小説「ランチ酒」を読んだ話
先日本屋さんに行ったとき、1冊の本を見つけた。
タイトルと、あまりにも美味しそうなカバーイラストが印象的だった。
その名も、「ランチ酒」(原田ひ香さん 作)である。
このタイトルとカバーイラストは、なんだかお腹がすいてくるビジュアルである。私は食べ物の描写が出てくる本が結構好きだし、ランチ酒からどんな話が編み出されるのかが気になり、購入するに至った。
あらすじをざっくりと紹介させていただく。
夜の「見守り屋」の仕事をしているバツイチのアラサー女子・祥子が主人公。「見守り屋」の営業時間は夜から朝までで、様々な事情を抱えるお客さまからの依頼で時には人、時にはペット、とにかく頼まれたものを寝ずの番で守るのである。
そんな彼女は、夜勤明けでの昼ご飯として「ランチ酒」を楽しみとしている。仕事先の町で美味しいランチとお酒を飲んで帰って、少しばかりの贅沢を楽しむのである。そして飲みながら、食べながら、その日の依頼者や、見守った人々との出来事を振り返っていくという、祥子の日常に寄り添っていくストーリーとなっている。
また、祥子自身のことについても全体を通して触れられている。彼女の元夫・義徳や元夫のもとで暮らす娘・明里との関わりや、雇い主である同級生・亀山や友人・幸江との関わり。彼女が見守る人と、彼女を見守る人のことも描かれている。
今回は、この小説の魅力について、4点に分けて書き残していけたらと思う。
※一部ネタバレ有りなので未読の方はご注意を。
祥子の「心の声」
まず第一に、祥子の「心の声」がすごく緻密に書かれていて、ものすごくリアル。素朴な描写なんだけど、街を歩く夜勤明けのアラサー女性のリアルがそこにはある。ほぼひとりでランチ酒をかますお話なので、基本的にお店では店員さんとの会話、たまに連れがいれば連れとの会話があるが、基本的には祥子の心の声であふれている。
まちや過ぎゆく人々を観察して、自分の「ランチ酒」基準に合ったお店を探していく、ああでもない、こうでもない心の声を丁寧に書いているところに、祥子が生活の中で少しでも充実したランチ酒にありつきたいという思いが感じられる。
メニューを迷っているときや、食べ物を口に入れたとき、料理をどうやって食べようか迷っているとき……祥子はしっかりと頭で考え、食事を心で感じるタイプだろう。
そして、美味しいものが出てきたとき、
―はわわわわ。
と心の声が出てしまったりとか、もう共感の嵐である。私もひとりで美味しそうなものを見たときは心で言いまくってる。
彼女がその食事を食べているさまを、自然にすぐに想像することができる。何なら自分も食べている気分になる。食べてないけど私も東京のご飯を食べた気になっている。ちなみに私も夜勤経験者なので、なおさら夜勤明けのこの食事は染みるだろうな…と感情移入ならぬ、食事移入(?)が止まらない。
食事の描写
そして、原田さんの繊細な食事の「描写」も相乗効果が半端ない。第一話ならぬ、第一酒「武蔵小山 肉丼」における肉丼の表現を一部紹介させていただきたい。
こんなこと書かれたら、この先読むしかないだろう。
この表現力である。この表現でなんと第十六酒まで楽しめるのである。それはそれはいろんなランチを食べに行くのだが、毎度毎度頭の中で食事を想像してしまう。そしてお腹が空くのである。こんな感動を本で味わったのはずいぶん久しぶりかもしれない。
美味しそうな「ジブリ飯」を見たときと似たような感動がある。ジブリのご飯はたまによく分からないときもあるのだけど、美味しそうなものはとことん美味しそうである。映画の中で美味しそうなご飯を食べているのを見ると幸せな気持ちになるのと同じような感じが、この本は十六回も味わえてしまうのである。
しかもそこに加えて、お酒とのマリアージュが存在する。もう、読んでいるだけで私も昼から美味しいもの食べて飲んだ気分…。最高である。
様々な人たちの見守り
食べ物とお酒の感想が今のところ大部分を占めているが、祥子が「見守り屋」の仕事で出会う人々も、きっとこの現代社会のどこかにいる人、まさに「見守り屋」を必要としている人である。
第一酒の中で見守る、キャバクラ嬢の娘・華絵。普段は夜間託児所に預けられているが、発熱したり、ぐずったりして託児所へ行けないときに祥子へ見守りの依頼がくる。華絵は祥子を「しょうちゃん」と呼び、懐いている印象だ。
