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成長するってなんでしょう?

「成長する、とは一体なんでしょう?」

「今まで、できなかったことができるようになること。もしくは、今までよりも上手にできるようになること。これも一つの成長と言えます。」

「なんとなく後者の方が、イメージしやすいですね。ピアノが上達したとか、走るのが速くなったとか。」

「確かに、すでにある能力が向上すると考える方がわかりやすいですが、それだけでは直線的な成長としか言えません。以前できなかったことが、できるようになるというのは、新たな能力を得るという平面的な成長と言えます。」

「なるほど。直線的に見えて、ミクロに見ると平面的な成長もありそうですね。それに一口に『できる』といってもレベル感がありますよね。」

「そうです。新しくできるようになったとしても、それは入り口に立ったに過ぎません。そこから直線的な成長をする余地があります。成長は多面的に広がるものです。」

「ロールプレイングゲームで考えたらわかりやすいですね。パラメータが決まっていますから。」

「ただ現実は、ゲームほどわかりやすくはありません。そのパラメータは無限にあります。ゲームで言えば、アクションゲームや格闘ゲームで考えてみると、そのパラメータは現実側、つまり人間の中にありますね。上達するかどうかは、ゲームの中の数値ではなくプレイヤー本人の習熟度や反射神経などがパラメータになるでしょう。それらは数字で見えるものではない。」

「なるほど、eスポーツが競技として成立するのは、それが個人ごとに紐づく努力の結果が成長になるからですね。そして、それは数字では見えないから実際にゲームで競ってみるしかない。」

「どんな種類のゲームにせよ、良いゲームというのは人が『うまくなっている』『成長している』を常に感じさせるようにデザインされてます。」

「『ハマる』って感じですね。レベルアップを感じると途中でやめられなくなっちゃうのはわかります。」

「そうした感覚を『フロー状態』と呼びます。ミハイ・チクセントミハイ氏が提唱した理論です。人が没頭して、夢中になって取り組んでいる精神状態をフローと呼んで、そうなっている間にこそ幸福感を感じるというのです。」

「そのフロー状態と成長が、どう関係してくるのですか?」

「人がフロー状態に入るために必要な条件があります。それは、挑戦しようとしている対象の難易度と、自分自身のスキルの高さ、それらが丁度いいバランスになっていることです。自分にとって難しすぎると、夢中になる前につまらなく感じるでしょうし・・・」

「逆に、簡単すぎてもつまらない、と。クソゲーかヌルゲーは駄目ってことですね。」

「人にとって、自分にとって難しいことは挑戦しがいがあって良いことなのです。だからこそ楽しいし、試行錯誤もする。だから、試行錯誤するというのは成長のために必要な要素です。そうして成長すると、また少し難易度があがることに挑戦すれば、ずっとフローでいられます。」

「成長し続けてる間は、ずっとフロー状態で楽しくいられるんだ。」

「そして、ゲームに限らずとも仕事にも同じことが言えます。どんな仕事も、初めてするのは難しい。絶望的に難しい仕事だとしたら、モチベーションはなくなります。簡単すぎるルーチンワークを続けるとしたら、それも同様です。」

「だけど、現実の多くの仕事は、同じことを続けさせようとしますね。自分にとって簡単にできてしまうことだから、退屈になってしまう。仕事がつまらない、と言ってる人は、この状態だからだって今ならわかります。」

「最初の慣れないうちは、なにもかもが刺激的だし難しいし、習得しようと挑戦しているから楽しいものです。もちろん難易度の調整が合ってないと、恐怖や不安が大きくなってしまいますが。職業体験がアクティビティとして成立するのは、初めてのことだからです。」

「地方に旅行に行ったときにする陶芸体験とか、ガラス作りとかも、そうかもしれないですね。」

「そう、難易度が調整されて初めてのことだから、熟達する前は楽しいものです。慣れてしまうと、もっと難しい作品に挑戦するとかしないと、きっとつまらなくなるでしょう。」

「工芸品なら、そうやって職人技を極めていくことでフロー状態を保つことができるかもしれませんが、工業品の場合はそうはいきませんね。大量生産のための工場の中で、パーツとして人をあてているなら、その人に求められるのは再現性ですからね。慣れるって怖いな。」

「そうです、『もう仕事には慣れた?』と聞いたりしますが、果たして慣れてしまって良いものなのか、改めて考えてみるべきです。慣れるまでは、手探りが続くので品質も効率もよくないでしょうが、楽しむことはできます。逆に慣れてしまうと、楽しさは減って品質と効率が高まります。」

「経済合理性だけで考えると、仕事は慣れてもらったほうが良さそうです。ですが本人にとっては、果たして良いのかどうか、と。難しいところですね。」

「それでも、仕事なんて退屈なものだ、給与をもらうために我慢するという発想でいる人は一定数いて、そういう人たちにとっては、仕事に慣れてしまうことは悪くありません。そして、そうして定年まで働いていても仕事になる時代もあったのです。」

「一方で、IT業界をはじめとして先進的な業界ほど、人の流動性は高い気がします。報酬をあげるためのキャリアアップとしての転職もありますが、エンジニアの退職エントリを見ていると『できることはやり尽くした』とか『新しい挑戦のために』といったことが書かれていて、難易度を調整するために転職するというのもありそうです。彼らは仕事に慣れたくない人たちですね。」

「もし会社側が、その人にとっての挑戦となる仕事を用意し続けられたとしたら、辞めなくてもすんだかもしれません。もしくは、難易度のチューニングを自分で出来るだけの裁量が与えられているかどうか。」

「退屈になったときに、難易度の高いことに挑戦したいと考えても、そうしたことが許されていないとしたら、転職という手段しかないというわけですね。」

「技量が熟達するとともに裁量が増えていくような組織であれば、退屈さで辞めることはなくなるかもしれません。難易度の調整も、ずっと会社や上司がやっていくのも現実的ではなく、自分自身でチューニングできるようになることが求められます。」

「ゲームでいえば、しばりプレイですね。」

「またゲームの話ですか。そうですね、仕事もゲームのようなものになってしまえば、誰もが楽しめるようになりそうです。」

「じゃ、次の質問なんですが・・・」

「それはまた次回にしましょう。」

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