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ぼくらのヒマは搾取されているのか『暇と退屈の倫理学』感想②

今日は『暇と退屈の倫理学』の感想の続きを書いていきます。

前回の感想はこちら。

まず、人間は、せっかく手に入れた暇を持て余してしまいます。

僕の場合、退屈から逃れるために、YouTubeを見たり、Twitterのタイムラインを眺めたりしてしまいます。暇つぶしというやつですね。

「あー、時間を無駄にした」「もっと何か生産的なことがしてぇ」と思い、自分は最近は読書をして、その感想をnoteに書いている次第です。みなさんはどうですか。

この点について、『暇と退屈の倫理学』には次のように記述されています。

資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのかわからない。自分の好きなことが何なのかわからない。そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。
『暇と退屈の倫理学』
なぜ暇は搾取されるのだろうか?それは人が退屈することを嫌うからである。人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのか分からない。このままでは暇のなかで退屈してしまう。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得る。では、どうすればよいだろうか?なぜ人は暇のなかで退屈してしまうのだろうか?そもそも退屈とは何か?
こうして、暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかという問いがあらわれる。〈暇と退屈の倫理学〉が問いたいのはこの問いである。
『暇と退屈の倫理学』

どうでしょう。

私たちは暇を搾取されている?


今の資本主義社会では、余暇の過ごし方でさえ、「おすすめ」されます。

「こんな映画が人気ですよ」「こちらのアニメは観ましたか?」「キャンプに行くならこれを揃えましょう」いった具合です。

ここからは個人的な考えになるのですが

僕はこの、暇につけ込むコンテンツ(アニメや映画など)に、ある程度乗っかってもいいのでは?と考えています。

というのも、メンタルダウンして、読書も含めた好きなことができなかった時、

自分を支えてくれたのは、漫画と、Amazonプライムビデオがおすすめするアニメや映画だったからです。

『鬼滅の刃』が流行っていたら全巻買い、『呪術廻戦』がアニメ化されたらプライムビデオで視聴しました。『007』シリーズを予習して、最新作を映画館で観ました。

そうやって、流行りのものに触れることで、孤独を和らげていました。自分は世間や社会と繋がっているという意識を持ちたかったのだと思います。あれはあれでよかった。

しかし、体調が回復して、復職したら、自由に扱える時間が減りました。当たり前ですよね。仕事に行き、家事をして、育児をしたら「自分の時間」は一日1時間ほど。

その1時間で、何をしているのかと言えば

①Twitterのタイムラインを見ている
②ゲームをしている(ポケモンアルセウス)
③『スパイファミリー』を観ている
④ジャンプ+の漫画を読んでいる

「将来に向けて資格を取るため勉強をしなきゃ!」と思うほど意識は高くないのですが、「さすがにこのままでは良くないのでは?」とも感じていました。

そんな時に読んだのが『暇と退屈の倫理学』でして、

「もっと暇を有効に使おう。コンテンツを消費するだけの自分から卒業式したい」と思うようになりました。

✴︎

再び、『暇と退屈の倫理学』の引用を見てみましょう。

退屈と気晴らしについて考察するパスカルの出発点にあるのは次の考えだ。
人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうもできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招き入れている。
『暇と退屈の倫理学』

疲れてしまうのに、ウサギ狩りに出かける人を批判した文章です。

今で言うと魚釣りでしょうか。それが気晴らしにすぎないのに、自分が熱中できるもの(趣味)だと思い込んでいると、パスカルは言いたいようです。

また、退屈の定義についての記述は以下の通りです。

退屈とは何か?ラッセルの答えはこうだ。退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。
どういうことだろうか?ラッセルの言わんとするところを理解するためには、ここで「事件」が何を意味しているのかを明確にしなければならない。
ここで言われる「事件」とは、今日を昨日から区別してくれるもののことである。
『暇と退屈の倫理学』

確かに昨日と違う今日を求める気持ちはわかる。昨日よりマシな日にしたくて、映画を観に行ったりする。でも、そこで資本主義につけ込まれて、大して観たくない映画を観ている自分もいるのでは?どうしたらいいのだろうか。

現代人が暇を有効活用するには?

個人的には、以下の2つが、「暇を搾取される」の具体的な対策だと思います。

①コンテンツを消費するだけでなく、コンテンツを作る側にもなってみる
②コンテンツを楽しむ。ただし、本当にやりたいこと?と自分に尋ねてみる

まず、①なんですけど、具体的には、noteを書くなどして、自分でコンテンツを作るのがいいです。これは能動的なもので、やりがいも感じられます。

消費者から生産者に回るイメージ。

しょぼくてもいいので、コンテンツを作る。なんなら自分自身をコンテンツ化する。

※この点について、おすすめは『書くのはしんどい』の竹村俊助さんのnoteです。みんなもコンテンツ作ろう。


次に、②ですが、コンテンツにあふれる現代ですから、もう楽しんでしまいましょう。そういう開き直りもきっと大事。

『タコピーの原罪』が流行ったとき、面白いなーと思ったのですが、何より面白かったのがTwitterで流れてくるみなさまの「分析」と「感想」でして。

ネットやSNSで調べれば、他者の「反応」がいくらでも手に入る時代。みんなでワイワイ楽しむことは、僕は悪いことじゃないと思います。

ただし、「今これ、本当にやりたいこと?」と問いかけることは、時々やりたいなと。

なんとなーく消費しすぎていたら、自分の時間の使い方を見直すのがいいと思います。

大変長くなりましたので、この辺で筆を置きます。『暇と退屈の倫理学』ぜひ読んでみてください。

意欲が枯れなければ、感想第三弾を書きます!

この記事があなたにとって素敵なコンテンツになっていれば幸いです。

おわり。

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