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24章 死ぬまで元気ぃー? 後半

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「蔵子さんの講座のことを話したのは姉だけど、きっかけは、会員の方の井戸端会議なの」
 会員の一人が、メンフィス行きのトランク選びの話から、ある女優の話をした。
それは、テレビで還暦を過ぎた女優が、この世とおさらばする時には、身の回りの品はトランク一つくらいにしておきたいと発言したことに始まる。
 このことで、賛成派と、なにもそこまで派と、後のことなど知らない派の三つに分かれた。

 賛成派はもちろん、トランク一つまで荷物を減らすことを「良し」とした。
なにもそこまで派は、現在の荷物を減らすことを考えればそれでよいのではないかという意見だった。
後のことなど知らない派は、自分がいなくなったら誰かが何とかするだろうから、そんな心配はしないのだそうだ。
この派は家族と同居が多く、賛成派は一人暮らしが多かった。

「そんな事から、片付けなくてはという話になったから蔵子の事を思い出して。わたしの友人にこういう講座をしている人がいますって紹介したのだけれど…」
「お陰さまで、ナイアガラの滝のようなファックスが来ました」
蔵子の皮肉はマキには通じない。
「とにかく、いい機会だと思うのよね。メイクやパーソナルカラーの講座もあるのでしょ。
会員の人たちも楽しみにしているから、よろしくね」
 手土産にと、ケイから手渡された風呂敷包みにスコーンが入っていた。

 事務所に戻ると、まろみが電話の最中だった。
 蔵子が出かけた後、SGCの会員からの問い合わせの電話が続いたそうだ。
「講座の日程が決まったら、ケイさんが、会員の方たちに連絡してくれるそうだから」
まろみは、それを早く言ってほしかったと口をとがらせた。
「ケイさんからお土産をもらってきたのだけれど…」
蔵子はまろみの前で風呂敷包みをぶらぶらさせた。
途端に、まろみの表情が真剣になり、鼻の穴をぴくぴくとふくらませた。
「これはケーキかクッキーのにおい」
「スコーンでーす」
蔵子が言い終わらないうちに、まろみは風呂敷包みをひったくって、台所に行ってしまった。

 三ヶ月後。
SGCの会員向けの『新わくわく片づけ講座』を開催するにあたり、蔵子はケイに相談した。
事前にアンケートをとってもらい、「トランクひとつ派」「なにもそこまで派」「後のことは知らない派」を調べた。

 名簿を見ながら、まろみが集計をした。
「トランク派」が一割、「そこまで派」が七割、「知らない派」が二割です。
 スコーンにかぶりついているまろみの前で、アールグレイの紅茶を飲みながら、蔵子はSGCのメンフィス旅行から始まった、トランクひとつの話をした。
「なるほど、冥土の旅にはトランクひとつですか」
「ふむ、言い得て妙だけど…」
蔵子はカップを置き、タイ焼きとスコーンを消化せねばと立ち上がった。
え、タイ焼き? そんなものはどこにもなかったと、まろみはまたふくれた。
「まろみちゃん、最近疲れてるみたいね」
「はい、いろいろと忙しいもので」
「マキさんがもう一人くらいエルビスのツアーに参加できるっておっしゃってたけれど」
「えっ、もしかして出張扱いですか?」
「もちろん、自費です」
あーあ、やっぱりとまろみは最後のスコーンにかぶりついた。

「蔵子さん、ひとつわからないのですが」、まろみが首をかしげた
「知らない派は、別に片づけなんて気にしてないのに、なぜこの講座に参加するのですか」
「これはわたしの推測だけど、第一に、皆が参加するから参加したい。半分は井戸端会議みたいなものだし」
「いないと、どんな悪口を言われるかわからない! というたぐいですか」
「それは極端な話だけど。第二に、片づけは気にしないと言いながらも、どこかで気になっている」
「確かに、そうかもしれませんね」
「それに、そんなことを考えたこともなかった人が、『トランク一つ』の話で意識が変わるかもしれないしね。そこで、この三つの派を各グループに振り分けてちょうだい」
「了解」

 SGCの会員向け「新わくわく片付け講座」は、朝十時から夕方四時までの一日講座で
七、八人で一つのグループになり、実習などをすることになる。
 午前中はメイクやパーソナルカラーで、なりたい自分のイメージを決める。
講座で一番盛り上がるのはこの時間である。

