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コミュニケーションツールとして機能していたプロレス【短期連載/第3回】

会社員・個人事業主ほか、職種やジャンルの垣根を飛び越え縦横無尽に行き来する飯島裕之。そんな男が2021年内の目標に掲げた、中学生時代に折り合いをつけて諦めた夢である『プロレスデビュー』。

実現となるXデーまでの間、ずっと伏せてきた過去の体験から現在の挑戦に至るまでの心境変化。そして未来への覚悟までを語りつくします。第3回目の今回は『プロレスをコミュニケーションツールとして使っていた中学時代』を振り返ります。(第2回目の内容はこちら

『三つ子の魂百まで』とはよく言ったものですが、こどもの頃から1つの事に没頭して突き詰めてしまう癖は、身体が大きく成長した今でもあまり変わりません。

テレビゲームで言うと色々なソフトに手を出す!というより、1つのソフトを裏ワザやバグ技までとことん突き詰めて自分の中で完全にやりきってから次に行くタイプでした。やらせてしまえば最終的には何でも平均点くらいは出せるのですが、残念なことに他人より飲み込みが遅くそれでいて完璧主義なためか、見てきたものがあり得ないくらい偏っています。

世代のくせに、ドラゴンクエストもファイナルファンタジーもよくわかりません。友達の間でRPGがブームになってる間、ぼくはマリオカートやストリートファイターのシリーズだけをひたすらに突き詰めていました。

流行りまくって社会現象にもなったワンピースや鬼滅の刃も未だ読んだことがありません。ただ、北斗の拳全巻はもう何十回とループして読み返しています。トキとラオウが初対決した時、双方どちらの脚が前に位置していたか?とかそういうどうでも良い部分も答えられます(笑)

そんな調子なもんですから…正直に白状しますと「プロレスが好き!」と言いながらプロレス界全体の事が詳しいか?と問われると、実はそんなことはありません。でも武藤敬司選手のことは呆れられるくらい詳しいです。


例え方が適切か?はわかりませんが、ファミコンというハードの、スーパーマリオブラザーズというソフトがめっちゃ好き!だからファミコンをやる!みたいなイメージかもしれません(笑)

プロレスというハードの、武藤敬司選手というソフトが好き!だからプロレスを観続けてきたのです。なので、他のレスラーや武藤さんが参戦してない団体というのはあまり追っていませんし、正直詳しくありません。

とにかく、飯島裕之という人間はとことん偏りまくっている変態気質であることは間違いないわけですが、そんなぼくがプロレスにガッツリとハマり始めたのは1999年。

当時中学3年生だった僕が「プロレスラーになりたい!」という想いが芽生えていった理由として、純粋に「プロレスをエンタメスポーツジャンルの1つとして観て楽しめた」というのは勿論あります。

が、それだけでなく「コミュニケーションツールとしても楽しめた」という事も言えるかもしれません。


1999年当時は現代のようにスマートフォンもGoogle検索も無いに等しい時代ですし、もちろんYouTubeやSNSもありません。

中学生で年齢的にアルバイトも出来ないため、会場での試合観戦なんて頻繁には行けませんから、情報の仕入れ先は、毎週深夜2時にテレビ朝日で放送されていた『ワールドプロレスリング』の中継と、毎週発行されていた専門雑誌である『週刊ゴング&週刊プロレス』。あとは、『友人との会話』くらいなものです。


会話についていけなくなるのは嫌なので、過去の試合や歴史を勉強するために、近所のレンタルビデオ屋の格闘技コーナーにズラッと並ぶ『闘魂Vスペシャルシリーズ』を借りては見て借りては見て…とひたすらに繰り返していました。

毎週水曜日の深夜0時には1人夜な夜なコンビニに繰り出し、運送業者さんがトラックで納品したばかりの週刊ゴングをいち早く購入します。翌朝バッグに忍ばせたゴングを学校に持って行き午前の休み時間や給食中は友達とやんややんやとプロレストークをし倒します。

極め付けは、午後の休み時間や放課後に行うプロレスごっこ。”ごっこ”と言ってもちょっと度が過ぎてたかもしれません。

仲間同士でパイプ椅子で殴打し合うのは当たり前でしたし、折り畳み机を立ててのドリルアホールパイルドライバーもよくやっていました。

僕はグレートムタが好きなので毒霧も吹いていたのですが、ヤンキー仲間が「やり方教えてよ!」と真似し始めて校内で毒霧ブームになってしまったんですね(笑)
そこら中の壁や天井、制服のワイシャツがカラフルになってしまってよく怒られていました。

手先が器用だもんで、ミシンが出来たため試合用マスクやコスチュームもこしらえて学校に持って行ってました。もしかしたら実家に行けばまだコスチュームがあるかもしれないので…あったら写真貼ります(笑)


そういえば、幼少期から仮面ライダーも仮面ライダーごっこも好きだったのですが、”こだわり抜いたプロレスごっこ”はその時の延長線な気がしてなりません(笑)

ただ放送を観てるだけでは飽き足らず、ライダーごっこに発展。…と、ここまでならよく聞く話ですが、すっとこどっこいな飯島裕之少年はバイクからコスチューム、変身前の革ジャンまで全て用意しないと気が済みません。武器が玩具化されてないのであれば作って遊んでいましたから…やっぱり成長していないんだと思います。


話を戻しますと、プロレスごっことは言えど催し物みたいになっていきました。

毎回、ぼくがプロレスごっこをやる時はガリ勉君からヤンキー。1年生2年生の後輩まで、廊下と階段の踊り場が生徒で溢れかえるくらいのギャラリーが集まるようになっていたんですね。集まり過ぎて騒ぎを聞きつけた先生に途中で止められる!みたいなこともあったりしましたが…

とにかく、プロレスというジャンルが、もはや生徒同士のコミュニケーションツールとして機能していて、普段なかなか交わらない先輩後輩の学年の壁も、真面目と不良の壁も壊していて、皆んなが笑顔になっていたんです。

最高だったな。


「…やっぱりプロレスラーになりたい!」

そんな気持ちが益々強くなっていき、やがて職業にしようと考えるようになりました。


飯島裕之

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