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部活の思い出と未来の部活動地域移行の展望

公益財団法人音楽文化創造の関係で、滋賀県大津市で高校の軽音楽部の活動に情熱をかけてきた村田 良(むらた まさる)さんにオンラインでお会いしました。

村田さんは、1988年から軽音楽部の顧問として国際音楽の日記念コンサート、英国祭'98、世界水フォーラム、JR大津駅前社会実験ライブ等、さまざまな高校生イベントを手がけました。2022年3月に定年退職されたのですが、軽音楽部の活動が総合的な学習になるのではと考え、当時教育関係者からは、敬遠されていた軽音楽の教育的価値をさまざまな取り組みで実践し、成果をだし、かたくなな教育関係者を説得して滋賀県内高校軽音連盟組織を創設、全国17番目の高文連への加盟に導きました。


村田良さんは著書で軽音楽部を総合的な学習に使えるヒントを次のように述べています。

①もし、音楽の授業で黒人音楽という観点からジャズやロックを系統的に教えられたら
②もし、国語の授業で歌詞を教えられたら
③もし、体育の授業でパフォーマンスという観点からダンスを教えられたら
④もし、情報の授業で DTM を教えられたら(新カリでは実現)
⑤もし、政治経済で音楽イベントを教えられたら
⑥もし、倫理社会でミュージシャンを教えられたら
⑦もし、美術の授業でファッションを教えられたら
⑧もし、物理の授業で音響学を教えられたら
⑨もし、数学の授業でアルゴリズムの例をシンセサイザーを使って教えられたら

 以上のような内容を私だけではなく、ミュージシャン、音響制作者、舞台制作者、音楽専門学校校長、楽器販売店長など、様々な人がこのクラブで特別講師となって教えたものである。

日本教育の再建〜現状と課題、その取り組み〜』(東信堂)

私はこれを読んで素晴らしいと思いました。軽音楽部の活動は、今はどうなんでしょうか。昔はバンド活動は不良扱いされ、吹奏楽部は全国コンクールがあるので、入賞すれば学校でも表彰されましたが、軽音楽部は全国コンクールもなく、せいぜい文化祭で演奏して終わり。そんな逆境の中で、軽音楽部の教育的価値を高めようと実践されてきたのです。

文化祭では「ロック音楽」を「文化」として捉え、きちんと発表しようと偉大なロック・ミュージシャンを研究して発表させました。

また「月1ライブ」を行い、プロデュース力、企画力を学ばせました。

またライブでは「準備」と「後片付け」が必要です。軽音のライブは楽器だけでなく、音響機材や照明機材などが必要で、それらの準備や後片付けといった裏方の仕事にもまた、教育的要素が多々あるわけです。

このように部活動には学ぶところが多いなぁと思うのです。そこで部活動の自分の経験を振り返ってみました。

中学に入って最初に選んだのは剣道部でした。なぜ剣道だったのかは覚えていません。しかし部活紹介の先輩のプレゼンテーションで、アマチュア無線部のデモに惹きつけられてしまいました。剣道部に出した入部届けを取り下げて、アマチュア無線部に入部しました。当時は携帯電話なんてありませんでしたから、無線で会話ができるのはとても魅力的でした。ところが魅力的なデモをした先輩は入部してすぐに退部してしまい、顧問の先生も特別、指導をしてはくれませんでしたから、部活の思い出はあまりありません。しかし部活のおかげでアマチュア無線技士の免許を取り、ハンダゴテ片手にトランジスタラジオを作ったりしました。その後の進路は理系になりました

中学2年の夏に転校し、新しい学校では運動部に入ろうと、めずらしいワンダーフォーゲル部というのがあったので、それに入りました。ワンダーフォーゲルとはドイツ発祥で「山野を徒歩旅行し、自然の中で自主的生活を営みつつ、心身を鍛練し、語りあうことを目的とする青年活動」だそうです。ワンダーフォーゲル部では日々は体力トレーニングをし、休日に近郊の低山登山をしました。これは楽しい体験でした。こんな部活があってとても良かったです。おかげでハイキングが趣味になりました。

