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『花束みたいな恋をした』と仕事との距離感について

久しぶりにnote書きます。

みなさんは2021年に公開された『花束みたいな恋をした』という映画を観たことがあるだろうか。菅田将暉、有村架純が主演の恋愛映画である。

ネタバレしつつ、自分が考えたことをつらつらとまとめようと思うので、ネタバレ嫌な人はこここで引き返してください。

ちなみに軽く自己紹介をすると、30代男性、教員です。メンタルダウンを経験して3年間休職しました。その後復職し、「5年後も笑って働く」を目指しています。よろしくお願いします。



映画の内容をまとめると、

①読書やサブカル好きの男女が出会う
②意気投合して付き合い、同居を始める
③お金がなくなる
④彼(菅田将暉)が彼女との現状維持を目標に、働き始める
⑤彼、仕事で疲弊してパズドラくらいしかできなくなっていく。
⑥彼女(有村架純)、自分の好きなことを大切にしながらバイトを続ける
⑦価値観のすれ違いが起こり始める
⑧小説を楽しんでいた彼は、ビジネス本などを読むようになっていく
⑨すれ違いから別れを決断する
⑩最初にデートしたファミレスで笑顔でサヨナラする。

だいたいこんな感じ。

この映画のエグいところは、彼が彼女との生活を維持するために労働を始めたのに、それが価値観のすれ違いを生んでしまうところ。

この男女は小説を読んだり、カルチャーに触れることが楽しくて、お気に入りの作家もたくさんいて、小川洋子さんの小説とか読んでいる。

初めて彼の部屋に行った彼女が、「ほぼ、うちの本棚じゃん」と言うくらい、感性がぴったり。ポケモンやって鬼滅の刃を観るのではなく、ゼルダやって流行りじゃなくても好きな映画を観るくらい、なんというか豊かな人たちなのだ(伝われ

でも、彼は労働を始める。好きなイラストを描いて少ない給料をもらうだけではダメだったので一般企業に就職する。

ブラックとまでは描かれていなかったと思うが、それでも土日出勤もある。スーツ着て先輩と営業回って「ここの苦しみを乗り越えたらあとは楽だから」と言われて「そっすね…」と言う日々。

彼はつらい思いをしながらも社会人として適応していく。一方で彼女は「好きなこと」を大切に、自分のフィーリングでバイトをする。価値観のすれ違い、喧嘩、別れ。

お互い「これでよかったんだ」と涙と笑顔で別れる。本当に花束のような恋。綺麗な瞬間は素晴らしいけど、その期間は限定的だった。

ダメじゃん。労働って悪じゃんと思った。

労働がなければ、それが過酷なものでなければ、彼と彼女はもう少し現状維持ができたのかもしれない。

例えば週休3日だったら。労働時間が6時間で残業がない世界線だったら。疲れ果ててパズドラしかできずに過ごすのではなく、彼女と新しい映画を楽しむこともできただろう。

僕自身が労働との距離感を間違えて、ワーカホリックになり、メンタルを病んだ経験があるので、映画のラストを観て、しばらく動けなかった。

うつは簡単に言えば脳の疲労だ。疲労が大きいと、人は小説が読めなくなる。読んだことがある漫画は読める。パズドラはできる。でも長い映画にチャレンジするのは難しくなる。

映画の彼(菅田将暉)はうつではない。それでも、彼の生活から「好きなこと」の固有名詞が消えていった。彼女と一緒に読んでいたゴールデンカムイの続きができない。オープンワールドのゼルダの続きをやることができない。

疲れて果ててしまったのだ。

何のために彼がそんなに疲れたかと言えば、大好きな彼女との生活を続けるため。悲劇すぎる。まるで自分たちを納得させるかのようなラストに、僕は賛同できなかった。

というか学んだ。労働とは適切な距離を取らなきゃ。生きるために働くのであって、働くために生きるわけではない。

仕事の優先順位を下げよう。自分の健康、家族の幸せ、その次に仕事だ。好きなことができる余裕を持とう。好きなことの数が減っていっているなら、仕事の頑張りすぎのサインだ。

流行りの漫画を読んで「何これめっちゃ面白いやん」と思ったり、新しい映画を観て「こんな映画に出会えてよかった」と思ったり。そういう時間を大切にしていきたい。

労働に飲み込まれないように生きよう。

『花束みたいな恋をした』は「働くってなんなんだろうな」と思ったことがある人に、一度は観てほしい映画。仕事との距離の取り方を考える教材のような作品。

『花束みたいな恋をした』を切り口に労働を考える評論があれば読みたいし、作品を観た誰かとスペースで語りたい。そんな気持ちを持っている。

おわり。

※スタバで記憶を頼りに書いたので、細部は間違っているかもしれません。気になった人は作品を観てみてください!

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