見出し画像

涙のお別れ

12/1はかいほーdayでした。
そこで遠くに引っ越してしまう子が最後の参加ということで来てくれました。
もう3年くらいのお付き合い。最後の1年は、それはそれは大人になっていて、かいほーdayの時は次から次へと自分のイメージするものを形にしていくほど。「ここはどうしたらいい?」なんて質問もされることなく、私はただただ最近の好きなものや、今つくっているものの背景を聞いたりするだけでした。もうその発想やアイデアは抜かれているのではないかとい思うほど。

昨日は慣れ親しんだプラバンということもあってサクサク。一緒に来たうちに来るのが初めての友達にはうちの勝手をテキパキ教えて、制作に没頭(笑)
次から次へとつくり、自分ではできないトースターで加熱のところだけ「お願いします!」と餅つきのように、渡されては焼き、つくっているのを見ては渡されて焼くの繰り返し。
しかもその1つ1つに小技を効かせているから、感動ものなのだ。表だけでなく裏にも描くと縮んだ時浮いて見えるからと、この線はあえて裏に描くなど考えている。
だからトースターの前で完成をいち早く見ることのできる私は、毎回今度はどんなしかけがあるのか楽しみだった。
置いてある材料やサンプルを見て、「あ、これはあの時のだ」と覚えていてくれるのも嬉しい。
そして、毎回誰かのためにつくるものもあった。友達や先生、家族。その姿から学ぶことも多かった。

あんまりしんみりしないように、普段と同じようにしていたら、最後に仕事帰りにお父さんも来てくれて、もうなんか嬉しすぎた。
こうして、ちゃんとお別れをしたことがなかったので、寂しいのに嬉しい気持ちも大きくてなんだか内心はごちゃごちゃだった。

また数年後に再会することを約束して別れた。
部屋の窓から横断歩道を渡る姿が見える。いつもできる限りみんなのことを、こっそり見送っている。それを知っている子もいるし、気付いていない子もいる。
そこからずっと手を振り合っていた。その時、少し泣いた。お別れって寂しいね。

渡すタイミングが分からず、本当に部屋を出る直前に初めて来た日から前回までの写真をアルバムにして渡した。
あとで、アルバムを見て泣いていたと連絡が来て、また涙。
これは一緒に見ていたら絶対泣いていた。てか、今思い出しても涙目だ。

ここでのことが心の中にあってくれたと思うとまた泣けてくるし、このスタンスが間違っていなかったんだなって教えてもらえた気がしてパワーをもらえた。

ある時期を境に作風が急激に大人になる瞬間がある。それを数人に感じている。それだけの付き合いになれる子が少しずつ増えている。そこから先も付き合える方法を探したい。
きっと私が過ごす数年より何倍も大変だと思う。だからこそ約束した数年後まで、続けていかねば。改めて気持ちが引き締まり、そしてその先も付き合える形もつくっていかねばと心に誓った瞬間だった。

ありがとう!
そしてまた会おうね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?