母親はキャバクラ嬢なのだけど、華絵への愛情がある母親である。少しでも環境の良いところに住んでほしい、と良い地域にマンションを買い、知育のために油絵を飾っていたり。でも冷蔵庫の中身は空っぽ、というちぐはぐな人である。でも、娘への必死への愛情を感じるから、祥子は嫌いではない。だから、また見守りにいくのだろう。
あと、第三酒ではじめて出てくるアルツハイマーの女性・元子も印象的だ。息子と2人暮らし。息子は月刊誌の編集長なので、どうしても月に1度、雑誌の校了時期には徹夜で一晩中家を空ける。その間に、母である元子を見守ってほしい、という依頼。元子が口にする独身の息子への思いを口にしたことで、祥子も祥子自身がバツイチになるまでのこと、今の状況を語るようになる。この元子は、祥子にとってとても重要な存在となっていく。
他にも、
目が見えない犬、
妻が亡くなったことを受け入れられない人、
自分の失敗を消化するために話し相手を求めている漫画家、
結婚する前に家に女性がいる感覚を経験したいという証券会社の副支社長、
女手ひとつで必死に育てた子供が大学へ入学した家を出てから、孤独を感じている母親、
母親と祖母の介護をひとりでこなす女性など…
本当に今の日本社会に、そして身近にもいるかもしれない状況の人々がたくさん登場する。
(順不同なのはご容赦を…)
「見守り」といっても、求められる役割はさまざまで、祥子はその時の相手と接してその役割を果たしていく。それが依頼者やお客さま自身の心境を変化させていくこともある。でも、変わらないこともある。あと、その人に必要なことが見えるときもある。
「見守られる」側は、「見守り」がいないと「孤独」になる人だ。みんなそうである。孤独にならないように家族や友人が協力しているけど、どうしても難しいときに、祥子は呼ばれる。
「見守り」=「皆の孤独を埋めること」という祥子の存在価値は計り知れないものがあるんじゃなかろうか。
祥子が関わっていく人々は、なんだか人間臭くて、みんなそれぞれの生き方や考え方や思いがあって、それが絡み合っていくのが感じられる。なんだか人間っていいんじゃないかと思わせてくれる…そんな世界がこの本の中にはあると私は感じた。
「生きる力」を取り戻す
祥子自身が変化していくということも、この小説で大事な要素。いや、正直これが一番土台にあるものだと思う。
仕事の話と並行して進んでいくのが、元夫・義徳と娘・明里との話。月に1回だけ会うことができるのだけど、第一酒の時点で「今月は授業参観があるから会えない」というメールが義徳から届いている。
先月、娘から「ママに次いつ会えるのか」と聞かれたのを思い出す祥子。その日がだめなら他の週じゃだめなのか、と思う描写もある。
祥子は、最初読み始めたときはわりと淡泊というか、あまり熱くならないというか、色々なことを諦めていて生きる気力が少なめ、というのが私の印象。
離婚して、娘も元夫が引き取って、義両親が住む実家でみんなで暮らしている。一方の祥子は、同級生であり上司でもある亀山の手配で借りたマンション住まい。家に帰れば孤独が待っているから、辛いから、仕事終わりにランチ酒をして帰ってすぐ眠る。
皆の見守りをしている祥子自身も、「孤独」な人である。
祥子が義徳と出会って、妊娠して、結婚して、義両親と同居して、そして離婚するまでの経緯も次第に明らかになっていく。
その中で、二人とも「家族」になる覚悟が決まる前に妊娠が発覚して結婚したこともあって、お互いの気持ちがかみ合わないままうまくいかなくて離婚したのだろう。
あとは、義母に受け入れられなかったことも原因の1つとしてあるかもしれない。
皆が皆それぞれに何か綻びがあって、うまく「家族」になれなかったというのが分かる。
それでも祥子は娘の幸せを願っていて、願っているからこそ今見守り業で食べている自分の元へは引き取れない、向こうで元夫と、義両親に一緒にいてもらえた方が幸せであると思っている。でも、分かっているのに、どこか辛い部分が彼女にはある。
色々な孤独の辛さを埋めるために、彼女はお酒を流し込んでいるところもあるだろうな…。気を紛らわしたい、というか。辛いときに気を紛らわすのにお酒を飲んでしまうというところ、すごく私と合致しているので見てて思わずほろりと来てしまう部分も多い。
