自己肯定感が低すぎる。③(〜向上心編〜)

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」

これは夏目漱石の「こころ」で先生と呼ばれる男がその親友Kに放った言葉だ。教科書に載っている「こころ」、そしてこの一節を読んだ高校生のわたしは、先生の行動はともかく、このセリフに関しては「その通りじゃないか」くらいに思っていた。この言葉がなぜこんな風に「こころ」の中で目立つのか、Kが命を絶つという道を選んだ原因が恋敵の先生に卑怯な手を使われ裏切られてしまったことだけなら、このセリフは果たして必要か、よく分からなかった。向上心がなく、努力しようともしないのはそりゃあ馬鹿だし、正論でしょう。

そんな風に思ったことのある人はわたし以外にもいるだろうか。わたしは、わたしのこころにその言葉が突き刺さるまで、この言葉が時に死に至る傷になることに気づかなかった。

時は流れわたしは高校を卒業するが、「大学入学後、やりたいことリスト」なんて作っていたほど向上心の塊だった。留学もいいし、スポーツを始めるのもいい、もちろん勉強も頑張りたい。そんなわたしはある経緯でとある先輩と交際することになった。

どうしても恋愛感情を持てず、お断りしたのだが、彼は激しいアプローチを続け、断っても断ってもコバンザメのようにくっついてくる。その状態で約二ヶ月が経過したものだから、困ってしまった。そして、好きになれるかどうか分からないことを了承してもらった上で、根負けしたのだ。

しかし、その先輩、いわゆる「メンヘラ束縛男」だったのだ。理系という場所にいる以上、周りは男の子ばかりなのに実験ペアが男の子だと分かると途端に怒り出したり、PCのLINEを覗き見てただの業務連絡だというのに相手が男性というだけで手のつけようのない不機嫌になってしまう。一人暮らしのわたしの家の合鍵は渡すように言われ、ほぼ転がり込んできたも同然の先輩はわたしの家に居座り、自分の分の家事もさせ、お金を貸すようねだってくる。わたしが趣味に没頭していると「集中しすぎて怖い、キモい」と言ってくる。バイトは女性ばかりの職場でないといけない。彼の悪行を書いていたらキリがないのでこの辺でやめておこう。

今のわたしが見ると、その当時周りの子たちに言われていたように「逆らえばいい」のだが、なぜだかそれができず、先輩の機嫌を損ねないことばかり考えていた。洗脳、というやつだろうか。

先輩が相手をしてほしい時に相手をするため、気持ち悪がられないため、趣味はしない。習い事もしたかったけど、先生や周りの環境に男性がいたらできないし、こっそりやるにも難しい。そうしてどんどんやりたいことも好きなことも、なにもかも分からなくなってしまった。几帳面な性格からきっちりこなしていた家事も、なぜか適当になっていく。気づいたら、起きるのも、明日が来るのも全部投げ出したかった。

何もできない。やらなきゃ、とは分かってる。ちゃんとしたい。ちゃんとしていない自分が嫌だ。なんで身体が動かないの。ああ、機嫌を損ねちゃダメだ。あの人の言うことを完璧にこなすロボットになれたらいいのになぁ。どうしてわたしは人間なんだ。人間だから、こんなに苦しい。苦しいとか辛いとか、そんなの感じなくなっちゃえばいいのに…

そんなことを考えながらベッドに入り、今日眠ったら気づかぬうちにこのまま死んで、明日が来なければと願うようになった頃。

「向上心のなくなったお前は嫌いだ。お前のこと好きじゃなくなった」

あの消極的な馴れ初めから1年経ったくらいのころ、先輩にそう告げられた。彼が言うにはまだ付き合っていてやるから、もう一回俺に好かれてみろ、ということらしかったが、わたしからしたらそんなことよりその言葉そのものが問題だった。

ああ、Kを死へと導くこの言葉。やっとその意味がわかったんだ。向上心がない、持ってないんじゃなくて、できないほど苦しい時に投げられるこの言葉は、ナイフだ。今にも壊れそうなわたしのこころは、もうバラバラだ。「やらない」んじゃなくて「できない」んだよ。

それからというものの、わたしは本当の本当に何もできなくなってしまった。朝起きること、食べること、家事をすること…できないくせに「ちゃんとしない」自分を責める悪循環の完成だ。

そんな時、先輩が泊まり込みの短期バイトに出た。わたしのことが好きじゃないかららしいのだが、先輩のいないその時間、身体がほんの少し楽になったのだ。久しぶりに遅刻せずに学校に行けた。バイト先で悩みを話した。そうしたら、親身になって話を聞いてくれて、助けてくれる人がいた。

「そんなところにいたら何もできなくなっちゃってもおかしくないよ!」「よく頑張ったね」

そうしてたくさん助けてもらって、綿密に計画を立て、なんとか先輩とお別れすることに成功した。

それから一年以上が経ち、心身ともにかなり回復したと思う。「大学入学後やりたいことリスト」の一部を実行できている。けれど、未だにわたしのこころは、「どうせ自分なんて…」「自分には何もできない」「向上心がないんでしょう、わたし」という思いに蝕まれることがある。簡単に言ってしまえば、自分のやりたいことに対する自己肯定感がとてつもなく低くなってしまったのだ。

あの時正論だとすら思った先生の言葉は、「何もできなくなるほど苦悩している人」にとっては致命傷だと知った。それも、なかなか治らない。

サボっているとか、怠けているとか、そういうことではなく「向上心を持てない」状態になってしまっている人がいたら先生のように馬鹿と言うのではなく、その人の「こころ」を暖めてあげればいいのだ。わたしがそうしてもらったように。


自己肯定感の話はこれで終わりにしようかなと思うのだが、こうやって考えてみると過去にあった出来事が原因になっていることばかりで、いちいち傷ついてたらキリがないしそろそろ克服したいなぁと思ってしまうが、なかなか難しい。治す努力ももちろん必要だが、それも含めて自分だと認めてしまうことも大切な気がする。少なくとも、こんな経験をしてこんな気持ちになることを知っていることは損ではないと思いたい。だって、こういう気持ちを知っていたら、同じような悩みを持つ人に寄り添えるから。




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