赴任先のパキスタンに到着すると家と共に住み込みの使用人を2人引き継いだ。優等生のような料理人のワジッドと、部下指導のイロハを教わることになる運転手のバシールだ。職場でも中間管理職としてのスタートを切るタイミングで、自宅で使用人を直接雇用していたことがどれだけ後々に役立ったかがあれから15年経った今なら分かる。今の自分だったら違う対応をしていたのだろうか。
住み込みで使用人を雇うということは、朝の寝ぼけた状態から、パキ腹と呼ばれる急性胃炎でほぼパジャマ姿の自分まで、全部見られた上で雇用主としてある程度の威厳を持ち、気持ちよく働いてもらうことに自分自身の生活がどれだけ快適になるかがかかっている。バシールには、リアルタイムで公開していたブログ読者には固定ファンがいた。写真は本人の承諾無しで載せているバシールで、もっとカッコ良い運転中の後ろ姿もあるのだが、これはなんとも彼らしさが出ている懐かしい姿だ。
引き継いだ運転手の芳しくない前評判 職場の同僚で優秀と言われる運転手さんが、勤務中の車中で「運転手は引き継ぐのか」と聞いてきた。肯定すると、「悪い人じゃないがたまに感情的になっていたことがあるから」と切り出す。どうして感情的になるのか聞くと、「自分を忘れて待たせっぱなしにしたり、食事を取らせてくれない事がある」と言っていた、と明かした。前任者の奥様からは、バシールの態度が悪くて腹が立つ、と聞いていた。前任からは、バシールは残業が続くと「疲れた」と文句を言ったり、主人の姿を見つけてちっと舌打ちをしてタバコを投げ捨てることもある、と聞いていた。だから引き継ぎのときは厳しめに要望を伝えたし、最初はわりとよく叱責していた。ベテランの同僚に頼んで、英語を勉強するようにと説教もしてもらった。 雇用主が私に変わった途端、心機一転でやり直そうと思ったのか、周りによるとまず服装から変化したそうだ。だらんとしたシャルワ・カミースから出勤時にはアイロンのかかったシャツとズボンという出立ちで現れ職場まで運転した。前のバシールを知る人はその姿に驚き、運転態度も別人のようだ、と指摘された。ドアは開けてくれるし、偉い人を乗せているかのように本人も偉そうにしている。うやうやしく私に「サー(sir)」と言うので、女性なので一応「マダム」でお願いと頼む。ちなみにパキスタン人女性が指導的にある立場なのは「エリート」と呼ばれる一部の富裕層に限られるようだった。外で働くのは、女性洋品店であろうと食品店のレジでも、食品屋台も皆男性。東南アジアの女性達を見慣れていると、見渡す限り男性ばかりの市場や店舗に面食らう。
生粋の男性社会に女性として着任すると 女性としてパキスタンみたいな回教国の男性社会に赴任するのは多少身構えた。同年代の女性部下は女性上司が来ると言うことで大喜びして迎えてくれたし、年上の男性部下は「レディー・ボスの経験はありますから」という一言を付け加えたりした。東京やハワイでのように、ジェンダーを意識せずに淡々と仕事ができる感じではなかった。独身女性の一人暮らしで住み込みの男性使用人達を雇っているのも珍しく、他の独身女性の同僚達はもう少し年齢が若かったこともあってか、通いの運転手さんだけを雇っていたケースが多かった。だから、自分は使用人には軽んじられてはいけない、と元々柔和ではないのに笑顔を謹しんだからさぞかし怖い顔で接していただろう。
ところが、着任してひと月の断食月の最中に料理人ワジッドから仕事中に携帯に電話がかかってきた。"Madam, Basir and I request. Today Iftar we invite."、と 運転手バシールと一緒にイフタールと呼ばれる断食明けの夕食をご馳走したいと言ってきた。文化的背景がよくわからないので、パキスタン人の同僚に尋ねると彼らもその意味も趣旨もわからない。ベテランの同僚が料理人に電話を掛け直してくれた。曰く、マダムがイフタールに関心を示すのでどんなものかを振る舞いたい、とのことだった。
