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フミコさん2~フミコさんの青春探訪~

フミコさんは、岡アートギャラリーのオーナーです。

岡アートギャラリー(岡山市中区浜)

岡アートギャラリーは、岡山城と後楽園を望む、旭川東岸の文化ゾーン、「さくらみち」にあります。建物は、江戸時代の土蔵をモチーフにした時代情緒溢れる外観です。一等地なのに4台分の駐車場を完備しています。毎年四月には堤防の桜が満開になり、「さくらみち」は、ソメイヨシノの白い城壁になります。

オーナーのフミコさんは年間を通じて、工芸家・芸術家の展示会を企画・運営されています。とりわけ、まだ経済基盤が確立していない若い作家の支援に力を注がれています。

幅広い分野の作家を、有名・無名に関係なく、分け隔てなく平等に支援されているお姿に、かねてより魅力を覚えていたので、思い切ってご本人に、ここに至る半生の道のりを訊いてみました。

フミコさんは、岡山藩35万石の城下町、岡山市の出身です。武士が闊歩した町なので観念的な精神性が遺され、質実剛健、控え目で質素な街並みです。そんな町で生まれ育ったフミコさんには、現代の「侍」といった、一本の芯の通った人格を感じます。しかも、その芯には、しなやかさがあります。

フミコさんは、岡山市のS陽女子高校を卒業後、京都のH女学院短大の英文科で学ばれ、人格が形成される時期に一貫した女子教育を受けておられます。今は、少子化によって経営上の理由から、男女共学に移行する学校が増えていますが、女子教育の必要性は変わっていません。男女共学であると、女性はどうしても補助的な役割を選んでしまうからです。ですから、女性が自律して屹立するためには、人格が形成される多感な時期に女子教育の場が必要です。国連難民高等弁務官だった故・緒方貞子さんは、聖心女子学院から聖心女子大まで一貫した女子教育をうけておられます。筆者は、緒方さんにもともとの素質があったところに、女子教育の場でそれが磨かれたと信じます。

フミコさんは女学院卒業後、大阪に本社のある世界的な超大手企業、M下電器産業(現・Pソニック)に就職します。

夕暮れのPソニック本社(大阪府門真市)
中央は、創業者 松下幸之助の銅像


本社の受付担当として勤務され、経営の神様、故・松下幸之助相談役が本社に出勤された際は、秘書室のスタッフと共に身近でお世話をし、幸之助さんと直接会話を交わしたこともあったそうです。プライベートでは、滋賀県にあった会社の福利厚生施設を存分に利用し、夏は琵琶湖でヨットのクルージング、冬はびわこバレーでスキーを満喫したそうです。そんな充実したOLライフを送っておられたのですが、故郷の岡山に帰りたくなって、3年で退職されます。このときは、自身がいかに組織に護られていたか、大手企業を辞めるのがどういうことを意味するのかに、気付かなかったと回顧されています。

岡山では、大手広告代理店の岡山支社に再就職されました。職場は小所帯なので、企画、営業から雑務まですべて一人でこなして、自律して仕事を任されていたそうです。実質的に社内起業家でした。大きな仕事では、秋元康のトークショーを企画・実行したことが記憶に残っているそうです。
仕事は充実していましたが、8年ほど勤めたところで、いわゆるバブル崩壊の余波を受け、人員整理に遭ってしまいます。

フミコさんは、ほとんど選択の余地がないまま、画材・額縁の販売を手がける中国画材(現・アムス)に就職します。特別に美術に興味があったわけではなく、一時避難的に身を寄せたのでしたが、長く勤めることになりました。

アムス(旧・中国画材)岡山店(岡山市北区丸の内)

中国画材では「一日教室」の担当を任されました。油絵や日本画、水彩画などの講師を呼んで一日かけて学ぶものです。ワンポイントで手軽に参加でき、講師が一流なので人気がありました。作家さんと生徒のお客さんとを結びつける、本当に楽しいやり甲斐のある仕事だったとのことです。企画から、講師の招聘、一般への広報、会場運営と、広告代理店でしてきた仕事の経験がとても役にたったそうです。ここでも、実質的な社内起業を達成されます。

時は流れました。ある顧客から後継者がいなくて廃業するギャラリーがあるから、購入しないかとの打診ありました。現・岡アートギャラリーの物件です。オーナーは、ギャラリーを続けてくれる人に物件を売りたいとの意向で、条件を満たす人を探しているとのことでした。すなわち、アート業界に人脈があり、なおかつ、ギャラリーを運営する手腕がある人で、条件にぴったりの人として、フミコさんに白羽の矢が立ったのでした。

フミコさんにとってギャラリー経営は未知の領域でしたが、作家と顧客とをつなぐ仕事をさらに深化させることができると信じ、一大決心をして人生最大の買い物をしたのだそうです。2015年のことでした。

・・時は満ちていました。時代の波風に翻弄されながらも、自律して生きる術を身につけていたフミコさんは、「フミコさん」で紹介した時空へと羽ばたきます。

葦のように、風雨にさらされても折れないで、しなやかに自律して生きる人、

そ・れ・が、フミコさん。


シリーズ前作は、こちら

追伸
ちなみに、緒方貞子さんの曾祖父は、岡山県出身の内閣総理大臣、犬養毅です。
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