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大企業というステレオタイプで語らない

「大企業だから〜〜できない」「大企業をなんとか変えたい」自分が所属する会社を大企業だと思っている人たちから、割とよく聞く言葉です。

ここで言う「大企業」って一体なんでしょう。人数なのか、売上規模なのか、上場してるかどうかなのか。語る人によって違ってきそうです。

中小企業庁によれば定義はあるようですが、「大企業なんとかせねば論」を語っている文脈での使い方とは、だいぶズレがあるように思います。なにより、ここでは正しい大企業の定義を話したいわけではありません。

危うさを感じるのは「大企業」って言葉を使った瞬間に、たとえ、その企業の中で働いている当人であっても、他人事のように語れてしまうことです。「大企業を変える」と言いながら、まるで自分は変わらなくても良いと思っているように聞こえます。

大企業って、ひとくくりにして語れることって本当にあるのでしょうか。この言葉は、まるで実体のない幻のようなものに思えてしまうのです。

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私自身も、前職は大手のシステムインテグレータで働いていたので、当時は「大企業だなぁ」と感じていましたし、語っていたように思います。

たしか1999年に新卒で入社した頃で3000人ほど、自分で立ち上げた社内ベンチャーを買い取って独立する2011年には数万人の会社になっていたので、会社が大きくなっていく様を中から見てきました。

しかし、大企業だからという理由で、しがらみがあって出来ないことや息苦しさがあったかというと、私個人で言えば、それほどに感じてはいませんでした。

それなりの規模の組織でしたが、現場ではアジャイル開発に取り組んだり、社外のコミュニティに参加して書籍の執筆をしたり、現場から本社部門へ社内転職をしたり、新規事業を立ち上げたり、果ては社内ベンチャー作ってMBOするところまで出来たので、色々やらせてもらえたなぁ、と思い返すと感謝しかありません。

もちろん、風通しの良い会社だったというのもあると思いますし、私自身の生存バイアスもかかっているとは思います。

それでも「大企業だから〜〜できない」という話を聞くと、本当かな?と思ってしまいます。それは大企業が理由じゃなく、その会社とその個人の問題だってことはないでしょうか。

とはいえ、その会社では色々と好きにさせてもらいましたが、会社全体を変えることまでは出来なかったし、それも一因で最終的に独立する道を選んだのは事実です。「大企業を変えることは難しい」これについては同意せざるを得ません。

一体なぜ、大企業の組織変革は難しいのでしょうか。

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ヒエラルキーの組織である限りは、これまで結果を残してきた人たちが、その階層の上位にいることになります。それ自体はまっとうなことで、成果を出した人が正当に評価されてきた結果です。

しかし、時代や環境は変化するということです。過去において成果を出せたからといって、同じやり方で成果を出し続けることができるのかというと、そうではなくなってきているのです。

だからといって、そのヒエラルキーを覆していかねばならないとなっても、既に上位の階層にいる人からすると既得権益を捨てることになってしまうので、その変革は受け入れがたいものになるでしょう。それも自然なことです。意思決定する側が取り組まないなら変革は実現されません。

つまり、ヒエラルキーの組織変革というのは、構造上どうしても難しいものなのだと思います。そもそも、既存のものを変えていくというのは多大なエネルギーが必要なのです。

果たして、そこまで大きなエネルギーを使って、既存にあるものを変えようとすることに意味はあるのでしょうか。人類の持つ貴重で有限なエネルギーを、もっと有益なことに費やすことを考えてみませんか。

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既存の大企業をなんとかするのではなく、小さくても新しい企業をたくさん生み出す方にエネルギーの向き先を変えていくことの方が将来的な価値が大きくなるのではないでしょうか。

どうしても既にあるものを大切に、長続きさせるようにと考えてしまうのもわかりますし、それも大事なことですが、同時に新しいものを生み出そうということにも力を注ぐことにも目を向けるのです。

今ある小さな会社やベンチャー企業たちも、いずれ大企業になるかもしれないわけで、今ある大企業もかつてはベンチャー企業だった時代があったわけで、今だけを切り取って考えるよりも大きな視点を持ちたいものです。

私は今「納品のない受託開発」という新しいシステム開発のビジネスモデルで会社を経営していますが、これは新しく立ち上げた会社で、少人数で始めたから出来たことです。前職の会社で全社一斉に始めようとしても、それは変革が必要だったので難しかったでしょう。

組織は事業に従うものです。事業の根幹はビジネスモデルであり、そのビジネスモデルに適した人材を集め構成し、組織をつくっていくのです。ビジネスモデルを変えずに組織だけを変えることはできないし、ビジネスモデルを変えると、組織よりも先に人材を変えないといけなくなります。