しかし、私は彼らにイフタールについて聞いたことはなく、断食が明けるタイミングに仕事をさせないようにということだけを注意していた。毎日のように、断食が明ける時刻を問い、その時間は仕事を中断してでも礼拝に行き食事をして欲しいと言っていた。自分が食べきれない分の食事を、それがイスラムで禁止されている物<ハラム>を含まない、<ハラル>であるかを確かめてから、イフタールの足しに、と言い渡すこともあった。私が育った最大回教国のインドネシアは、赤道直下だけに6時に日が昇り6時に日が暮れ、季節も雨季と乾季しかなく温度差も激しくないので断食月ラマダン(パキスタンだとラマザーン)も同じような長さと気候で毎年繰り返される。ところがパキスタンでは、真夏に断食月が当たることがあり、日照時間が長いタイミングの時もあり、8月の断食月とは決して楽ではないだろう。灼熱の中、水くらいしか口にしていない人たちの食事休憩を気にするくらいは基本的な人道的配慮でしかない。
帰宅して夕食の時間になると「a little dinner from me and Bashir」とはにかみながらもちょっと誇らしげにワジッドがご馳走を運んできた。「イフタールについてマダムが聞くから」は厳格な建前社会での詭弁だった。パキスタン人の同僚が「ご馳走したいって」という私の報告に対して険しい顔で「どこで?」と聞き返したように、使用人と食卓を囲むことは御法度だった。その意図は、「今後ともよろしく」というよりもワジッドとバシールのどちらの発案かはわからないが、食事に謝意が込められたように思えて胸が熱くなった。
というわけで、今日は料理人と運転手のご馳走だった。断食も残すところ後1日、で大きなお祝いは明日だ。でも明日は運転手が田舎に帰るからその前にイフタールにご招待させてください、とのこと。パキスタン人の常識からは外れるらしく、同僚達は警戒したし、同席するということでないことを確認してくれた。回教正月のイードが始まる2日前にお年玉もどきは昨晩渡した。料理人には弾んだけど、運転手は規定額だ。今更懐柔作戦も遅い。 私がこの1ヶ月彼らのイフタールの時間を常に気にしていたから?運転手に英語を勉強しろ、ときつく叱って家庭教師をつける段取りをしているから?料理人には断食中は作り置きできるメニューを考えろと強調するから?断食中に豚料理は避けたから?盛りつける皿から、サーブの仕方から細かく指導して、うまく工夫すると褒めるから?自爆テロの後使用人部屋の安全点検をしたから? やや尊大に夕食のお礼を言うけど、料理人ははにかみながらも嬉しそうだ。そしてデザートまで用意してくれた食事は豪勢だ。どちらが言い出しっぺか知らないけど運転手もおっさん風に上機嫌だ。主人である私は偉そうに施しを受ける。そしてデザートの残りは食べて良い、と奢ってもらっているくせにお裾分けしている。
9/29/2008 バシールの憎めない笑顔と成長ぶり 前任の奥様は、短い滞在で現地の大学院に通いウルドゥー語をマスターした強者だった。それに甘んじてか、バシールは英語をほとんど使えなくて、私との意思疎通が難しかった。しかし、段々と英単語を使うようになり、こちらが想像力を膨らませればある程度の会話ができるようになっていった。