中学3年の時に、友人たちとバンドを組みました。学校でライブイベントを企画しましたが、フォークギターは良いが、エレキギターとドラムはダメだと言われました。そこでフォークソングイベントが開催されました。自分たちのバンドは出演できませんでした。しかし卒業イベントでエレキギターとドラムが許されて、バンドで体育館のステージに上がることができました。先生たちに感謝です。

音楽室のオルガンを借りて、運んで私は弾きました。たしかサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』をやったように思います。知り合いからドラムが借りられたのが当日の朝で、まともに練習もできず、音響機器は体育館常設の講演用の機材でしたので、当然モニタースピーカーもなく、演奏はぐしゃぐしゃでした。準備と後片付けの大変さは学びました。さらに女子の声援もあって、私はステージの魅力にはまりました。

軽音楽部があったら、もっと楽しかったことでしょう

高校ではバンドはやらず、バスケットボール部に入りました。この部活はけっこう活発でした。朝練もあり、夏休みには合宿もありました。中学からバスケをやっていた部員ばかりでしたので、私は試合には出れませんでした。顧問は体育教師でしたが、あまり練習には来ませんでした。もっぱら先輩が指導していました。練習は苦痛でしたが、やめませんでした。2年生になって、大学生になった先輩が専属コーチとして指導するようになりました。練習はさらに厳しくなりましたが、目標のライバル校との試合に勝つために、皆がんばりました。辛いこともあったけど、皆んなでがんばる良い経験になりました。

振り返ると、学校の思い出は、授業よりも部活です。

その部活が今、危機です。

2019年1月の中教審答申の『新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について』の中で、「特に、中学校における教師の長時間勤務の主な要因の一つである部活動については、地方公共団体や教育委員会が、学校や地域住民と意識共有を図りつつ、地域で部活動に代わり得る質の高い活動の機会を確保できる十分な体制を整える取組を進め、環境を整えた上で、将来的には、部活動を学校単位から地域単位の取組にし、学校以外が担うことも積極的に進めるべきである。」と中学校の部活動を地域に移行することが示されています。

2020年9月には『学校の働き方改革を踏まえた部活動改革について』が出され、具体的に「令和5年度(2023年度)以降,休日の部活動の段階的な地域移行を図るとともに,休日の部活動の指導を望まない教師が休日の部活動に従事しないこととする。」と期限が明示されました。

2022年12月の『学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン』では、さらに詳細にわたり指針が出され、「令和5年度(2023年度)から令和7年度(2025年度)までの3年間を改革推進期間として地域連携・地域移行に取り組みつつ、地域の実情に応じて可能な限り早期の実現を目指す」とあります。

私は、音楽文化創造で、文化部の地域移行の支援をしています。地域連携・地域移行は関係者が多く、それぞれの地域で実情が異なり、一筋縄ではいきません。スポーツはすでに「総合型地域スポーツクラブ」というものがあり、地域によってはそこが地域移行の受け皿に挑戦しています。一方で文化部にはそういう組織がないため、それぞれの地域で工夫をしている状況です。

都心部では、まだまだ危機感が薄いのですが、地方では子どもの数の減少にも伴い、危機感を深めています。

例えば、静岡県掛川市は、2026年夏に小中学校の部活動をやめることを宣言しています。地域クラブ体制に完全移行するため、行政を中心に新たな地域クラブの創設準備を進めています。

NPO法人掛川文化クラブが、吹奏楽クラブ(ジュニア吹奏楽団)を創設する準備を進めています。

2023年度の活動レポートを作成しました。

学校の思い出は、授業よりも部活と書いたように、子どもたちにとって、部活動は学校生活の中で重要なものです。大人たちはなんとか、協力しあって、子どもたちのために、部活動の危機を救いたいと思うのです。

#未来のためにできること


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