恋を知らなくて困っていたわたしが思う恋愛の多様性という課題

「ねえねえ、好きな人、いる…?」

「わたしの好きな人、教えてあげるからあなたのも教えてよ!」

「◯◯、あいつのこと好きなんだってー!」

小学校に上がると、こういう会話に遭遇する場面がまあよくある。だが、わたしは好きな人はおろか、男の子に対しても女の子に対しても感じる「好き」は人間としての「好き」であって、「恋」というものが分からなかった。だからこの恋愛系のトークがとても苦手だったのだ。

挙げ句の果てに「いないよ」って言ってるのに、友達にしつこく好きな人を聞かれた時にその子が好きな人の名前を挙げたらなんだか不機嫌にさせてしまった。女の子は共感する生き物ってよく言うから同じものを好きになったら喜ぶんじゃない?と思ったけど違うみたいだ。今となっては当たり前だが、小学生のわたしにはよく分からなかった。

「初恋が遅いだけだ…まだなんだろうなぁ…」と思いながら中高一貫の女子校に進学したお陰で、いつのまにかこの悩みについてはあまり考えなくなった。

けど、高校に上がった時にまたこのことで悩むようになってしまう。趣味関係で出会った年上のお兄さんと仲良くなったことが発端だった。その人はとても優しい人で会うたびサプライズで何かを買ってくれたり、美味しいお店を探して奢ってくれたりする。高校生とはいえ、お小遣いはあるぞ…と思いながらお世話になっていた。お兄さんのことは人としてとても好きだったし、遊ぶのは楽しかったのだ。

「好きです、付き合ってください」

お兄さんもこんなに懐いてるしイケると思っていたのだろうか、勇気を出して言ってくれたのはわかった。けど、これ以来「わたしがお兄さんを見る目」と「お兄さんがわたしを見る目」が違うこと、そしてお兄さんの優しさが恋愛感情に起因するものだと思ったらなんだかちょっと気持ち悪くなってしまったのだ。

「恋」がなんたるものかわからないわたしがお兄さんと付き合う資格はない気がするし何より友達のままでいたかったから、断ってしまった。けど、お兄さんとは友達ですらなくなってしまった。

それ以来、出会う男性がそういう雰囲気を出すと困ってしまうようになったし、恋愛感情が分からない自分を責めた。そんな時、保健の授業でLGBTの話を習った。

L…レズビアン(女性が好きな女性)
G…ゲイ(男性が好きな男性)
B…バイセクシャル(異性も同性も好きになる人)
T…トランスジェンダー(心と体の性が違う人)

「この略称には含まれないけど、アセクシャルという人もいます」

「アセクシャルとは、恋愛感情を持たない人、です」

もしかしてわたしはこれなんじゃないか。初恋がまだなのではなく、そもそも恋愛感情がわたしの中に組み込まれてないんじゃないか。

そう思ったら少し楽になるような気もしたけど、性的マイノリティーと言われる人たちもその向く先が違うだけでみんな平等に持っている「恋愛感情」を持っていないというのはなんだか世界から疎外されるというか、余計一人ぼっちになる気がした。

この世の中の話題のかなりの割合を「恋愛トーク」が占めていることが辛かった。話を合わせるのも辛かった。告白を断るのも好意を持たれることに対する気持ち悪さよりも好意を受け取ってあげられない申し訳なさが大きくなっていった。

「最初は好きじゃなくても試しに付き合ってみて、そこから好きになるかもよ」というありふれたアドバイスに従ってお付き合いをしたこともあった。けど「恋人」がすることと「友達」がすることはやっぱり違うし、違和感と苦しみは拭えなかった。

ここまで喋ってきていきなりの方向転換を叱られそうな気もするが、結論としてわたしは(たぶん)一生に一度の恋、というものをした。ある男性に対して明らかに自分の反応が違ったし、それはよくある「恋」の描写そのものだったからだ。

運良くその方とお付き合いさせてもらっているが、時間が経っても「好き」は変わらないし相変わらずの「人間としての好き」が結構混ざっている気もする。アセクシャルではないことが証明されたようなものだから安心はしているが、他の人に対しては今までの自分のままなのでもしその人と別れてしまったら次はないなぁくらいの覚悟はしている。

きっと「恋」をするエネルギーがみんなには何回分もあるのがわたしには一回分しかないだけだったのだけど、その一回を使い切ってしまったわたしにとって「恋愛トーク」が少しきついことには変わりないし、一瞬でも性的マイノリティーの悩みのようなものを味わった身から言いたいことがある。

「恋愛」というのはその向き先も、感情そのものですらも「みんなが同じように持っているもの」じゃない。恋愛トークは初対面の人や軽い付き合いの上で語られがちだけど、「家庭環境」や「お金」の話くらいのデリケートさを持ってもいいのではないかと思う。

せっかくLGBTという言葉や概念が浸透してきたし、今度は「性的マイノリティーの人は案外身近にいる」こととか「恋愛という概念の持つプライバシーの一面」とかそういう社会的な内容も周知されるようになることを願う。

わたしにとって「好きな人がいない」ことが当たり前だったように、誰だって自分の価値観が基準になってしまう。「ヘテロセクシャル(異性を好きになること)」だってあくまでマジョリティであって誰しもが持つ共通の価値観ではないはずだ。だからこそ、「恋愛」というものの持つ多様性は、性的マイノリティもマジョリティも関係なく理解すべき課題なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?