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退屈と生きていくには『暇と退屈の倫理学』感想

『暇と退屈の倫理学』を読み終えたので、今日はその感想を置いておきます。

自己紹介をすると、30代男性、教員です。メンタルダウンを経験し、3年間休職をしました。なんとか回復して復職しました。今は「5年後も再発せずに元気に働き続けるためにはどうしたらいいのか?」を考えている人です。よろしくお願いします。

『暇と退屈の倫理学』では「退屈って何なの?僕たちはどう生きればいいの?」という問いについて考えていく本なんですけど

様々な哲学者の考えを引用しながら、筆者が考察を進めていくのがとても面白いんですよね。しかも素人でも脱落しない程度にわかりやすく、根気があれば読み進められるように工夫が凝らしてある。

読んで高尚な気分になる本ではないし、何か明確な答えがあり、こちらの気持ちがスッキリする本でもない。シンプルに知的好奇心を刺激され、心の中の熱が呼び覚まされるような、そんな一冊です。

こんな本が792円で読めるなんてヤバいっすよ(語彙力

簡単にまとめます。実は退屈には3タイプあります。

①バスを待っているけどなかなか来なくて退屈

→これは「気晴らし」で対処可能。スマホを見るなり、周りを散歩するなりでなんとかなる。

②友人のパーティーに参加して楽しいっちゃ楽しいけど退屈

→これは対処が難しい。退屈と「気晴らし」が混ざっている状態。どうやって抜け出せばいいかわかりにくい退屈

③なんとなく退屈

→あるとき突然襲ってくるタイプ。「気晴らし」で逃げることも可能といえば可能。実は、自分の行動や習慣、考え方を変えるチャンスにもなりうる。

筆者は②のパーティーにいるけど退屈が一番やっかいだと言っています。昨日と違う今日を積み重ねるためにパーティーに来たのに、結果的に退屈。おかしいな。「気晴らし」のはずなんだけどな。

今日はみなさんに、2つの質問を投げかけたいと思います。

最初の質問です。みなさんは、この退屈わかりますか?

たぶん、わかる人、わからない人いると思います。僕はわかるタイプです。にこやかに振る舞うけれど時間を持てあますタイプです。何度かトイレに行って時間をやり過ごすこともしました。

今度友人の結婚式があるんですけど、今度こそトイレに行かずに楽しみたいなーと思います。

話が逸れました。

2つ目の質問です。みなさんなら、この退屈からどう抜け出しますか?





「パーティーに参加してみたけど退屈」という例を出したのはハイデガーなんですけど、筆者は「じゃあこれをすればよかったのに」という解決策を、結論の章で提示します。

それは、味わうことです。

いつもと変わらぬ料理。いつもと変わらぬ音楽。いつもと変わらぬ会話。

そう結論づけてしまわずに、出された料理を味わってみる。会話を楽しんでみる。音楽に耳を傾けてみる。

メンタルダウンを経験したことがある人はわかると思いますが、これ、「マインドフルネス」に通じる考え方なんですよね。今この瞬間を味わうという。

筆者はもっと細かく、慎重に言葉を選んでいるので、自分の解釈は間違っていることもあると思います。すみません。

でも、

このパーティーにいるけど退屈だ、というのは人生そのもので

僕たちは、退屈と気晴らしが混ざり合った中で暮らしている。

その中で幸せに生きていくためには、

目の前にある料理を味わうような、味わおうとするような、ある意味での「訓練」が必要なのかもしれない。その「訓練」の繰り返しを楽しんだ人が、「生きててよかったー」と思えるのかもしれない。

そんなことを考えました。

この『暇と退屈の倫理学』は他にも面白さがあります。

人は部屋の中でじっとしていられないから不幸になるんだ。なんでわざわざ休日に疲れてしまうのに、ウサギ狩りなんかに出かけるの?
「消費」と「浪費」ってどう違うの?どうして筆者は、「消費」ではなく「浪費」をしようと主張するの?

というような問い、そして筆者の提示する答えが面白いんですよ。(引用にしてますが、僕がかみ砕いた文章で、本書の記述はもっと丁寧です。)

特に、「消費」と「浪費」の違いを考えるところでは、こちらのお金の使い方や、労働に対する価値観を見直す機会となります。ここについてはまたnoteに書きますね。

今日は『暇と退屈の倫理学』の感想をつらつらと書きました。もしよかったら、読んでみてください。あなたの感想も読んでみたいです。

おわり




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