これも、既に大きくなった組織を変革することを阻む理由の一つです。

「ゼロからつくったからできるんだ、それならできる。大企業では難しいよ」という声も聞きますが、そうなのであれば、あなたも誰もがゼロから作れば良いんじゃないかと思うのです。その方が前向きではないですか。

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「今の会社が好きなのです。だから会社を変えていきたいのです」そう仰るのもわかります。愛社精神という言葉を使う方もいます。

大企業において、飛び抜けて出来る人やチームが出てくると、他と違いが出過ぎて扱いに困って管理するコストがかかりすぎてしまうので、キャップをはめて多数派に揃えて横並びにして管理しやすくしているというヒドい話を聞いたことがあります。

そうした状況でも、愛社精神でもって自分の置かれた環境に耐えつつ、会社を変えようとする取り組みに腐心されるのは尊いことだとは思いますが、それは本当の愛社精神なのでしょうか。

「あなたのために自分は苦しいことに耐える」というのは、本当の愛なのでしょうか。双方が良い状態になっていないと一方的に犠牲になって耐えることは長続きしないように思います。これは会社と個人も同じことです。

本当に愛社精神があるなら、外に飛び出してしまって活躍して、その企業の出身者だと知られる方が、互いのためになるのではないでしょうか。

元いた会社を辞めて活躍して経営者になられた方が、元の会社に戻って経営に携わるなんてケースも増えてきたように思います。大きな恩返しです。

会社を変えたい位の気概があるなら、社会を変えることにチャレンジにしてみるのはどうでしょうか。そこまででなくても、社会を変えようとしている企業に移り、エネルギーを注ぐのも一つの選択肢だと思います。

前述のとおり、組織は事業に従います。つまりビジネスありきなのです。であれば、新しいビジネスを興すこと、イノベーションを起こすことが先にあれば良く、そうした新しいことは少人数でしか起こせません。

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そういうと「大企業に価値はないのか?」なんてことを考える人もいますが、そんなことはありません。そもそも、その問題提起はミスリードです。

大企業だから価値があるのかどうかではなく、そもそも価値があるかどうかの方が先です。その企業は価値があるのかどうか、それだけです。だから、起業した方が偉いとも思っていませんし、闇雲に独立を勧めたいとも思っていません。

企業の大小に関係なく、どこに所属しているのか関係なく、どうやって世の中に価値を増やしていくのか、役に立つことを増やしていくのか、それを考えるだけで良いのではないでしょうか。

「雇用の創出」という言葉があります。従業員を雇い続けることも大企業の責任であるという論もわかります。しかし、これからの時代において、果たして本当に雇い続けることが、働く個人の人生にとって喜ばしいことなのでしょうか。

私の考える経営の責任の本質は、いつまでも雇い続けることではなく、いつ会社がなくなったとしても、どこに行っても価値を発揮できて、社会から求められるような人を生み出すことです。

なにより、雇用こそが責任といって価値を発揮できない人を置き続けることは、経済成長をしていくという企業の経営活動の本質からは外れているのではないでしょうか。

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外部環境が大きく変化する中で、大量生産からクリエイティブな仕事への転換が求められ、そうしたビジネスにおいては上意下達のコミュニケーションや、管理統括のマネジメントが通用しなくなってきます。

そうした背景を受けて組織や働き方を変えていかねばならないという思いを持つ方もいるでしょう。ティール組織が注目されたのも、そうした流れからだと思います。

ティール組織や自己組織化に変えていこうとする意思を否定するつもりはありませんし、そうした熱い思いをもった人たちがいることは組織において大変ありがたいことですが、もし会社のトップと考えていることが一致していないとしたら、摩擦係数が大きすぎやしないかと心配になります。

大事なことは、ティールや自己組織化ではなく、その先に何を成したいのかということです。会社を変えることだけをゴールに進むのは、ただのテロ活動みたいなものです。

私たちはティール組織やホラクラシーの例で出して頂くことも多いし、実際に自己組織化されているとは思いますが、だからといって苦労がないわけでも工夫していないわけでもありません。

自己組織化したって終わりがくるわけではないのだから、より有意義にエネルギーを使いたいものです。

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さておき、「大企業をなんとかしたい」というけれど、それは大企業の問題ではなく、その会社とその人の関係性の問題で、普遍的な技術問題ではなく個別に起きている適応課題なのです。

大企業とラベリングして自分と切り離してなんとかしようとするのではなく、結局は個人の集まりなので、その人たちと自分をどういう関係性を築いていくのか、ということに尽きるのだと思います。

変えるのではなく、変わる。まわりをなんとかしようとせず、自分自身をなんとかしようとする。その姿をみせることが周りの人たちに変化の影響を与える一番の大きなきっかけになるように思います。

自分のことを組織のことにすり替えたりせずに、「大企業」という思考停止ワードを使わずに、自分がどうありたいのかを考えていくと良いのではないでしょうか。

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あとがき(と書ききれなかった蛇足)

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