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映画「JOKER」悲劇と喜劇



人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ byチャップリン


チャップリンの映画をきちんと観たことはないのだが、こういう名言を残すことから考えると恐ろしいほどの観察者視点の持ち主だったんだなと思う。
観察者で、ディレクターでもあり、プレーヤーでもあるってことだろう。最強だと思う。常に冷静でメタ認知ができるってことなのかな。

それはさておき、悲劇と喜劇が隣り合わせで視点によって180度変わるということの面白さと悲しさ。

この映画の場合、
アーサーは決して恵まれているとは言えない境遇で、悲劇のヒロインだった。
冒頭の場面。頬を伝う一筋の涙。
映画が映し出す場面のもっと前から、継続的に彼は辛い状況だったのだろう。

このあとの場面でも、悲劇的な展開は続いていく。

涙(左目/右目)で表現されるもの

人々から笑われるアーサー=悲劇
辛い現実から逃げるため、彼はジョーカーになることで「アーサー」から距離を置き、喜劇としての見方に転換した。

冒頭の場面では右目から涙が出ている。
それを真逆に転換する=鏡の世界では左目になる。

「鏡」というのが一つのキーワードかもしれない。
鏡に映すと反転する、つまり180度転換するということ。
アーサーからジョーカーに変身するときも、化粧を施すので必ず鏡が必要になる。

悲劇 ⇔ 喜劇
アーサー ⇔ ジョーカー
現実 ⇔ 虚構
右 ⇔ 左

このように、真逆の性質のものは対の関係になっており、鏡を通すことによって転換される。


つまり、右目から涙が流れるときは悲劇。
左目から出ているときは喜劇、ということだろうか。
それとも、右目のときは現実世界、左目のときは妄想(虚構)の世界ということなんだろうか。

冒頭のシーンを除いて、その後、涙の痕跡が見られる場面ではずっと左目から涙が流れている。

そして、最後の場面では両方の目から。

彼が作りあげた世界では、闇の世界の覇者として担ぎ上げられ途中までは万能感に酔いしれ喜劇と思っているのだろう。
しかし、それは一時的なことで結局最後は喜劇も悲劇も同居している。
あるいは、彼自身が現実と妄想を区別できなくなっているということかもしれない。

もともとの彼はアーサーとして生きていたが、社会とうまく関わることができず、唯一の生きる道・・・ジョーカーとして生存する道を選んだが、それはつまり混沌の世界の中で暴力という手段でしか社会と関わることができないということ。
ダークヒーローとしての位置が高まれば高まるほど、悲劇が拡大しているともいえる。

コメディアンになりたかったアーサーの末路

憧れだったマレーの番組に出演するジョーカー。
控室でマレーと挨拶を交わす前にも泣いていたのだろう。
そして、番組が始まる直前にもおそらく泣いている。
さらに、番組のオンエア中も彼の目には溢れんばかりの涙が溜まっている。
でも、マレーは気づかない。
ジョーカー登場の際、言われた通り聴衆に対して「ジョーカー」と紹介する彼。
番組が進む中で、ジョーカーが殺人犯だということがわかるとマレーは正論で諭そうとする。
その時は彼のことを本名の「アーサー」と2度呼びかける。
結局、「ジョーカー」としても「アーサー」としてもマレーに受け入れられることはなかった。

笑われる側ではなく、笑わせる側になりたかったアーサー。
予行演習の筋書きでは、ジョーカーになりノックノックで死ぬことで笑わせる結末を考えていた。
しかし、マレーに最後まで受け入れられなかったことにより、笑わせるコメディアンは諦め、自分が笑う聴衆側になることを選択した。
つまり、マレーを殺めること=他人の悲劇を作り出すことで、自分が喜劇を見る観客になった。
やっぱりコメディアンにはなれなかったのだ。


右利き/左利き

冒頭のシーンで化粧をしているときは化粧筆を右に持っている。
銃を持つときは左。
ランドル殺害のときはハサミを右に持っているし、右利き用のハサミだ。
女性宅に侵入するときは銃を模した右手をこめかみに当てる。
(最初にエレベーターで女性と会ったときは左手。)

右利きのときは現実、左利きのときは虚構なのだろうか。


カウンセラーに対して「理解できないさ」

最後の場面で、カウンセラーに対して「(自分が思いついたジョークを)あなたには理解できないだろう」と言うアーサー。

自分のジョークも、苦しみもあなたには理解できないだろう。
そういう意味かもしれない。

この映画をあなたには理解できないだろう。
そういう意味かもしれない。

他人の痛みや苦しみを理解するのは無理かもしれないが、理解しようと歩み寄ることはできるのかもしれない。
それさえしようとしない(ように見える)目の前の人に、アーサーは「理解できないさ」と言っているような気がした。


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