枠のある授業があり、それに応募して、ヘルシンキ大学の学生に混じって英語の授業をいくつか受けました。
Aikuisenopisto(成人教育施設)でも、フィンランド人の30代~70代に混ざって英語の授業をいくつか受けました。
また、移民&失業者向けのフィンランド語の語学学校にも通いました。私のクラスには、ロシア、アフリカ、中東の人が多く、彼らと一緒にフィンランド語や文化を学びました。
Aalto大学では建築・都市計画・ランドスケープ・サスティナブルデザイン&ビジネスについて学びました。大学に在籍しながら、途中でスタートアップで仕事をしたり、現在のように育児休暇を取ることができます。
大学教育にせよ、成人向けの教育にせよ、成人した移民向けの教育にせよ、一貫しているな、ということを下に書きます。
1)先生は上の人ではない。役割が違うだけ。
「学び」の体験を作っているのは先生ではない。生徒と先生、皆が一緒になって作るもの。
先生は、上から下に知識を押し付けるように教えるのではなく、「学び」をガイドしてくれる人。
そして、「学び」を作るのは先生だけではなく、生徒の積極的な姿勢があってこそ良い「学び」を作れる。
積極的に質問したり、議論を始める生徒がいるクラスは面白く、学びが深くなるので、先生たちは生徒たちに安心して発言できるよう、環境を整えることに気を使っているように感じます。
2)「○○先生」って言わない。ファーストネームで呼ぶ。
先生と私たちは同じレベルにいる。
先生をファーストネームで呼びます。大学でもです。考えてみれば、投資家の方もファーストネームで呼んでました。
ファーストネームで呼ぶことは、生徒と先生の間にフランクな雰囲気を作るのに役に立っているのではないか、と思います。
3)I don't know「知りません、分かりません」堂々と言う
もっと深く、分かりやすく説明してもらうための、意思表示。
日本の学生時代、皆の前で「分かりません」というのは、ちょっと恥ずかしいことでした。
しかし、フィンランド人は「分からない」と堂々と言います。
そして、先生方は「分からない」というコメントに対して非常にウェルカムです。どうして分からないか、何に引っかかったか、喜んで深堀してくれます。
フィンランド人の友達に、どうしてそんなに堂々と「I don't know」と言えるのか聞くと、「私以外にも、同じことについて理解できなかったり、疑問に思っている人がきっといるはず。だから私が「分からない」と言うことで、周りの人にも役に立つ」と答えが返ってきました。
それからわたしも「分からない」と正直に堂々と言う練習をして、得たものがたくさんあるように思います。
4)「正解」探しではない。「なぜ」を深めることを軸に置く。
どうしてあなたはそう考えるのか、なぜ、なぜ、なぜ
正解を求められる質問はあまりされたことがないと感じています。むしろ、「○○について、あなたはどう思いますか」「○○について、なぜそう感じましたか」という質問が多いように思います。
見当違いだなって思う発言だってあって良い。なぜなら、その発言の後ろに面白い発想があるかもしれないから。そして、聞き手は「面白いね」と肯定的に受け止めます。
考え方をシェアしあうのはとても面白い。色々な考え方があるんだな、と視界が広がる感覚です。
相反する考え方があると、尚更面白い。そしてケンカになることはありません。逆に「なぜ」が深まって、新しい視点が生まれたり、とても学びの深まります。
5)信頼関係があるから、批判して議論する。
わたしたちは一緒に「学び」をつくっている仲間である、とお互いを信頼している。
フィンランドにいる人達は、クリティカルシンキング(物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること。批判的思考法。)を鍛えられていると感じます。
よって、ディスカッションの中で何かに批判するのは普通。そして、批判するのは個人に対してではなく、あくまで発言しているコトに対してである、と皆が認識しているように思います。
発言した個人が不愉快な思いをしないように、先生を初め、生徒も相手に失礼のないよう気を使いつつも、ストレートに批判できるカルチャーがある。わたしはこれがとても素敵だと思います。
(しかし慣れていないと、ストレートな物言いに戸惑う外国人も少なくない気もします。)
6)テストは点数をつけない。
自分の理解力を見るためのツールに過ぎない。他の誰かと比較するのはナンセンス。
フィンランドはテストがないことで有名ですが、実際にテストはあります。ただ点数をつけなかったり、つけたとしても、それほど重要視していないと感じます。
なぜなら、テストは自分が何について理解が出来てないか、自分の立ち位置を知るためのツールに過ぎないから。テストは重要ではない、というメッセージは、フィンランド語の語学学校でも大学教育でも、伝えられました。