運転手のバシールとは最近英語で話すのを諦めてバシール語で話すようになった。基本的に単語を繋げて話すのだが、語彙が少ないから一つの単語をいろいろに使う。時制も無い。「着きました!」が 「I am coming!」だから来たんだか、来る途中なんだか分からない。 バシールは、謙虚で控えめのカシミール人の料理人ワジットと違って押しが強くて調子が良いパンジャブ人(推定)だ。 検問で、警官から不必要に私の身分証明証を提示させそうになるときは、私が英語、バシールがウルドゥ語で警官に対してまくしたてて意思を通す。それが二度目になると、私が警官を無視する中バシールが強気に交渉。でも相手が西洋人だとバシールはひるむ。 運転以外でバシールに担当させている停電用の発電機管理がある。その燃料であるディーゼルの残量チェックし忘れで、停電時にジェネレーターがうまく自動作動しなかった時、ディーゼルを入れ直してから玄関の扉を「イクスキュージュミー」とそろそろと開けて、扉の隙間から顔を覗かせ家の中の電気が点いているかを確認する。点いているとにかーっと自分の手柄かのように笑う。つられて笑ってしまってディーゼルの確認忘れを叱りそびれる。ディーゼルが常に入っている状態にしてあれば、停電時に作動するのにしばらく暗闇でクーラーが消えた状態で発電を待つ必要はない。 私の家の目の前にいつも小汚いタクシーが停まっているので、怪訝に思って尋ねると「マイ・タクシー!」と誇らしげに。(自宅がある政府要人や外交団居住区のセクターについても、得意げに「マイ・セクター!」という。)自宅前に停めてある副業で自分のタクシーを人に貸している。「ディーゼル・スメル。アイ・アム・マイ・タクシー、ディーゼル。」ディーゼルを私の自家用車で運ぶと臭いから自分のタクシーを使った、と得意げ。またそこでディーゼルの確認忘れを叱りそびれる。 テロの危険性があるからジンナー市場とスーパー市場には今晩は行かないように、と指示すると、神妙に「イエス。デンジェラス」と言って夕方「アイ・アム・アッパラ(マーケット)」と言って違う市場に出かけて行った。
10/25/2008 プロフェッショナリズムってなんだろう てっきりパンジャブ人だと思っていたバシールはカシミール出身だった。カシミールのラワルコットに2歳、3歳、5歳、10歳の子供4人と妻を残していると言う。カシミールから家族を残して1人で出稼ぎにきている人は多い。ワジッドは物静かで奥ゆかしい、背が高くて目の色も淡いイメージ通りのカシミール人だが、丸っこいおじさんのバシールもカシミール人とは思わなんだ。国のまとまりがないパキスタンで、「あの人はパキスタン人だから」と言うワジッドは自分はパキスタン人ではなくてカシミール人だという。すなわち、イスラマバードで彼がパキスタン人と呼ぶのはパンジャブ系の人のことだ。ワジッドはこちらが気づくまで自分からアピールをしないが、バシールは植え込みに現れた花を指差し「新しい花!new flowers」と言い「私、タクシー、行った、植木屋 (I, taxi, go, nursery)」と自分の車でわざわざ花を買ってきたことを報告する。買い物にもマイタクシーで行っている、と言う。ワジッドに確かめると、私の分の買い物は私用車で、自分たちの買い物はバシールのタクシーに乗って行く、と説明してくれた。
汚職文化ではちょろまかしは当たり前 パキスタンに来て半年が経った。ということは使用人を雇用し始めてから6ヶ月ということ。給与改定が彼らの脳裏にちらついているに違いない。料理人ワジッドは腕も上げているし気の回る事この上ない。そして釣り銭をちょろまかす事も無い。問題は、なかなか言ったとおりに出来ないのに、袖の下は取っていそうな運転手バシールだ。 パキスタンは呆れる程の汚職文化だ。なんてったって大統領の就任前のあだ名はミスター10%。就任後は国を売り飛ばすのではないかとさえ、まことしやかに言われていた。値段なんてあって無いような物。一見さんと常連では値段も違うし、外国人は正規の博物館入場料も特別料金だ。政府職員の勤務時間を調べたら8時半から3時だそうだ。でも10時半に電話しても誰も出ないし、1時にはゴルフに行っちゃうと言っていた同僚がいた。納められていない税金だから、納税者に奉仕する義務も無いのか。そしてゴルフ場で薄給を補うための商談がなされているのか。 