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読書記録:後藤明『世界神話学入門』

ホモサピエンスがアフリカで誕生して、新天地を求めて歩き出す。何万年もの旅路。地平線の向こうへ。さらに水平線の向こうへも。

人類がどんなきっかけで世界へ広がっていったのだろうかとぼんやり考えるのが好きだ。ある程度まとまった人数で移動しなければその先で子孫繁栄とはいかないのだし、旅支度をして別れを惜しみつつ当て所もなく出発したのか、それとも『向こうに良さそうな土地がある』と数人で冒険しに行って、目処が立ったところへ一族を呼び寄せたのか。狩猟採集には移動がつきもので、獲物を追っているうちに何となく広がっていったのか。想像すればきりがないが、タイムマシンが無いからはっきりと答えはわからない。

さて、そんな想像に新たな知識を加えるべく読んだのは後藤明『世界神話学入門』(講談社現代新書)。世界中の神話を『ゴンドワナ型』と『ローラシア型』に分け、その似ている要素をたどっていくと人類がアフリカからどのように広がっていったかが分かるのではないか、という内容だった。

確かにアフリカの神話とポリネシアの神話が似通っていれば、それには何らかの繋がりを感じたいところだが。しかしたまたま似ているだけでは?という気持ちも払拭できず。だって人間の想像力は侮れないし、現代よりも生きるのに必要なモノが少ない時代に、思いついたエピソードが地球の裏側でおんなじだとしても驚かない。

でもひとつひとつの神話の比較は面白く、世界の色々な神話をちょっとずつ知れるという意味では興味深く読んだ。



では、神話というキーワードで想像を広げてみよう。

神話はときに『なぜ』への答えとなっている。『なぜ人間は生まれたのか』『なぜ太陽は昇り、沈むのか』『なぜ人間は老いるのか、そして死ぬのか』。日々の暮らしのなかで生じる『なぜ』の理由を誰かが想像して話し、みんなが納得できるエピソードにまとめられ、子どもが『なぜ』と発する度に語られていったのだろう。それがまた新たな想像力をかきたててストーリーが肉付けされ、やがて文字の発明によってその創作は終わりを迎えた。

伝言ゲームの難しさと同様に、神話も文字に起こされる直前まで、加えられたり忘れられたり変形させられたりしながら伝わってきたのだろうと思う。それは誰かが見た夢の内容かもしれないし、信じがたい災害をさらに大げさに言っただけかもしれないし、誰かを陥れるための悪意ある思いつきかもしれない。

ふと、幼い頃に繰り返しおなじアニメを見ていたことを思い出した。ビデオテープに録画されたとなりのトトロ。母によれば、私は毎日のようにトトロを見ていたという。なぜ飽きなかったのか、おなじアニメを繰り返し見ることにどんな意味があったのかと不思議に思っている。

まだ狩猟採集をして暮らしていた人類も繰り返し同じ神話を聞いていたのだろうかと思い巡らす。飽きることなく何度も何度も。星を見上げながら、もしくは焚き火を囲んで、時には空腹を紛らわすために。

幼い私がトトロのストーリーをすべて理解できていたわけではないだろう。しかし繰り返し見たくなるような魅力があったはずだ。神話もきっと幼いうちは理解できない。でも語り手の怒った神様のマネが面白いなぁとか、主人公が無事に帰れて良かったなぁとか何か心を動かされながらぼんやり聞いていて、終わるともう一度聞きたくなる。何度も聞くことで次第にストーリーを理解し、並行して共同体のルールや教訓が理解できるようになっていく。やがて名作となった神話は何世代にもわたって語り継がれ、文字に起こされ現代まで残って、何万年後の子孫である私の心に響く。

ではトトロはいつまで名作でいられるだろう。ネコ型のバスが空を飛べる技術が開発されても、どんぐりが一晩で発芽できる方法が編み出されても、ファンタジーと感じられるだろうか。いや、それでも遥か遠くの子孫たちを惹きつけるだろうか。惹きつけてほしいなぁ。



さて、急に秋が来ましたね。今日は久しぶりに長袖を着ての出勤でソワソワしました。今年の秋は長居してくれるでしょうか。それともすぐに冬が来てしまうのか。

ひとまず台風が何事もなく過ぎ去りますように。

では。

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