自我持つ薄桃色のもこもこ

#彼女と宇宙とぼくの話

 アンドロメダ銀河の果てに、リブラ星というつまらない田舎星がある。連星の太陽の周りをきっちり48地球時間で公転している忙しない惑星で、つまり一年は2地球日に相当する。盆と正月だけでできたおめでたい星と言えなくもない。そんな太古の、古代の、寂れかけ化石文化を知っているものがいるのかはわからないけれど。

 人口は約10人から13人。これは警備員の勤務状態によって変動する。永住者は8人だったが、僕の生まれた時に7人に減った。これはまた後で話そう。星々の運行からすれば別に大したことじゃないけれど、僕にとってはそこそこ大きな問題だ。

 赤道の距離は地球の約100分の1。だいたい400Ekmと少しだから、時速40Ekmで走る自動車なら10地球時間で一周できることになる。後に僕が出会うことになる人にもそう教えてあげたところ「だいたい東京から神戸くらいね」と言っていた。トーキョーとかコーベというのはこれまた古い地球の地名らしい。彼女は何十世紀も前の地球のことをよく知っていた。特にニッポンという人類種の旧自治共同体の文化について詳しいみたいだった。さっきの盆と正月というのも、実はその人から教えてもらったものなのだ。

 それで、なんだってそんなつまらない小さな惑星について語っているかというと、これはまたオメガバース間を行き来する超人たちの逸話と違って本当にちっぽけな事情で恐縮なのだけれど、僕の生まれた星だからだ。

 ところでなるたけ早いうちに断っておくと、ぼくは人類種ではない。それどころか代謝機能を備えた「生物」の枠組みにも仲間入りできないろくでなしだ。別にコンプレックスを感じたりはしていないけれど、色々と不便なこともあった。なにせ星間連絡船の切符なんてペット枠でしか買えないのだ。ガニメデケルベロスや獅子座生まれの赤タテガミなんかと一緒に狭苦しい檻に詰め込まれることを想像してみてほしい。

 ……いや、話が逸れた。それでぼくが何者なのかっていうと、やはりというか勿体ぶるようなものではない。ぼくは「ナレッジ・ホイップ」。まあ最初にリブラ星のことを話した時点で察しのいい人であれば気がついたことだろうと思う。

「ナレッジ・ホイップ」といえばリブラの唯一にして最大の特産品だ。

 専門的な文脈だと情報素とも呼ばれる甘く濃い大気。どういうわけかリベラの他では宇宙全土を探しても見つからないこの気体をシリウスの核内と同じ圧力環境下で圧縮したものが、一般に「ナレッジ・ホイップ」という商品名で流通していたあの薄桃色の物体なのだ。一時は直接知識定着型の最先端学習教材(ぼくらの性質について彼女は「アンキパンみたいね」と言っていた)としてアンドロメダじゃ売れ筋だったものだけど、今じゃ平行次元学習システムを嫌うヴィーガンの人々くらいしか使ってないかもしれない。

 まあ、ぼくらの商品的価値についてはどうでもよくて、今は「ナレッジ・ホイップ」は情報を際限なく転写できる性質があるってことを思い出してくれればいい(もし知らなかったらこれを機に知ってくれればいい。そして僕の独白に聞き飽きたら忘れてくれていい)。でも情報素はただの気体でしかなく、圧縮加工済みの「ホイップ」もいわばアンドロイド連中の使う外部記憶バックアップみたいなもので、それ自体に意味はない。単なる情報の集積体だ。無論、普通であればそこに意識が生まれることもない(意識をどう定義するかにもよる。例えば01という羅列が10に変化したことを自らが自覚すればそれには意識がある。逆に01でも10でも、H2OでもH2O2でも気にしないような連中には意識がない。たぶん)。まあようするに、ぼくの場合はちょっぴり普通じゃなかったってことだ。

 「ぼく」が産まれたのは、秋晴れの爽やかな日だった。ちなみにリベラの秋晴れとは盆の日の午前中が晴れていることを指す。

 その日もリベラの狭い狭い地表上では「ナレッジ・ホイップ」を生産する自動工場がうぉんうぉんと音を立てて稼働していて、ぼくもまたその内の一つで「生産」されていた。もっともこの時点ではまだ「ぼく」という主観上の意識はない。せいぜいがダクトパイプの組成やざらつき、ひんやりした感触といった情報を漠然と取り込んでいたにすぎない。もしもそのまま何事もなければ、ぼくは一介の「ホイップ」として加工・出荷されていたことだろう。けれどその日は事件が起きた。リベラ星が人類種に開発されたことを第一の事件とするなら、これはまさしくリベラ星が入植されて以来最大の事件だった。

 とはいえ事はそう複雑でもない。とある工場(ぼくがいた工場だ)でこれといった前触れもなく圧縮炉の出力が極端に下がったのだ。さっきも言ったけれど圧縮路内部では「ホイップ」生産のため基本的に恒星の核内の状態が保たれているわけで、一つでも弾け飛ぶとなるとリベラどころか周囲の衛星ごとまとめて宇宙の藻屑になりかねない。どうせどの衛星も不毛の地には違いないが、そういう極端な事故は工場の経営会社の株価にもよろしくないという事で、非常時のためにリベラには人間の技術士兼管理者が置かれているのだ。それが最初に少し触れた8人の永住者。もっとも新宇宙誕生くらいの薄い確率でしかそういった事故は発生しないと想定されていたらしく、コスト削減のために管理者は普段はコールドスリープの状態に置かれていた。

