【エッセイ】ウィッカという生き方

「魔女になりたい」

 子どものころ、魔女に憧れていた。
 ビビりなくせに、オカルトやゴシックホラーの本や映画が好きだった。
 思春期になると周りの目を異常に気にするようになった。

 好きなものを「好き」と公言する事に恐怖を感じ始め、友達の影響で興味の対象が変わった。

 自分が見えない世界や占い、オカルトに興味があり
 そういうものを信じている事は心の奥深くに鍵をかけて沈めた。

 気づけば人から認められる事、社会通念に沿った生き方をしていれば安心で幸せだと
 そのレールから外れたら、不幸。人から馬鹿にされるんだなと、思い込むようになっていた。
 このような意識で結婚したもんだから、もちろん結婚生活は上手くいかなかったし離婚した。
 ここで呪いを自分で解く事に成功している。 呪いを解いた件についてはこっちで話しています。

 
 夫婦仲は日に日に悪くなり離婚が成立する日までは暗黒の毎日。
 闇をさまよう私にとって、救いが必要だった。
 思春期で恥ずかしさ、背徳感、同調圧力から封印した
 占いや精神世界をもう一度私の世界に開け放した。
「今ここ」にいる自分を確かめるために占いやスピリチュアルを使った。


 離婚後も、占いやスピリチュアルの学びは続いた。
 まずやめるという選択肢はなかったし、以前の様に隠す必要もなかった。
 そもそも誰かに「私は占いが好きなんです」と話すつもりもない。
 ただ占いやスピリチュアルは自分がリラックスできる事だったから、自然に生活の一部になったのだ。
 
 占いを学んでいく中で、世界には「魔女」を名乗る人がいる
 という事を知った。
 現代社会において魔女?と胡散臭さしか感じなかったが、
 かつて私は魔女に憧れた少女だった。
 魔女という響きに惹きつけられたし、興味はとてもそそられる。
 調べてみると、現代魔女たちは「ウィッカン」と自称したり呼ばれたりす  るようだ。

 かなりアバウトな説明だけど、「ウィッカ」は自然信仰、
 女神信仰の宗教。
 「魔女宗」とも呼ばれる。
 「ペイガン(異端)」という意味合いもあるみたい。異端っていうのは差別 的表現もあるらしい。
 (全部「みたい」「らしい」など曖昧表現ですみません)
 つまり、ウィッカンはウィッカを信仰する人たちの事。

 ウィッカは、自然への敬意、畏怖、感謝を示す。
 ウィッチクラフトという魔術を施したり、
 古代ケルトの暦にそった四季折々の儀式を行う。
 魔術や儀式といっても、人を呪ったりするようなネガティブな黒魔術ではない。 
 ウィッチクラフトはよりよく生きる為、よりよい人生を送る為の白魔術の目的で行う。
 
 それに、ウィッカの教えでは
「行った事は善行も悪行も、全て3倍になって帰ってくる」というものがある。
 因果応報とは、仏教でも言われる考え方だがウィッカの場合はそれが3倍。
 だから人を呪おうとか、誰かを陥れようとかそんな事の為にウィッカは魔術を使わない。

 そして私が大好きで大切にしているウィッカの教えの一つ。
「何者も傷つけない限り、汝の望むことをせよ」

 私はこの言葉に深く感銘を受けた。
 誰にも何にも害がないなら、何でも好きなことをしていいのだ。
 自由に好きな事するってワガママなんじゃないの?って思うかもしれないが、
 「迷惑をかけないならOK」という制限が入っている。
 短絡的だけど、これができれば世界は平和になりそうだと感じた。

 そこからウィッカについて調べまくった。
 まだ日本には浸透していないようだが海外の情報が沢山得られた。
 今頑張って英語のyoutubeや文献で学んでいる。
 
 気づけば「私もウィッカを信仰したい」と自然に思っていた。
 私にとって宗教とは、ただ家が仏教だからそれに伴って行事や
 するべき法事などを行う。そういうもの。
 別に私の心の拠り所ではない。ただ敬意は払うべきもの。
 お墓参りはきちんと行って仏壇には手を合わせる。
 それくらいの信仰心だった。

 しかし離婚後、精神世界の事を知るにつれて
 自分の中に「信仰」が欲しくなっていた。
 確固たる信じるもの、
内側との繋がりが欲しいと感じるようになっていた。
 自分が本気で信じ、向き合える宗教ってなんだろうと考えていた
 そんな時にウィッカと出会えたのだ。

 元々「自然や万物に神が宿る」という考え方は持論としてあったし
 私にとってウィッカの考え方は納得できるものが多い。
 私が信じているものはウィッカだと、学ぶほどに確信できた。
 
 今の状況とか宗教観とかいろいろ考えるところはあるのだけど
 (ここも今度noteで書こうと思っている。)
 今「私はウィッカです。魔女です」と胸を張って言えるようになった。
 
 ウィッカを信仰するにあたり、キリスト教の洗礼や
イスラム教の信仰告白のような儀式は必要ない。
ただウィッカも教義、グループに所属する場合は
 そのグループのイニシエーションを受けないとダメというルールはある。
 しかし私はソロのウィッカとして生きていくつもりなのでやらない。
 つまり、「私はウィッカを信仰しよう」と決めた瞬間から
 私は魔女になったのだ。

 魔女になったからって、何が変わるわけでもない。
 ただ私自身の世界の見え方が変わった。
 自然への感謝や季節を大切にする気持ち、
 自分を大切にする気持ち
 自分と向き合う時間は格段に増えた。

 まだまだひよっこ魔女見習い。
 これからどんな修行が待ち受けているのか、ワクワクしている。

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