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思春期の少年の心を虜にした相反する二面性の魅力【短期連載/第2回】

会社員・個人事業主ほか、職種やジャンルの垣根を飛び越え縦横無尽に行き来する飯島裕之。そんな男が2021年内の目標に掲げた、中学生時代に折り合いをつけて諦めた夢である『プロレスデビュー』。

実現となるXデーまでの間、ずっと伏せてきた過去の体験から現在の挑戦に至るまでの心境変化。そして未来への覚悟までを語りつくします。第2回目は『プロレスにのめり込んだきっかけ』を振り返ります。(第1回目の内容はこちら

鋭利な凶器攻撃を何度も突き刺されてパックリ割れた額から噴き出す大量の血。

その対戦相手の血を指先ですくい取り卒塔婆に「死」と書き挑発し、さらに噛みつき傷口を広げる。おまけに、ほどいた対戦相手の白帯で首吊りの刑だ。

そんな全身がだるまのように真っ赤になるほどの戦慄の大流血戦。

「これオンエアできないでしょう…」「アメリカだったらまず放送できないですね!コミッショナーがうるさいですから」

プロレスの試合を見慣れている実況解説者すら驚いた様子のコメントを連発する、そんなおどろおどろしく非日常の戦いが繰り広げられるている四角いリングの光景を、同級生の家でブラウン管越しに目の当たりにした時、当時どこかスレていて大人しい性格だった小学6年生の僕の中に眠っていた憧れのスイッチが押されました。

1996年4月29日 東京ドームで行われた『グレートムタvs新崎"白使"人生』の試合中継こそが、僕が人生ではじめて観たプロレスの試合であり、のめり込んだ最初のキッカケ。

「いつかグレートムタのようなプロレスラーになりたい」その憧れは間も無くして夢に変わっていきました。コレが僕とプロレスとの馴れ初めです(笑)

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『グレートムタ』とは書きましたが、極悪ペイントレスラーの正体は武藤敬司選手。1990年代から2000年代にかけて、そして今も現役でプロレス界を牽引しているプロレスラーで、昨今はタレントとしても活躍していて、TVやYouTubeなどで目にする機会も増えています。

プロレスに必要なパワー、スピード、テクニック、センス、身長、筋肉量、ビジュアル、オーラを極めて高い次元で併せ持った選手としてファンや関係者からは「天才」「平成のミスター・プロレス」と称されています。

今は今でスキンヘッドにヒゲスタイルで渋くて格好良いですが、昔はジャニーズ系レスラーなんて言われていたりしたんですよね!

武藤選手がメインイベントで高田延彦選手と闘った1995年10月9日東京ドームでの「新日本プロレスvs.UWFインターナショナル全面対抗戦」は社会現象になり、当時の東京ドーム史上最高の動員数を記録しています。

天才ヒーロー『武藤敬司』と極悪ヒール『グレートムタ』。ビジュアルもファイトスタイルも相反するキャラクターを、2つの人格として使い分け活躍する姿に、どこか知らず知らず自分自身を重ねていたのかもしれません。


学校の教室の座席では必ず最後部の窓際(もしくは廊下側)の角を確保し、学級委員など表立つ役回りは徹底して回避し、授業中は先生に当てられないように目を背けまくる。もちろん女子の目を見て話すことなんて出来ません。実はクラスの女子の過半数から告白されていたなんて、恥ずかしくて友達の誰にも相談できず隠していました。

それでいて、心の奥底では目立とう精神旺盛な飯島裕之も眠っていて、昔から他人と同じは嫌でファッションには敏感だったし、クラスのイベントや行事などでパフォーマンスを任された際はここぞとばかしに格好つけていた。小っ恥ずかしくて女子に告白されても返事すらしない最低な奴だったけれど、モテたい願望はしっかりちゃっかりあった気がします。


光と影、陰と陽、表と裏、ホンネとタテマエ…本来そういった対極的なもののバランスで、人間だけでなく地球上のありとあらゆるものが成り立っているものです。

35歳になった今では、自分自身の中に存在する善と悪の比率バランスを、少しでも善に寄せていくことが人生を通しての修行だと捉えることが出来ています。

がしかし、ぼくの場合は「神でもキリストでもないんだから、自分の中に善も悪も両方存在して良いんだ!」という事を自分自身で認めることにカナリ時間がかかりました。


コレはあくまでも自分なりの考察ですが…時代なのか?長男だからか?なのかはわからないけれど「清く正しく美しく在れ!」母親の価値観や常識、敷いたレールの上をはみ出さずに進む事が正解と教育されてきた事が大きく影響しているように感じます。学校の教育もなんとなくそんな感じだったかもしれません。

教育方針だけでなく、休日の家族のカタチも正に清く正しく美しかったし、夫婦喧嘩なんて一度も目の当たりにした事はありません。こどもながらに両親の仲も良好だと思っていました。

しかし丁度プロレスに出会ったこの頃、両親の離婚を経験し『母親は父を一切愛していなかった事実』を突きつけられ、一度『子供3人まるごど置いて1週間ほど出て行かれる』ということを経験します(笑)

今となっては笑い話ですが、当時思春期の飯島少年はそれなりに落ち込みましたし、今まで教えられ見せられてきたものと現実とのギャップの埋め合わせに苦しみました。

そんな僕にとっては、キャラクターとは言え表の顔と裏の願望をどちらもアリとして表現する『二面性のそれ』がすごく自由に魅力的に映ったのを覚えています。


「プロレスって人生の縮図だよな」

コレは武藤敬司選手が残した名言ですが、プロレスとの出会いをキッカケに、他人の顔色を伺い期待に応えることでしか自分を表現できる手段を知らない飯島裕之の中でくすぶっていた、もう一人の自分がこの後暴走し動き出すことになるのは必然だったのかもしれません。


飯島裕之

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