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Back to the late 90’s 第7話 枚方市

大阪市と京都市の、ちょうど中間にある枚方市。関西人には枚方パークがある街としてもお馴染み。


枚方市は昔からHIPHOPの土壌がある街だ。記憶を遡ると、あれは確か1996、7年頃だろうか。国道1号線沿いにあるTSUTAYAに、従兄弟と行くと、アナログ・レコードのコーナーがありHIPHOPのレコードが沢山あるのに驚いた。当時HIPHOPのアナログ・レコードは、大阪だと梅田やミナミの輸入レコード店に行かなければ買えないものだった。


それに関西で活動しているHIPHOPアーティストを数多く輩出した街で、DJ、ラッパーなど思い浮かべるだけでも、90年代から現在に至るまで、有名無名を問わず色んな名前が出てくる。


「はて?何故に枚方なんだろうか?」と、私なりに考えた理由で真っ先に浮かんだのが関西外大の存在だ。


1970年代、アメリカ/ニューヨークのサウス・ブロンクスで産声を上げたHIPHOPは、間もなくしてアメリカ全土に広がりを見せた。アメリカ発のカルチャーなので英語圏の文化と言うのは言うまでもないが、そのアメリカからの留学生を数多く受け入れていた(現在も受け入れているだろうがー)のが、関西外大だった。私が思うに、その留学生達の存在が、大きかったのではないだろうか?

そんな関西外大に進学したヒデ。私の記憶では、関西外大は当時からHIPHOPが盛んだったように見えた。私の通っていた大学に比べてDJやダンサーの数も多かった。そして何よりキャンパスがとても綺麗だったのが、今でも印象に残っている。


「イベントやろうや!」と持ちかけてきたのは、ヒデからだった。「おぉ!ええなあ!やろかー」と私もそれに賛成し、ヒデと私で『Slow Down』と言うDJユニットを組んだ。2人ともHIPHOP好きだが、それ以上にR&Bを好んでいたので方向性は問題なかった。


それから、打ち合わせの度に、関西外大へ通うようになった。関西外大のHIPHOPクルーには色々なメンバーがいたので、覚えている限りで名前を書き残しておきたいと思う。この『Back to the late 90’s』を書き始めたコンセプトのひとつが、当時活動していたアーティストの名前を、有名無名問わずに書き残していく事だ。


DJは、シンヤ、トモヤ、カワサン、グッチさん……etc、ラッパーはナス、ダンサーはコースケ。


シンヤとコースケは私と同い年で仲良しだった。特にコースケは、このメンバーの中でも当時からブレイカーとして有名で、彼が所属していた『B-MAX』は、のちにチーム名を『一撃』と名乗り、テレビ東京系でTRFのSAM氏が出演していたダンス番組『RAVE 2001』にも出演した。

シンヤ。
彼の自宅へも一度遊びに行ったな。今はどうしているのだろう?


カワサンとグッチさんは、確か私の2学年年上で、カワサンは後にアメリカ村にあったMANHATTAN RECORDSの店長になった。グッチさんは、イベント不参加だったが、この時期の関西外大のHIPHOP DJだったので、名前を上げておく。


ラッパーのナスは、私のひとつ年下で本名が那須だったのでナスと名乗っていたが、アメリカのNASに混同されるので、『Nasmatic』と途中から名乗っていた。イベント時は、確か本格的に活動する前だったので、イベントスタッフとしての参加だったと記憶している。


トモヤもひとつ年下で、DJメンバーでは一番うまかった。確か地方出身(岡山だったかな?)。


以上のメンバーをヒデが取りまとめる形で、そこに私が外様ながらも参加する形となった。ところがイベントを計画し打ち合わせしていく段階で、予想もしない事をヒデから言われてしまうのであった。

つづく……

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