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Back to the late 90’s 【番外編】 第1話 1997年

『Back to the late 90’s』と題して、これまでに序章もあわせて9回執筆してきた私的関西HIPHOPシーン話。ここでは【番外編】と題して、私的な内容ではなく一般的な関西HIPHOPシーンや出来事について、自分の記憶や、当時の雑誌などを頼りに振り返ってみたいと思う。


なお、記憶違いや誤った内容もあるかも知れないので、初めに断りをいれておく。自分の話ですら、あやふやな部分も多々あるのに、それがシーンとなれば100%正確な内容をお伝えできる自信は正直ない。まして1997~1998年は自分自身まだまだ駆け出しの時代なので、シーンについて、あれこれ物申す立場でなかったし、第一私自身が関西HIPHOPシーンで主要となるイベントに出演していたわけでもなかったからだ。


ただ、私の話ばかりとなると、お読み頂いている方々のなかには、そろそろ退屈に感じている方もいることだろう。なので今回は趣向を変えてみたいと思う。


今回は1997年について。
1997年は、関西のHIPHOPシーンにとって歴史的な一頁を刻んだと言える年だった。今は亡きDJ KENSAWさんによる『Owl Nite』がリリースされ、関西から全国へ向けて大阪発のHIPHOPが放たれたからだ。東京一極集中だった日本のHIPHOPシーンに一石を投じた『Owl Nite』のリリースは、それまでスポットライトを浴びていたとは言い難かった関西HIPHOPシーンの底力を日本中に知らしめてくれた。その功績はあまりに大きいし、リリースされてから、はや四半世紀が過ぎたが、今でも関西から全国へ向けて放たれたHIPHOPクラシックの金字塔として輝き続けている。

DJ KENSAWさん。
圧倒的な存在感と、そのオーラ。まさに関西HIPHOP界を牽引するのに、ふさわしい貫禄とスキルを持ち合わせた偉大なDJだった。今日関西のHIPHOPシーンがあるのは、KENSAWさんが礎をつくって下さったお陰だと言っても過言ではないだろう。


上記で「東京一極集中に一石を投じた」と書いたが、誤解のないように。決して東京のHIPHOPアーティストと険悪になったと言うのではなく、お互いがリスペクトし合う関係があった上でと、付け加えておく。


『Owl Nite』リリース時の『FRONT』誌1997年5月号に掲載されているKENSAWさんのインタビューでは、YOU THE ROCK★さんとの良好な関係が伺えるし、またZEEBRAさんは「大阪はLOW DAMAGEを中心にしっかり成り立っている」とコメントされ、『Parteechecka』のリリックのひと節に「大阪じゃKENSAW On The One Two」とKENSAWさんが登場している。

『FRONT』誌1997年5月号。
68、69頁にKENSAWさんのインタビューが掲載されている。


KENSAWさんが2016年10月に亡くなられた際も、ZEEBRAさんが葬儀に出席された様子が伺えるし、近年でもZEEBRAさんがパーソナリティーをつとめる『Lunchtime Breaks』にTANKOさんがゲスト出演している。

KENSAWさんが亡くなられた直後のZEEBRAさんのツイート。自身の『Parteechecka』のリリックを用いた追悼文となっている。
KENSAWさんのご葬儀での参列者の集合写真。ZEEBRAさんをはじめ、TANKOさん、HIYOCOさん、KOOHさん。そして茂千代君、GEORGE、SOOMAと言った関西の重鎮達が写っている(GEORGEのInstagramより)。


東京のHIPHOPシーンを中心に盛り上がってきた日本のHIPHOPに、私が在住している関西をはじめ、名古屋や福井など他の地域から様々なアーティストがメディアに取り上げられるようになったのが1997年だったと言えるだろう。


長くなったので、その他の話や1998年以降については、またの機会でー

つづく……

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