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ボールペンが食べたかった私はアイシングクッキーを齧った

昔から、「食べられない」モノが食べたかった。

中身のインクが透けて見えるような、クリアピンクのボディをした三色ボールペン
(駄菓子のいちご味みたいなチープな味、もしくは夏祭りの屋台で食べる飴細工のような味がしそう)

日のひかりに照らされて窓がキラキラと青色に輝く、四角くてつるんとしたビル
(あんみつの四角い寒天のような食感で、ほんのりと甘いハッカの味がしそう)

パワーストーン屋さんで売っている、柔らかい艶とまるみがあって、ひんやりと冷たいタイガーアイやローズクオーツ
(キャンディのように舌で転がしたい。キャラメルコーヒー、いちごみるくの濃厚な味がしそう)

ピンクや緑色のころんとした透明容器に入った、とろみのある目薬
(ただただ胸が焼けるくらい甘いシロップ)

幼い頃から、こういうもの全部が食べたかった。
とくに、色を持ちながらも透きとおったものや、つるんとした見た目のものに食欲をそそられたし、それらは想像の中でいつも甘味を伴っていた。

もちろん、実際の味なんて知れたものではないし、たとえばもしビルの壁をガリガリと齧ったとして、ハッカの味なんてこれっぽっちもしないだろう。

けれど、物理的に食べられないとわかっていても、この世にあるいろいろなものが、その可否を問わずに、私の食欲を刺激した。
小学生の私は、お土産にもらったキーホルダーについていたローズクオーツを口に入れて、飴を食べるかのようにコロコロと舌で弄んでいた。ひんやりとしたまるいそれは当然無味だったが、想像の中でははっきりといちごみるくの味がした。ローズクオーツは恋愛に効果のあるパワーストーンらしいから、きっと恋というものはいちごみるくみたいな味がするんだろうなと思っていた。

架空の味覚と架空の食体験。

その体験はとても魅力的で、やはりどこか空虚だった。

いくら想像の中で夢のような食を楽しんだところで、現実にそれを口に含むことは難しく、また食べたところで実際の味覚はお土産のローズクオーツのように味気のないものなのだ。
ずっと、ぶつけどころのない架空の食欲をもて余していた。

しかし、その日々は唐突に終わりを告げる。アイシングクッキーとの出会いは、私に衝撃をもたらした。

アイシングクッキーとは、焼いたクッキーの上に砂糖と卵白を溶かして作った「アイシング」というクリームをのせたお菓子のことだ。そのクリームに色をつけて、キャラクターのイラストやメッセージを描いたりする。見た目にも華やかなデザインが楽しめるし、贈り物にもよく選ばれる。

ただ、クリームといえど、アイシングはすぐにカチカチに固まるので、最終的にクッキーの上にのっているのはほぼ砂糖菓子の塊に等しい。

一度アイシングクッキーを食べたことがある人ならわかると思うが、アイシングの感触はなんとも形容しがたい。ツヤツヤとしているけれど、サラサラともしている。ザラザラとも言えるかもしれない。手で触ってもベタつきはほとんどなく、まるでプラスチックのような、ビニールのような鈍い光沢がある。

アイシングクッキーとは、甘く香ばしいにおいのするクッキーの上に、綺麗すぎるイラストが描かれた不自然な触感の砂糖が……なんだか不似合いな「モノ」がのっている、実に不思議なお菓子なのだ。

私はアイシングクッキーを最初に手に取ったときに、その「食べられる」モノと「食べられない」モノとがかけ合わさったようなアンバランスさのとりこになった。実際はクッキーもアイシングも両方とも食べられるのだが、アイシングの見た目はどう見ても私が今まで出会ってきた「食べられない」モノのそれなのだ。でも、今私の目の前にあるこれは、なんと「食べられる」。サプライズ。衝撃。恋い焦がれた瞬間だった。

アイシングクッキーに齧りついた。歯が固めのアイシング部分をなんとかザクっと通過し、懐かしささえ感じるクッキー部分をさっくりと砕いた。

アイシングは口に含むとじゅわっと柔らかく溶けて、クッキーの優しい甘さと融和する。ふたつが合わさることで食感が少し柔くなり、サクサクと食べることができた。

なんだか夢を見ているようだった。アイシングに齧りついたとき、これまで「食べられない」と思っていたモノたちに、急に自分の欲望が許されたような、そんな不思議な気持ちになった。ボールペンもビルもパワーストーンも目薬も、すべて私にはどうしても手の届かない存在だったけれど、このプラスチックのような見た目のアイシングはザクザクと甘く、じゅわっと溶けて私の胃の中にまで入っていった。

アイシングは食べ物だから当然なのだが、その到底食べ物とは言い難いツヤツヤとしたビジュアルで以て、「食べられない」モノを食べてみたいと思っていた私の欲望を疑似的に叶えてくれたのだ。

アイシングクッキーを食べ終わる頃には、甘いもののあとの幸福感とはまた別の充足感が、私を包み込んでいた。

ボールペンが食べたかった私は、このとき初めて食欲が報われたのだ。

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