 結論から言うと、これがよくなかった。

 予期せぬ事故の発生により予定通り叩き起こされたのは、管理者の中でも最年少のアルスア=A=12689という不運な男だった。彼はけたたましく非常事態を告げるアラームの指示で現場へと向かったのだが、これが実に320年ぶりの活動であり、すっかりと寝ぼけてしまっていたのだ。

 アルスアは寝ぼけ眼をこすりながら不具合の原因を探るため、圧縮炉内をモニタリングしているデータ類をあれこれと調べた。しかしいくら調べてもとんと不具合は見つからない。だが警報装置はがなり立ててやまない。同僚はコールドスリープ装置の中で、叩き起こそうにもその権限は彼にはない。権限を持ち、かつて自分をこの辺境に派遣した昔の上司はみんな故郷の惑星の墓の下だ。彼は激しく苛立ち、焦燥にかられ、これはもう圧縮炉の内部を暴いて直接点検するしかないと確信することとなった。しかし重大な装置を運用する際に、こうした焦りとか短気とか、ましてや寝ぼけている状態などは不適格というほかないのだ。

 彼は予め用意された「ナレッジ・ホイップ」に関する20Ekg分の取扱プロトコルの実に9割を無視して、恒星シリウスの核内を擬似的に再現した炉を開いた。何が起こったかは言うまでもないだろう。ほんのゼロコンマゼロゼロゼロゼロゼロ秒以下の、辛うじて幸運なことには僅かばかりの苦痛を感じる暇もないくらいの一瞬のうちに、アルスア=Aという主観意識は消滅した。
 そして、たまたま炉内で圧縮処理されていた「ぼく」は、甚大な圧力差で吸引されてきたアルスアの情報を、次の瞬間には余すことなく転写していた。それは彼の溜め込んだ知識や、子供の頃の経験や、母親のぬくもり、ガールフレンドとの甘酸っぱい思い出、その他諸々の経験に留まらず、アルスアという主観意識情報もまた含まれた。

 端的に言って、ぼくはアルスアを取り込んだのだ。

 こうして「ぼく」という主観意識を持った奇妙な「ナレッジ・ホイップ」が産まれたわけである。もちろんアルスアの記憶は残っているが、ぼくは彼とは違う。意識も地続きじゃない。自信を持って断言するが、ぼくと彼は別人だ。そもそもアルスアは人類種で、ぼくはなんだか薄桃色のもやもやした物体だ。それらが同一なんてことが、どうして言えるだろう?

 ところでこれは余談だけれど、アルスアが炉に吸い込まれてから、不思議なことにこれまでの不調はピタリと止んだ。原因はわからない。アルスアの持っていた知識しかない僕にわかるはずもない。それでも個人的には、連星の太陽から放射されるγ線バーストが一時的に制御系に影響していたんじゃないかとふんでいる。アルスアもなんとなくそのように考えていたみたいだ。

 けれど「彼女」にこの話をした時には、ぼくの説は一笑に付されてしまった。

 そして、彼女は言った。

「もしその不具合がなかったら、君は産まれてこなかったわけでしょう。だったらきっと、神様のイタズラなんじゃないかな」

 ぼくは無論それに対して反駁した。

「神なんて非合理的な存在を持ち出すなんて君は真面目に議論する気が無いんじゃない? たしかにぼくの存在と誕生プロセスはぼく自身にも不可解だけれど、たとえ神という超越的な存在がいたとしてだよ、そんな不条理を起こす必然性があるとは思えないけどな」

 でも、ぼくがいかに「すかした」理論を並べたところで、彼女の前では全てが無駄なのだ。きっとそのことは、これから彼女について話すうちにわかってもらえることと思う。

「いいや、間違いない。神様が君に産まれて来いって言ったんだ」

「だから、そんな事をする必然性が……」

「だって君と話してるとすごく面白いもん」

 ぼくにはもう、それ以上なにも言えなかった。ただ押し黙って、薄桃色の身体をもくもくやってることしかできなかった。

 それが彼女なのだ。ぼくは自分自身をかなり珍妙な存在だと自覚しているが、彼女の奇天烈さはそれ以上だからたまらない。

 ……ちなみにいま、この文章情報を「ナレッジ・ホイップ」に転写しているあいだ、彼女はもうぼくの側にいない。ずっと遠くに行ってしまったからだ。

 でも、とぼくは常々思う。またいつの日か、彼女はぼくの前に姿を現わすんじゃないか。

 あの日みたいに。

 そんな事が起こるとしたら、それこそ本当に、神様のイタズラかもしれない。

 けれど彼女はこんな事も言っていた。

「二度あることは三度ある」

 ぼくの産まれたことを第一の、ぼくと彼女が出会ったことを第二の因果のゆらぎとするならば……三度目があっても不思議はないだろう?

 これは酷く非合理的な思想。けれど、もし本当に彼女と再開できたなら、その時はぼくの「成長」を自慢してやるのだ。

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