 お互いに批評しながら、眉を描いたり頬紅を塗るのは、男性にはわからない楽しみであろう。(今の若い男性は知っていたりして)
また、シンプルライフを標榜し、「いつもスッピン」で通している女性も、皆にこんな機会に遊んでみたらと誘われ、薄いメイクをすると顔色が良くなり、若く見えると言われてまんざらでもない様子である。

 パーソナルカラーで、似合う色を診断されると、これでたんすのこやしも似合わないとわかったから思い切って処分できるという声が多かった。

 「後は知らない派」の河内未冬は、似合わない服は置いておけば誰かが着るだろうから、処分することはないでしょうにねと、隣の村井敦子に話しかけた。
「誰かって、誰ですか?」
敦子の問いに未冬はびっくりした。
「そりゃあ…家族がいるから…娘とか」
「娘さんと洋服のサイズは同じですか」
「娘はわたしより背が高いから…体重はわたしの方があるけど」
それでは、無理ですねと言う敦子の言葉に未冬はむきになった。
「まあ、娘はダメでも、妹がいるから、体型は似たようなものだし」
「洋服の好みは似ていますか」
「違うわよ。妹は長年公務員だったから…」
 テーブルの他の五人も静かになり、二人の会話に注目した。

「だったら、誰も未冬さんの洋服を着る人はいないのでは…」
未冬の声が高くなった。
「な、難民に寄付するとか、いろいろあるじゃないの」
「誰がいつ難民に寄付するのですか」
それはと、未冬は黙り込んで下を向いた。
「そんなにいじめなくても、いいじゃないの」
初世の言葉に幸恵が、いじめているわけではないでしょうと敦子をかばった。
「だって、未冬さんが洋服を溜めこんで、山ほどのゴミを残してあの世に行ったって、家族が困るだけでわたしたちには関係ないのだから」
初世は取りなしているつもりだったが、逆効果で、未冬の顔色が変わった。
「初世さん、わたしの洋服がゴミばっかりだというの」
いえ、なにもそんなことは、ねえ、皆さんと、おろおろしながら同意を求めたが、無駄だった。
「今はゴミでなくても、いずれゴミになるということよ」
幸恵の強い口調に、未冬は鼻をすすっている。
「とにかく、今日は片付けのお勉強に来たのだから、最後まで先生のお話を聞いたらどうかしら。それに、まだ皆さんメイクの途中で、眉の形が整っていませんよ」
年長の輝美の言葉に、六人はいそいそと鏡を手にした。

「しかし、ホテルの宴会場で講座をすると、豪華なランチが食べられて幸せです」
まろみが、目の前の幕の内弁当を前に、舌なめずりした。
「そうねえ、百人が入る会場で、食事の提供ができるところと言うとホテルしかないでしょうねぇ。これも会費に含まれているから」
 二人は会員とは別のテーブルに座っていた。

ケイは食事がいきわたっているかどうか見て回っており、マキはどこかのテーブルで話しこんでいる。
まろみは箸の先の人参を見ながら、ささやいた。
「こんな梅の形に切った人参を久しぶりに見ました」
「そうねえ、和食は味だけでなく、目で見て美しいのも重要な要素だから。ぜいたくと言えばぜいたくだけど…」
 二人がのんきに人参の話をしている頃、未冬のテーブルではまたしてもゴミ問題が蒸し返されていた。

「さっきの話ですけど、わたしの洋服がゴミなら、敦子さんや幸恵さんの洋服はゴミじゃないのですか」
敦子が答えようとするのを制して、幸恵がほっときなさいと言った。
「ほっときなさいとはどういうことよ」
未冬は箸を置いて立ち上がった。
「今は食事の時間です」
幸恵は未冬を無視して箸を動かした。
「わたしの洋服がゴミと言われたままでは、食事ものどに通らない」
「それなら、食べなきゃいいのよ。ダイエットになっていいかも。ふふん」
「わかりました」と未冬は唇をかみしめた。
未冬と幸恵の間には輝美が居心地悪そうに座っている。

席を離れようと未冬は弁当を手にして立ち上がった。はっとした輝美が止めようとしたのが、まずかった。椅子に引っかかり、輝美の頭に料理がぶちまけられた。
うわっ、キャッ、えーっ、そんな、さまざまな声があがり、未冬はぼうぜんとして突っ立っている。
輝美が頭を振ると、小さな梅干しと高野豆腐が床に飛んだ。

