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吉澤嘉代子さんの『ニュー香港』を聴いて泣いた

2021年3月から今まで、この曲を愛し続けている。
『ニュー香港』。昨年発売された、吉澤嘉代子さんのアルバム「赤星青星」に収録されている一曲。3月にアルバムが発売されてから、もうすぐ1年が経とうとしている。
一昨年に鬱病になってから、この曲と出会って、突然キラキラ光る素敵なものを授かった子どもみたいに、毎日宝物のように抱いて、この1年を過ごしてきた。

1.2020年12月までのこと

一昨年2020年の秋に、突然ごはんが食べられなくなった。おなかは空くのに、食べ物が喉を通らなくて、毎日いちご味のチョコレート菓子(たしか紗々)を食べて仕事漬けの日々を過ごしていた。そのうち、会社のデスクでぼーっとして動けないまま、気づいたら一時間近く経過しているということが増えていった。人目や物音がやたら気になって突然不安で仕方なくなったりして、動悸がした。休みの日には気力がなくて、何もできない。それでも、平日になれば仕事は変わらず膨大で、毎日自分に鞭を打って、たくさんのものに必死で向き合っていた。

けれど、最寄駅のベンチにお尻がくっついたまま動けなくなって、電車を3本くらい見送ってしまうような日が徐々に増えていって、ある日何もできなくなってしまった。

病院に行くと鬱病の診断がおりて、休職することになった。それが2020年の12月のことだった。

2.2021年2月までのこと

休職期間がスタートしてからは毎日何もせずに、たくさん寝て、昼過ぎに起きて、窓から空を見て過ごしたりしていた。心の場所はわからないけど、なんか胸のあたりがもったりと重くて、時間はたくさんあるのに何もできなかった。

仕事のことが頭をよぎって、逃げてしまった自分が本当に申し訳なくて、胸がズンッと痛む。休職しても、いる場所が会社じゃないだけで、現実は変わらない。会社と家は同じ世界にあって同じ空で繋がっている。私は今も同じ世界の誰かに仕事を押し付けていて、ちょっと違う場所で呑気に空を見上げている。
自分は仕事から逃げただけで、結局この世界からは逃げられない。自分が置いてきたもの、押し付けてきたもの、中途半端になってしまったもの、あらゆる残滓は全部私といつまでも見えない糸で繋がっている。うまく言えないけれど、この世界に自分の痕跡が残っていて、その痕跡を散らかしたまま自分がカッコ悪く退場してしまったことが、たまらなくつらくて悲しかった。

好きな仕事だった。新卒で入った会社を半年で辞めてまで、この業界に飛び込んだ。何も知らないし、未経験だったけれど、ずっとやりたかったことだったから、一生懸命やってきたつもりだった。自分で選んで、自分で決めて、自分で飛び込んだのに、どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。どうしてこんな弱いのだろう。

昔から弱かったから、弱い自分には慣れていたけれど、そのときはなんだか世界に「ほれ見たことか」「ざまぁみろ弱いくせに」と言われているような気分だった。その通りだと思った。

どこかに行ってしまいたいと思った。でも、この世界のどこに行っても、私はずっと、あらゆる残滓や後悔と見えない糸で繋がれている。この窓の向こうの空が見えないところに行きたかった。
そんなものは、存在していなかった。そのときまでは。

3.2021年3月のこと①

私の知らない空が現れたのは2021年3月17日のことだった。吉澤嘉代子さんの5thアルバム「赤星青星」が発売されたのだ。

元々学生の頃から、嘉代子さんの曲をよく聴いていた。『泣き虫ジュゴン』や『残ってる』など、大好きな曲はたくさんあった。そんな嘉代子さんが「恋人」をテーマに新しいアルバムを発売すると聞いて、少し前から楽しみに待っていた。休職している間の、唯一の楽しみだった。

アルバム発売日に配信サービスですぐに曲を聴き始めた。一曲目の『ルシファー』から、グンっと引き込まれて、大好きだった。やっぱり大好き、それ以外の感情が消えた。
けれど、衝撃はその後に訪れた。ピコピコした、特徴的なイントロが流れた。4曲目に収録されていた曲が『ニュー香港』だった。
(アルバム「赤星青星」各種配信サイト
https://jvcmusic.lnk.to/akaboshiaoboshi)

嘉代子さん独特の不思議な世界観。自身が作るひとつひとつの曲に主人公と物語を用意する嘉代子さんだが、『ニュー香港』ではゲームの中の登場人物(龍)に恋する、テレビ画面の前の女の子の話をもとにしている。女の子は龍のために何度も何度もダンジョンに挑む。女の子はプレイ中、ゲームの中の主人公に入り込んでいる。主人公が死んだらゲームオーバーになって、最初からやり直し。そのたびに記憶を無くしてしまう。けれど、それでも何度も何度も生まれ変わって、ダンジョンに挑んで、龍に会いに行く。
(encore「吉澤嘉代子『赤星青星』インタビュー――遠い星に生まれた二人が出会うイメージ」より
https://e.usen.com/archive/sub-archive/37138.html)

