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Bookレビュー「夏目漱石/こころ」

やっと読んだ。
読了するまでに時間がかかったという意味でもあり、この歳になってやっとこの名著を読んだ、という意味でもある。
日本だけでもウン百万人が読んでいる(かもしれない)この本を今になって読んだ。
話のあらすじ自体は、既に接種していたので知っていたが、全編通して読んだのは今回が初めて。

「教養」という半ば暗黙の義務感。
それが本書を手に取った動機。ずっと知らんぷりしてやり残してしまった夏休みの宿題のようでもある。いつかやろうやろう、と思いつつもう夏はとっくに過ぎて人生折り返し地点を過ぎたくらいの中年になってしまった。

まあ、前おきはこのくらいにして、ここからは本を読んだ感想だ。
本音をいえば、今すぐにでもプロアマや知名度問わずいろいろな人の解説や感想を見てみたいところだが、そうすると自分の率直な感想を表出するのを躊躇したり、薄まったり、およそ「正解」らしきものに迎合して優等生的な感想を書いてしまいかねないので、やめておく。この記事を書いた後に他の人の考察や感想を見てみようと思う。


「わたし」とは一体誰なのか

先生を先生と呼ぶ書生の「わたし」とは一体何者なのか。
普通に読めば、ただの書生である。
が、私はどうもファンタジー(あるいはミステリー)のように感じながら読んでいた。
そして、この2つの線を考えた。
(1)先生の分身(鏡像、過去の自分)
(2)亡くなった友人Kの生まれ変わり

・記述箇所は覚えていないが、わたしが先生に対して運命的な出会いのように感じたところからして相当な関係性を感じる。
・危篤状態の実父を差し置いてでも、先生の元へ向かう点。
・先生側の観点からしても、人との接触をなるべく回避して内にこもり、猜疑心の塊のような特性があるにも関わらず、出会ってからそこまで時間が経っていない書生のわたしに対して人生最大の秘密を暴露する点。

(1)だとすると、書生の「わたし」とその周辺(田舎の)はすべて作り話になるので蛇足なのかもしれない。
先生のことを「血」「肉」という言葉を使って形容しているのは、普通に解釈すれば「キリスト」などの神仏を彷彿とさせる=先生に対して狂信的な若者と言える。だが、違う観点から解釈すれば自分と先生を同一視している、つまり同一の存在とみなすこともできるのではないか。

(2)だとすると、運命的な縁で二人が引き寄せられたと考えられる。Kは死んで、その生まれ変わりが「わたし」になったと考える。わたしには前世の記憶がないのだが、記憶を上回る部分での繋がりを感じているから特別感がある。
一箇所だけ「輪廻」という言葉が出てくる場面もある。また、作品中ずっとモヤのように漂う「死」のにおいを感じる。

生死が一つのテーマ!?

生死とその転換点(移行)が基底部にある物語だからなのかなと思う。
生死とは、個人の生物学的なものにとどまらず、考え方、人と人との関係性、時代、地域、文化の観点でもいえるだろう。



ある箇所で花がたくさん登場する

最初の方で花や木々を通しての自然描写が多用されていて目にも鮮やかであるのに対し、後半に行くにつれてそれが乏しい印象。
この植物の花言葉などを分析しても面白いかもしれない。が、そこまでの気力がなくてやっていない。

話が進むにつれて、心的な世界に入り込んでいき、闇の部分に迫っていくということなのだろうか。特に先生の遺書のところは描写が少ない。


「あなたは本当に真面目なんですか」

これは呪詛のようにも聞こえるし、神の審判のようでもある。
それくらい重い。
ここでふと疑問に感じたのは、自分のことを真面目だと思う人間がいたとして、それは果たして客観的にも真面目といえるのだろうか。
自己申告の真面目で許容されるのだろうか。
そもそも、真面目って何に対して真面目ってことだろうか。
曖昧なものだ。

ここで読み方を変えると、事実として先生の目から見てKは真面目だったわけで、やはり「あなたはKなんですか」って言っているようにも見えなくもない。

Kの遺書

Kの遺書の中にお嬢さん(先生の奥さん、静)の名前だけがない。
遺書は書くことで成立する行為なのに、静さんの名前だけがないというのが逆に強調されている。作品に名前が出てくる数少ない人なのに、遺書の中にない。「無い」ということが強烈な「有」を意味しているということなのだろうか。


先生の遺書

これ、ただただ長い。そして一書生に遺すには重すぎないか。
読みながら、遺書というより供述調書のようだなとも思った。
あるいは、生まれ変わったK(書生)に対しての懺悔、謝罪の文面。

登場人物の固有名詞が出てこない理由は?

新しい墓、新しい妻、Kの新しい白骨の記述の箇所で、おや、と思った。
ここで書かれていないのは、Kの新しい名前である。
戒名だ。
もしかしたら、この物語でほとんどの人の名前がない理由はこれかもしれないと思った。
つまり、先生がKを死に至らしめた=Kの名前を奪ってしまった。
その懺悔と後悔、十字架を背負っている意味があるのかもしれない。



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