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あの日の背伸びの高さに追いついていく 

私は歌手の吉澤嘉代子さんが大好きである。過去のnoteでも、嘉代子さんへの気持ちをぶちまけた怪文書を投稿した痕跡が残っているので、こちらの記事も参照してほしい。
https://note.com/kuragenomori_/n/n05646cb86db8
(投稿後に嘉代子さんご本人がTwitterで見つけて読んでくださり、リプライで感想までいただいてしまってメチャクチャ泣いた)

嘉代子さんの曲を聴いているとき、私はいろいろなことを考えてしまうのだが、今日の昼間に嘉代子さんのことを好きになった8年前当時のことをたくさん思い出したので、そのことを書いていきたい。

8年前、大学2年生くらいのときに、私は嘉代子さんを好きになった。でも、嘉代子さんを好きになった最初の理由は、嘉代子さんを好きでいることが「なんとなくかっこいい」と思ったからだった。

当時通っていた私立大学で、私はメディア・文学系の学部に所属していて、ロシア文学や東洋哲学、ホラー映画など、とにかく自分が興味のあるのとを片っ端から学んでいた。授業も文学、アニメ、漫画、映画、音楽など、あらゆるサブカルチャーを扱う楽しげなものが多く、たくさんの学生がサブカルの知識を蓄え、自分の好きな分野を極めている。そんな場所だった。
だから、サブカルに詳しければ詳しいほど、みんなが知らないものを知っていればいるほど、好きなものを持っていれば持っているほど、なんとなく"良いね"とされていた(さらにちょっと"変人"だと尚の事良し)。
何者でもない学生たちが全国から集まる大学という場において、飛び抜けた個性を持っている人はそれだけで強者だった。

そして、私が当時TwitterをフォローしていたWEB漫画家の人がサブカルに詳しくて、その人が「吉澤嘉代子さんの曲が良い!」と何度もツイートしてたので、私も影響されて——少しでも「何者」かになりたかったのかもしれないが——吉澤嘉代子さんのことを「好きになってみた」。

実際、嘉代子さんの曲はすごく良い。嘉代子さんは曲を作る際に、いつも曲ごとに「物語」「主人公」を想定しているのだという。たとえば、過去のnoteでも取り上げた、私の大好きな曲「ニュー香港」では、「一度死んでも何度もやり直しがきくゲームの世界で、龍に恋をした少女」の物語がテーマとなっており、歌詞から曲調まで、細かい部分にその世界観が反映されている。聴いた人がそれぞれに曲の中の主人公に感情移入し、まるで小説や映画の中に入ってしまったかのように、嘉代子さんの曲はいつも私たちをここではない別の世界へ連れて行ってくれるのだ。

だけど、本来の自分だったら絶対に聴かない。音楽とか、邦楽とか洋楽とかもよくわからないし。流行ってる曲もそんなに知らないし。あまりにも音楽というメディアに疎く、Twitterであの漫画家が発信していなければ絶対に出会っていなかった。
そんな私が当時、よく聴いていた「泣き虫ジュゴン」という曲も、その漫画家がよく「好きだ、良い曲だ」とツイートしていた曲だった。この曲は、ひとつの完成された世界観を持った嘉代子さんの代表曲で、屈指の人気を誇っている。けれど、当時の私はこの曲を聴きつつも、いまいち実感が持てないというか。いや、嘉代子さんの伸びやかな歌声は素敵だし、良いのはわかるんだけど、なんというかこの曲自体の良さというよりも、「こんなに良い曲を周りの人はあまり知らずに、自分だけが知っていること」の優越感みたいなものをしめしめと噛み締めて過ごしていた。

というのも、嘉代子さんは2013年にインディーズアルバムを発売、2014年にメジャーデビュー、という流れからの当時2015年、まだ「知る人ぞ知る、最近出てきたなんだか凄い才能のアーティスト」という立ち位置の方だった。知っていたら、「あっ、キミ音楽にちょっとこだわりあるんだ?」となるような…(※あくまでも当時の私個人の印象です)。
つまり、"何者か"になりたい私のような大学生からすると、もう嘉代子さんを好きでいること、曲を知っていること、それ自体がステータスだった。今考えれば大変失礼な話で、申し訳なさで爆散してしまいそうになる。これでは嘉代子さんが好きというより「"嘉代子さんが好きな自分"が好き!」といったほうが正しいまである。反省してほしい。

でも、最初は本当にこんな感じだった。これはある種の「背伸び」だった。何者でもなかった私が、とにかく"何か"になりたいと。名前のあるものになりたいと。そうもがくなかで、偶然電子の海で出会ったそれに縋って、しがみついて。本当は聴かないタイプだけど、とにかくやれることからやってみよ、と始めた必死の背伸びだったのだ。

しかし、これは変わっていく。

何者でもなかった私が、本当に何かになろうとしたとき——就職活動のときに、ターニングポイントは訪れた。

当時、志望していた業界が明確にあったものの、箸にも棒にも引っかからず就職活動は悲惨なことになっていた。それまで歩んできた人生のなかで、間違いなく一番の挫折だった。全てがまったく、笑えないほどうまくいかない。
ちなみに、ぶっちゃけてしまうと志望していたのはエンタメ業界だったのだが、そもそもこの業界は「好き」のプレゼン力みたいなものがメチャクチャ大事な業界で、「自分の好きなものをいかに真っ直ぐに熱く語れるか」という能力が求められることが多い。前述のような弊学に通う学生にも志望者はたくさんいた。そんな強者揃いのなかで、私のように、なかば見栄を張るような形で「好き」を偽装した人間は通用するわけがない。

私は結局空っぽだった。"何か"になろうとして、うわべだけ好きになって、中身は全然伴っていない。そんな人間を誰が、どこが必要とするのだろうか?