 ケイが素早く行動した。
「輝美さん、化粧室に行きましょう。蔵子さんは未冬さんをティールームにお連れしてください。他の方々はお食事を続けてくださいね」
 ざわつく会場内に、マキがマイクで、お静かに、食事の後にはコーヒーか紅茶が出ますと案内した。

 カフェでロイヤルミルクティーにブラウンシュガーを三つ入れて、スプーンでゆっくりかき回している未冬は目に涙を浮かべていた。
蔵子もコーヒーを飲みながら、未冬の言葉を待った。
店内にはゆったりとしたピアノの曲が流れていた。

「輝美さんに、あんなことをしてしまって、わたし…」
「なにがあったのですか」
 未冬は自分の洋服がゴミだと言われて腹が立ってかっとしたことから話した。
「洋服はわたしにとって大切な物です。それを…」

 未冬の母は洋裁が得意で、ワンピースやコートまで仕立ててくれた。
未冬に似合う襟の形やラインはいつも他人にほめられた。
母が亡くなっても、洋服を買う時は、その形にこだわった。
「わたしは、今でも洋服で母とつながっているのです」
「幸恵さんは、そのようなご事情をご存じでなかったでしょうね」
未冬はこくりと頷き、涙を流し、しゃくりあげながらつぶやいた。
「こんなことをして、もう、この会には参加できなくなりますね」
「そんなことはありませんよ。輝美さんもわかってくださると思いますよ」
そうでしょうかと、未冬は上目遣いに蔵子を見た。
「事情が分かれば、みなさんもわかってくださると思いますよ。この講座でパーソナルカラーを取り入れているのは、一つには洋服の処分をしやすくすることなのです。
女性はなかなか洋服を処分することができないので、似合う色が分かれば、似合わない色の洋服に別れを告げやすくなるだろうと期待し、今後の洋服選びのご参考という意味です。」
「そこが問題なのです」
蔵子は、未冬が“自分の似合う色”に不満なのかと思った。

ごそごそとバッグの中から“自分の似合う色”のカラーサンプルを取り出し未冬は、
小豆色のジャケットに重ねた。
「ほら、この色と私が着ている服と、ほとんど同じ色でしょう」
確かにそうだ。
「洋服のデザインもですが、色も、私に似合う色はこの色とこの色という風に、母は教えてくれていたのです」
「だから似合う色の洋服しか着ておられないということですね」
「そうです。だから、余計、捨てられない」

蔵子は慎重に言った。
「未冬さん、お母さまが残されたのは洋服でしょうか。それとも、未冬さんの個性を大切にしなさいということでしょうか」
蔵子の言葉は未冬には意外だったらしく、切れ長の目を見開いた。
「個性?」
「そうです。未冬さんらしさを引き出すには、この色で、このラインと考えておられたのでしょうね」
「わたしらしさ?」
蔵子は頷いた。

未冬の母が残したのは洋服ではなく、輝いて生きて欲しいと願う母の思いだったのではないだろうか。
冷めた紅茶を飲みほして、未冬は胸を張った。
「もう一度、ゆっくり考えてみます。それに輝美さんや…幸恵さんにも…謝ります」

二人がテーブルに戻ると、輝美も笑顔で席についていた。
「おかえりなさい」
思いがけない幸恵の言葉に未冬の声が震えた。
「輝美さん、みなさん、ごめんなさい」

 午後の講座はなごやかに進んだ。
三時のコーヒータイムに、未冬は立ち上がって、テーブルの一人ひとりの顔を見て、ありがとうございましたと頭を下げた。
「なにもしていませんけど、なんのお礼ですか」敦子が訊いた。
「いえ、いいんです。お礼が言いたかっただけなので」
未冬の笑顔に皆は顔を見合わせた。

 母が教えてくれたのは、自分らしく輝いて生きることであって、洋服を貯めこむことではなかったのだと気付かせてくれた感謝の気持ちだった。
トランク一つとはいかないまでも、母の思い出というモノに執着するのではなく、これからの自分に目を向けたいと思った。

「ところで、幸恵さんはトランク一つに何を詰めるのですか」
突然の問いに幸恵は躊躇せずに答えた。
「思い出と感謝」
皆の手が止まった。
「わたし、癌なのよ」
ごめんなさい。そんな事とは…と未冬は絶句した。
幸恵は手を振った。
「いいのよ。気にしないでください。早いか遅いかの違いだから」
 未冬は今日のこと、幸恵のことを忘れないでおこうと思った。

25章 終

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