ゲームを思わせるピコピコとした不思議なサウンドと、ノスタルジックな歌詞で描かれるのは現実のどこでもない世界。どこかの星。海もあるし、路面電車もあるし、街もあるし、摩天楼がある。音楽はイラストや画像があるわけじゃない。文字と音と嘉代子さんの歌声だけで紡がれる知らない街。主人公の女の子の「何度生まれ変わっても貴方のもとへ行ける」という一途な気持ちが支配する世界。私の知らない女の子の歩む世界は、聴き手である私の頭の中にだけある。
(歌詞参照→ https://www.uta-net.com/song/299478/)

『ニュー香港』は、私に突然授けられた「もうひとつの世界」だった。
気づくと、私は泣いていた。わからなかった。なぜ泣いているのかわからなかったけれど、なんだか涙が止まらなくてずっと泣いてしまった。『泣き虫ジュゴン』でも泣かなかった私は『ニュー香港』で号泣していた。

4.2021年3月のこと②

自分と糸が繋がったあらゆるものから責め立てられているような気がして、どれだけ走ってもどこにも行けないような世界で、ずっと、どうしたらいいのかわからなかった。でも、そういったものにも、大人としてしっかり立ち向かっていかなければならないとずっと思っていた。私にはこの世界でしか生きていけないと、ここしかないと思っていたから。

しかし、そんな私に『ニュー香港』は、別の世界をくれた。「ニュー香港』を聴くと、心がふわっと軽くなった。この曲は、私を知らない街へ連れて行ってくれた。
そこには、キラキラの摩天楼と、女の子が自分の愛のために、傷だらけになりながら、たくさんたくさん頑張っている美しい世界があった。この曲を聴いているときだけは、私は見えない糸で繋がれた自分の残滓のすべてを忘れることができた。

『ニュー香港』の優しくて健気な世界は私に「ダメだっていいよー」と言ってくれているようだった。この曲の主人公は、渦に飲まれても、どうなっても、死んでも、何度でも生まれ変わって何度でも頑張るのだ。

世界は出鱈目なんだから、ダメになってもいいよー。逃げてもいいんだよー。何度でもやり直せばいいんだよー。それでもダメだったら、ここに戻っておいで。この街がすべてを許すよ。
優しく、そう言ってくれているような気がした。
私はこの日、ぐずぐずになるまで泣いて、何度も何度も何度もこの曲を聴いた。

5.それからのこと

それから、もうすぐ1年が経とうとしている。私はこの1年、ずっと嘉代子さんの『ニュー香港』を聴いている。配信サービスの「あなたが1年を通して一番聴いた曲」ランキングでも当然のように『ニュー香港』が1位だった。

『ニュー香港』だけでなく、ほかにも「赤星青星」に収録されている曲はすべてこことは違う、どこか別の世界を持っている。インタビューによるとアルバムのタイトルとコンセプトは「遠い星に生まれた二人が出会うイメージ」であるという。
嘉代子さんがそれぞれの曲に主人公と物語を作っているから、聴き手は曲を聴けば、いつだって遠くの美しい世界に行くことができる。現実でどれだけ悲しくて苦しくて、耐えきれないことがあっても、「赤星青星」の中の主人公たちの世界はいつだって聴き手を優しく包み込んで、ひんやりと澄んだ夜空のような空気で癒してくれる。

昨年夏から復職した。復職しても、やっぱりつらくなることも落ち込むこともあるし、たまにごはんが食べられないこともある。眠れない日もある。それでも、私はそのたびに『ニュー香港』を聴いて、この世界から勝手にいなくなっている。勝手にいなくなってもいいのだ。世界は出鱈目なのだから。

一度鬱病をやってしまうと、もとの健康な心に完全に戻るのは難しいらしい。でも、そんななかでも、この曲を聴いて、毎日少しずつでも頑張れたら、と思う。いつだって私を別の世界に連れて行ってくれる『ニュー香港』は、私にとってお守りのような曲になった。今も毎日、この曲を大切に大切に抱いて日々を過ごしている。

■吉澤嘉代子さん オフィシャルHP
https://yoshizawakayoko.com/
■吉澤嘉代子さん 公式Twitterアカウント
@yoshizawakayoko
■アルバム「赤星青星」各配信サイト
https://jvcmusic.lnk.to/akaboshiaoboshi

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