第十二酒では、代官山のフレンチレストランに行って、明里に義徳が別の女性と再婚することを伝えるシーンがある。義徳は途中まで「こんなフレンチレストランで再婚の話をするなんて、どうなんだ」「前の妻が、父の再婚話に入らなくてもいいのでは」という姿勢だけれど、あくまでも祥子は、自分も承知の上で、新しいお母さんができるということを明里に伝えて、「心配ないんだよ」と安心させたかったのだ。
ママも再婚を喜んでいるということ。
これからもママとはこうして会えるということ。
もしも何かあったらママのところに来てもいいということ。
明里にしっかりと伝えている祥子は、しっかりと母親である。
第一酒のときの祥子だと、月1回の面会予定でさえ振られても文句を言わなかったのだから、義徳にはっきり「母親としてこうしたい」というのを主張していくなんて想像もつかなかった。でも、確実に色んな人との出会いや交流を通して祥子も自分自身を見つめ直していたんじゃないかと思う。
第十五酒では、先述した元子の見守りに行った際、娘との出来事を回想するシーンがある。元子には色々なことを打ち明けていたけれど、彼女のアルツハイマーの症状は進行し、会話はほとんどできなくなっていた。色々な話を聞いてくれた元子の見守りができなくなる日は近いかもしれない…と寂しさを感じている。
「から揚げを食べたいと言っている」という義徳からの情報でから揚げ屋さんに行くのだけど、明里は「おいしくない」「好きじゃない」と拒絶。仕方なくお店を出てどこに行きたいか聞いても無反応。最終的に、祥子の部屋に来ることになる。明里が祥子の家に来るのはこれが初めてのことだった。
祥子は帰り道のスーパーで、「自宅でから揚げをつくろう」と思いついて鶏もも肉と鶏むね肉を買って帰り、ニンニク醤油に漬け込み、頑張ってから揚げを作った。
一度は「食べる」意志を表明した明里だったが、やはり食べてくれなかった。
そのあと、祥子はその日の事をもう1度思い返して、明里の発言を1つ1つ最初から辿ってみる。
とんかつ茶漬けを待ちながら、彼女は当時、娘にどんなから揚げを作っていたのかを思い出す。
そして、とんかつ茶漬けを食べながら、「明里の食べたい味」かもしれないものを思い出し、祥子は思い切って勇気を出して行動に移す。最初は離れて暮らす娘に対してすごく受動的、元夫からのアクションを待つだけだった祥子が、自分から娘のために娘のことを思い行動していくシーンは胸が熱くなった。
母である祥子が娘に伝えたかった思いは何なのか…。
これは是非本書を読んでほしいと思う。
最初は「とりあえず」で仕事をしていたり、娘にも自由に会えない、とにかく停滞していた祥子の人生が未来に向けて広がっていくのである。
いろいろ人生を諦めていて、気力が無いように見える祥子が、だんだんと温かみを増していくというか、人との関わりの中で大げさに言うと「生きる力」を取り戻していく過程が、今それこそ病んでいる私にはすごく刺さったのである。人は、ひとりでは生きられない。
彼女の原動力である「娘」の存在に能動的に向き合えるようになっていることを見ると、祥子には生きる力が戻ってきていることが良く分かる。同世代アラサーの私としては、もう彼女に大喝采を送りたい。
そう、この本はタイトルからは想像できないほどの人間ドラマが詰まった作品なのであった…。
さいごに
美味しい食事と美味しいお酒(しかもそれを昼からやっちゃうという背徳感)の話だけを予想して買った本だった。なんか重くない話で、とりあえず仕事終わりのアラサー女性が一杯やって「さー!明日もまたがんばろ!」みたいな軽いやつかと思っていた。
だが、その予想はとても良い意味で裏切られた。
とある一人の女性が色んな人を見守りながら、そして娘の幸せを願いながら、「生きる力」を取り戻していく…という成長ストーリーになっていた。
リアルだから、感情移入して、不覚にもグッとくる部分が多かった。
すごく心の機微とか考え、特に主人公の心の声を細かく書いてくださっているので、サクサク読み進めることもできる。読み終わったあと、なんだか祥子の気持ちを考えると心がほっこりと温かくなる。ついでにお腹がすいてくる。そんな小説である。
皆様ももし見かけたら、タイトルとカバーイラストに騙されてとりあえずまずは買ってほしい。
ちなみに続編もあるらしいので、私は次に本屋へ行ったら続編を買う。絶対に買う。