就職活動はつらい。毎日のようにいろいろな人間、いろいろな会社から一方的に評価され、比較され、たくさんの時間を奪われた末に「お前は要らない」と言われる。
このとき、あまりにも全てがうまくいかなさすぎて、明るい曲を聴くと気が滅入ることが多かった。だから、暗めの曲ばかり聴いていたのだが——ある日、しおしおの気持ちで聴いた「泣き虫ジュゴン」が全く別の曲になっていることに気がついた。

別の曲というのは少し語弊があるのだが、正確に言うと「『泣き虫ジュゴン』を介して見える曲の景色が大きく鮮明に変わっていた」。

泣き虫ジュゴン。イントロでは、水の中にゆっくりと、静かに沈んでいくような、息が詰まる音。しかし、その音は苦しいはずなのに、ずっと昔から知ってるかのようにひどく懐かしく、しっとりと落ち着く。自分の奥底に、雪が積もるみたいに、青く透明な、優しい重さの音が降り積もっていく不思議な感覚。
サビにいくにつれて、さまざまな音が増えていく。けれど、こんなにたくさん豊かな音が鳴っても、この曲の中の「僕」はひとりぼっちなんだと感じる。「僕」はひとりで、誰も見ていない海の深いところでずっともがいてもがいて、必死に呼吸をしている。叫んでいる。歌っている。誰にも届かないとわかっていても。そうしないと、本当に"終わって"しまうから——。
青く深く美しい水の底が、ごぼごぼと透明な泡たちが、これまで感じたことのない彩度で、脳内に再生された。

この曲は——「泣き虫ジュゴン」はこんなに鮮やかな光景をはらんだ曲だったんだ。

昔、嘉代子さんに、この曲に初めて出会ったときとは違う。最初は嘉代子さんの良さもこの曲の良さも、さもわかったようなふりをして、実際は全然わかっていなかった。この曲いいんだよ、って誰かに話して教えて、自分はこんな良い曲を知ってるんだすごいでしょ…ってすることが、すべてだったから。この曲の持つ美しい光景なんてほとんど見えてなかったのだ。

けれど、今はどうだろう。音楽は目に見えないものであるはずなのに、この曲はこんなに色鮮やかに私の目の前に広がっている。
今になって、どうして——?
そう考えて、いや、今だけじゃないのかもしれない、と思った。

2015年、大学2年生のときにこの曲に出会い、就職活動をするまでの間、あらゆる瞬間に一歩ずつ、時間をかけて、私はこの曲に「追いついた」んだ、と思った。就職活動だけじゃない、大学生になっていろいろなことを学び、さまざまなの人と出会い、好きになって、嫌いになって、自分はひとりぼっちだ、と絶望したこともあって。たくさんのことを考えて、想って、感じて。
そうしているうちに、最初は背伸びだったはずなのに、いつのまにか私がこの曲に追いついたんだ。

このとき、私は本当の意味で吉澤嘉代子さんのことを、「泣き虫ジュゴン」のことを好きになれたような気がした。今なら、見栄でも背伸びでもなく、堂々と「好き」だと言えると思った。何者でもなく、何者にもなれなかった私は、このとき初めて「吉澤嘉代子さんのことが大好きなオタク」になることができたのだ。それは、所詮ただのオタクの覚醒なのかもしれない。しかし、私にとってはとても大きな一歩だった。

そんな私も、2023年現在、もうすぐ30歳になる。嘉代子さんは相変わらずメチャクチャ素晴らしい曲をたくさん出してくださっており、本当に感謝が尽きない。そして、私は毎年歳を重ねるごとに、大学生のときには実感が持てなかったあらゆる曲たちに、自分の経験や感情が追いついていっているのを感じる。

あのときはよくわからなかった(良いことはわかるし、嘉代子さんの歌声は大好きだけど、なぜか実感がなかった…)けれど、今は自分のすべてが追いついて、じんわりと染み入るように「良さ」を実感する。こういうことあるよね。こういう気持ちになるよね。朝ってこうだよね、夜ってそうだよね——それは、まるでランプにポッと明かりが灯るように、ぽかぽかとあたたかくて、思わずにやけてしまうほどに嬉しい体験である。

2016年「東京絶景」。新卒で入った会社の新入社員研修で、親元を離れて都内のウィークリーマンションで初めて暮らした日の夜。窓のむこうが車のライトでぽわぽわと明るく、たまに電車の音が響く。このとき、嘉代子さんの「東京絶景」が、初めて体に染み込んだ。今でもよく覚えている。
2018年「残ってる」では、好きな人の家から帰るときの、ぽっかりと心に穴が空いたような寒々しい感覚を。夢のような時間を「過去」にしなければいけない、それをわりきれない子どもみたいな自分の一面を。
2021年「刺繍」。いとしい人を、ただ穏やかに、最後まで想う幸せを。

大学を卒業して、社会人になって、年々、嘉代子さんの曲と自分とのギャップが狭まって、嘉代子さんが曲をリリースしたリアルタイムで、曲が染み渡ることも増えてきた。私の歩く速度が、歩幅が、だんだん曲と並び始めてるんだと感じた。大人になるというのは、こういうことなのだろうか。

何者かになりたくて、もがいてもがいて、何かに縋るように、背伸びをするように、見栄を張るように。始まりはそんな出会いだったけれど、今では、あのとき背伸びをして良かったと思う。歳を重ねるごとに、こんなに楽しい音楽体験が待っているのだから。


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