夢に折り合いをつけ捨てたあの日のコト【短期連載/第4回】
会社員・個人事業主ほか、職種やジャンルの垣根を飛び越え縦横無尽に行き来する飯島裕之。そんな男が2021年内の目標に掲げた、中学生時代に折り合いをつけて諦めた夢である『プロレスデビュー』。
実現となるXデーまでの間、ずっと伏せてきた過去の体験から現在の挑戦に至るまでの心境変化。そして未来への覚悟までを語りつくします。第4回目の今回は『プロレスラーになりたい!という願望を諦めた理由』を振り返ります。(第3回目の内容はこちら)
中学生の時って『職場体験』みたいな課外授業があるじゃないですか?
アレ、同級生は皆んな『役所』『病院』『美容室』『飲食店』『工場』なんかに行くんですけど、僕はアニマル浜口さんが経営してて数多くのレスラーを生み出しているジムにお邪魔しました。
もちろんただの下町の中学生にツテなんてあるわけないんですが、当時女子の体育教員のインターンとして来ていた女性が僕のプロレスに対する想いに耳を傾けてくれたんです。
彼女は浜口京子さんと同じ大学のレスリング部だったことから『アニマル浜口ジム・道場』にアポを取ってくださり、浅草の雷門横にある道場の職場体験が実現しました。今思い返してみると、本当に恵まれていますよね。
当日はアニマル浜口さんと京子さんが優しく出迎えてくれました。
アニマル浜口さんはトレーニング器具の使い方やレスラーの敷きたり・心得などを丁寧に教えてくださり、長州力さんやラッシャー木村さんとの思い出を語ってくれたのを覚えています。
まだオリンピックに出る前だった京子さんも、中学生のプロレスに対する情熱を常に笑顔で聞いてくれました。懸垂を平気な顔して20回以上ひょいひょい上げていてビックリしたのを覚えています。
「強さと優しさってイコールで結びついているんだろうな。」お二人の器から、少年ながらにそんなことを感じた記憶があります。
もし、僕の年内プロレスデビューが実現したら…職場体験のアポを取ってくれた先生。そしてアニマル浜口さん・浜口京子さんにはお礼とご報告に伺いたいな。
こうして中学生活を送る中、プロレスに対しての情熱や憧れは次第に膨らみ、気づけば夢に変わっていきました。が、間も無くしてその夢には早々にピリオドを打つことになります。
新日本プロレスに憧れていたので、練習生の募集要項は雑誌などで常日頃チェックしていたのですが、必ず記載されていた条件があります。
それは『身長180cm以上。18歳〜25歳までの心身共に健康な男子』というもの。
この条件を満たしていなければ書類審査すら受けることができない。健康以外のすべてが笑っちゃうくらいキレイに当てはまりません(笑)
そもそも身長が足りないという先天的な理由なので「仕方ないな」と自分自身で諦めること自体はそんなに辛くはありませんでした。
ただ、そんな事よりも自分が思い描いてしまった夢が"当時一番の寄りどころだった親が思い描く息子の未来とは違っていた"という部分は、生まれてはじめて憧れや夢を抱いた僕にとってはとても辛かった。
今さら自分の親の教育方針に文句を言うつもりは毛頭ありません。今の自分がそれなりに好きですし今が幸せなのでむしろ感謝しています。…ただ、祖父が若くして事故で亡くなった直後に飯島家の長男として生まれた僕が20代後半まで背負ってきた親の期待という十字架は、自分に自信がなく他人の顔色を伺って物事を決めることしか出来ない少年にとっては正直とんでもないほどの重さでした。
端的に表現すると、「親の言うことが絶対だ!私が敷いたレール通りに進むことが正解である」「子が親に意見することは許さない」といった教育方針です。
ここには書けないような…時には虐待まがいの仕打ちも受けながらも厳しい教育を受けてきています。幼い頃は反動でグレて、家では大人しく猫を被っている分保育園ではよくおともだちに手を挙げてしまうような問題児でした。
それでも、ちゃんと親からの愛情は感じていましたし、生活する上でひもじい思いをした不自由した経験もありません。
それどころか、休日の朝食は毎週モーニングを食べにレストランに出かけたり、国内旅行・海外旅行にも頻繁に連れて行ってもらったりとかなり裕福で贅沢な暮らしをさせてもらっていました。当時Instagramがあったら中々仲良くできたと思います(笑)
僕が小学生の時に両親が離婚してからは、一転して極貧になるわけですが、シングルマザーになった母親からは事あるごとに「高校・大学に進学してちゃんとした企業に就職しなさい。それ以外の道に行くのであれば一切支援や応援はしない」と口酸っぱく言われてきました。
中学も2年生半ばを過ぎると、高校受験に向けて親や教師など大人達が途端にピリついた空気になります。
『受験に合格して都立高校に進学する』そのために内申点を上げたり過去問題に取り組まされる日々です。
ぼくの家庭に至っては3人兄弟の母子家庭だったこともあり私立校に進学するお金の余裕はありませんから、受験出来るのは都立一択です。”滑り止めでの私立校”なんてものは受けることは出来ず、背水の陣での一発勝負が求められました。
当時はまだ昨今のように一般的でなかった”両親の離婚”を経験し、心が不安定のまま思春期を迎えていた中で、唯一の寄りどころである親の期待に背いて「プロレスラーを目指そうと思うんだ」なんて夢を打ち明けるなんて事は小心者で臆病な僕には出来ません。
もし今の僕があの日の自分にメッセージを送るとするならばこう言うでしょう。
「人の意見に背いてでも…たった1人でも突き進む覚悟と情熱が圧倒的に足りてないおまえの負けだよ。」
そんなこんなで最終的に、初めて思い描いた夢は堂々と公に語ることすら出来ず『誰にも言えないまま心にしまう』というあっけない結末を迎えました。
飯島裕之
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