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短期間で成績が爆上がりした話

私は勉強をしない、しようとも思わない、焦りもしない、そんな子どもでした。

だけどある時、ある出会いが私を変えました。

それは中3の時の話、進学を目前に控え、いよいよ本格的に焦った母が刺客を送り込んできました。
大学生の女性でした。
私は片っ端から彼女に誘い水を向けました。昨日のテレビドラマの話、最近人気のアイドルの話、あの手この手を使って無駄話をしました。

彼女は四天王の中でも最弱、あっさり私の思うままにサボりの沼に入り、いつしか来なくなりました。

そんな感じで数人消えた後、ついにラスボスが現れたのです。

彼女も大学生の女性でした。
彼女(今後先生と表記します)は私のミーハーな話を熱心に聞いてくれました。ですが先生はどう見てもそんな俗っぽい話に興味がないようでしたし、話に付き合ってくれていたんだなと思います。

そして熱心に聞いてくれたあと、勉強がちゃんと始まります。
生徒は私ひとりだったようですが手書きでビッシリと書き込まれたテキストを作ってくれたり熱が伝わってきました。やる気にならない私にも根気強く向き合ってくれました。そして私はいつしか変わっていきました。

なんとなく、ここまでやってくれたんだからテキストと向き合おう、という気になってきました。

先生は夕飯をうちで食べていくこともありましたし私だけではなく家族とも真摯に向き合ってくれました。

そのおかげで私は高校に無事合格できました。

そして高校では当時270人前後はいたと思うんですが、なんと、最初のテストの結果が49位に入っていました。
(うちの学校は50番まで紙に名前が書かれて貼られます)
今の学校じゃ順位貼り出しなんてないと思いますが(?)

それにギリギリ入っていたんです。

帰って母に報告すると母はとても喜び、小躍りをしました。

もう娘の名前が載るなんてことはありえない。
もしも娘が本気で寝る間を惜しんで真剣に勉強したとしたら、或いは……そんな考えが母の頭をよぎりました。

私が本気を出してもここまではいかない、だけど本気を出すことでこれと同等、もしかしたら1.2人でも抜かすことが出来たら?

母の夢は広がります。
母は表情の緩みを止めることが出来ませんでした。

これじゃいつもしているほうれい線マッサージも台無しです。

そして母は提案しました。

「次のテスト、ひとり抜いたら1万!!」

「っ?!」

母は思いました、どうせ無理だし、本気で頑張りそこで仮にひとり抜かすことが出来たなら、その時のお小遣いとして1万ならあげてもいいんじゃないかと。

「乗った!」

だけど娘がこの49位に入ったテストの時、1ミリも本気なんて出してはいなかったこと、この時の母はまだ知る由もない。



私が家庭教師の先生に教えてもらったこと、

それは

「勉強を“する”ということ」

前述した通り私は勉強をしない、しようとも思わない、しないことに焦りもない、こんな調子だったのでまずこの「勉強を“する”」が大きなステップでした。

そして

「勉強の“やり方”」を教えていただきました。

最後に

「勉強」を教えていただきました。


普通皆さんは学校でラストの「勉強」を教えてもらっているはずです。だけどこれ、誰にでもすんなりできるわけじゃありません。それまでのステップがないとその時点で置いてけぼりになってしまう子が一定数います。


私は小学校の時の教師があんなんだったので
(あんなんとは→「合法的に〇〇する方法 参照」)仕方がなかったかもしれません。

さて、前編でお話した2回目の試験がやってまいりました。勉強をしました。結構ちゃんとやりました。「勉強の“仕方”」を教えてもらえたのは大きいなと思いました。

私は目の前に人参ならぬ1万円札をぶら下げられたようなもんなのです。
私はただただそれに向かって突き進みました。

イノシシもびっくりの猪突猛進ぶりだったと思います。

周りは見えていません。目の前の1万円しか私にはその時目に見えていなかったのです。

そして私は前回49位、ギリギリトップ50ランクインからなんと4位までジャンプアップしました。

私はバレリーナのようにつま先でクルクルと回りながら家まで帰りました。
そしてキッチンに立っている母に報告しました。

あの時、あれだけ喜んでくれた母の表情は今日は喜びと、微かな懐疑、そして僅かに青ざめていたようにも見えました。

もうお玉片手に小躍りしていた母はいない。

冷静にお鍋をかけているコンロの火を止めた。

そして、ひとつ大きく頷いた。
「決心」の時だ。

私は昔から約束を反故にされることを極端に嫌がるタイプ。母はそれを知っていた。母は腹を括った。約束は約束だ。

だが、45万、現金でというのは教育上どうかと思った母。私もそう思い頷く。この交差した目が交渉成立を物語っていた。

後日当時発売したばかりのパソコンを購入してもらいました。

そしてこのことに関連付いていたかどうかは定かではないですが、この後留学に行かせてもらえることとなりました。

一応そこから在学期間、クラスでトップ、学年でもトップクラスをキープしました。進学先でもなんとなく上位にぬらりくらりと居座っていました。

確実にあの家庭教師の先生は私の人生を変えたひとりです。

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