大事なのは、自分の立ち位置を知り、原因を知り、改善し、前進すること。教育者はそう言って、いつも励ましてくれます。理解力が弱い駄目なやつだ、と扱われることはありません。
7)人それぞれ知識や理解のレベルが違うことは、当たり前。皆が受け止め、助け合う。
知識や理解のレベルが違うのは、個人の勉強量というよりも、育った環境や文化背景も大きく関わっていることを、皆が認識している。
Aalto大学の都市計画の授業で、先生に言われたこと。「みんなそれぞれ得意なこと、知っていることがある。そして自分が知っていること、大事だと思っていることが、隣に座っている人も同じように知っていて、考えているとは限らない。だから、皆でシェアし、理解を深めましょう。」
同じようなメッセージを、他の先生方からも貰いました。
このような環境にいて、「わたしは日本で○○な環境で育ってきたので、フィンランドの○○は理解できません」という発言は、そもそも聞き手に新たな視点を与える情報になるいうことも分かりました。なぜなら、みんな育った環境が違うから。
例えば、私の日本の風景から来る「水のイメージ」や「森林のイメージ」をランドスケープの授業でシェアすると、とても面白がられました。それが他の人にとって、デザインのインスピレーションになったりします。
「わたしなんて、あまり知らないし。。。」と消極的にならないで、自分の既に知っていること、価値観や考え方シェアするのは良いことなんだと考えられるようになりました。
8)何歳になっても新しいことに挑戦し勉強できる
40代だろうが、退職前だろうが、いつでも学び直しに行ける!ウェルカム!
ある英語の授業で隣に座っていたフィンランド人男性は、マッサージ師として働いており、3人の子供のお父さんでした。一番下の子が小学生になり少し手を離れたのを機に、今までずっと勉強したかった分野を学びに大学へ行く為、英語を勉強している、とのことでした。
3人子供がいるお父さんが、全く違う分野を勉強しにこれから大学へいく。
授業の自己紹介で彼が想いをシェアした時、クラスに温かい拍手と「頑張ってね」との声が。
大学でも、30代、40代、50代の生徒がいることは珍しくなく、しかも彼らはとても優秀で熱意があります。働いたり育児をした経験があるからこそ持っている視点があり、それが若い生徒にとってはとても刺激的だと思います。
いつでも新しいことを学ばせてくれる、チャレンジさせてくれる環境と文化が本当に素敵だと思うし、感謝しています。
9)フィンランドにいる大人達に、今求められている能力について思うこと
全く違う分野・考え方の人と「一緒になって」1つのものをデザインする能力が、これからは大切。
これは大学教育でよく聞くこと。Participatory Design, Collective thinking, multidisciplinary approach等。
これらはある問題意識から来ていると思います。
それは「自分の専門分野を担当し、次の担当に受け渡す」という従来のやり方では、より複雑に絡み合った物事を解決することが出来ないということです。
そうは言っても、Aalto大学のチームワークでも、役割分担して、ばらばらのパズルピースを組み合わせたような、一つの大きな絵を皆で描くことのできないグループ活動は実際にあります。
しかし、これに対する教育者の問題意識を、教育の色々な工夫に感じています。
例えば、わたしの修士プログラムの一番初めに受ける必須授業の中に、「Creative Teamwork」というクラスがあります。みんなが違う視点・考えを持っており、それは尊いことであり、実際にクリエイティビティに役に立つことや、チームで発想の膨らませ、アイディアを作る方法等、セオリーを学び、実際のミニワークショップを通して体験します。
この経験をさせる狙いは、他の授業やプロジェクトで、生徒達が円滑にチームワークを出来るようにすることです。
アアルト大学での講義やプロジェクトは、エンジニア、ビジネス、アートの学生達が希望すればなんでも受けることができます。
実際に都市計画系のプロジェクトでは、建築、エンジニア、アート、ビジネスの学生と一緒にデザイン・計画をしました。ステークホルダーが多い分野なので、こうしてチームに多様性を出すことで、多角的に分析し、より良いデザインに繋げる体験ができます。
まとめ
わたしがフィンランドの教育から感じることをまとめると、
1)ありのままの自分でいることに対して、肯定感、安心感をくれる。自分の感性を大事にし、もっと磨こうと思わせてくれる。
2)互いを信頼できる環境。だから、自分の意見も正直に伝えることができ、相手の意見にも耳を傾けることができる。結果、多角的に物事を見れる環境ができる。
3)自分の発想と相手の発想を重ね合わせていくように、ソリューションをデザインする場・機会が多くある。専門の垣根を超えるトレーニングを積極的に行っている。
このまとめが、お役に立てば幸いです。
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