そういう環境で生き抜いてきたカシミールからの出稼ぎ労働者バシールは、業態毎にリベートを取る権利があると思っているに違いない。バシールは長い事自動車整備工だったが、ボスが100ルピーしか掛からないものに1000ルピーも要求するのに腹が立ったから辞めた、という。もちろん眉に唾をつけて聞く。説明し難いがバシールは信用が置けないところがある。特に車の整備に関しては怪しい。妙なメンテナンスをやりたがって、不審に思って友人に相談するから見積もりを貸して、というとその見積もりは消えて失くなったりする。きっと顔見知りの整備工のところで偽の見積もりや領収書を作ってもらって利益を割ろうとするのだ。 ガソリンをちょろまかしたり、ジェネレーターのディーゼルを売ったり、盗みを働いたりとかいう姑息なことはしない。英語の堪能な電気屋の店主の前ではあまり頼りになる値段交渉は出来なくて、私が交渉した方がよっぽど値段が安くなる。利益を折半するには特定の相手が決まっているようだ。 通勤の送り迎えが主な仕事の運転手に安心して車のメンテナンスを任せられないのは面倒くさい。英語が通じないせいか理解力のせいか、誘拐防止のために毎日ルートを変えて通勤することが出来ないのも面倒だ。ああ、私も英語がうまい大学出の運転手を探すか、と思う瞬間もあるけど、2ヶ月に一度くらいまとめて休みを取るだけで、週末勤務も残業も厭わない運転手は貴重なのかも知れないとも思う。 レンタカー会社での勤務も長かったから、ラホールでもカラチでもペシャワールでも運転して行けるという。バシールは、自分に関する書類を見ていないのか、と得意げに言ってすぐにクリアファイルに入った推薦状の束を持ってきた。あまりバシールを褒めていなかった前任者も「正直で道を良く知っている良いドライバーです。」と書いていたから、餞別代わりの推薦状は差し引いて読まなくてはならない。そこでバシールは「もう長い事給料が同額なんです。」とするするっと紛れ込ませる。私も動じないかのようにフフンと笑う。インフレ率25%のこの国では、勤務時間のほとんどを家で寝て過ごす運転手の給与も上げるのか? 次に車に乗ったときに、「毎日職場を朝、昼休み、帰宅時に3往復するガソリンの無駄をどうにかしたいけどどうにもならないのかしら」と言ってみる。料理人はどれくらい車を買い物に使っているか聞くと、料理人には歩いて買い物に行かせようとバシールが答える。いやいや、そういうことじゃなくて、そんなに料理人も車を使わないのであれば自宅に戻らず職場かその近辺で待機できないのかと聞きたいのだ。 最近手綱を緩めていたのだが、ちくり、と刺したせいか、ちょっと運転手としての職業態度が締まった感じだ。1日に給料を渡すときには、信用がおけないけどどうすれば良い?日本人家庭で勤め続けたいなら馬鹿が付くくらい正直になりなさい、と言ってみよう。日本人家庭に数年単位で過去10年雇われ続けた料理人ワジッドの様に。
2/25/2009 危険と隣り合わせだから雇用主もピリピリしている 日曜日は朝9時半に集合して近場の山にハイキングに行った。ちゃんと整備された道は今までで一番登りやすく、景色も今までで一番良かった。こんなところがこんな身近にあったなんて!そして駐車場に降りて行く途中で運転手バシールに呼出の電話したところ、通じない。前回も同じ場所で電話が通じなくて、数回駐車場を往復してやっと見つけた。3時間ハイキングをした後にまたもや同じ事が起きると腹立たしい。一緒にハイキングに行った人に送ってもらって家に着くと今度は警備員がなかなか出てこない。警備員も運転手ものんきに昼寝か!警備員を統括しろ、と運転手には言ったじゃないか。料理人ワジッドは下から出てきたが、バシールは部屋から出てこない。 家に入り、携帯電話からバシールに電話する。何ヶ月ぶりかで厳しい口調で、携帯が繫がらなくて自分で帰ってきたことを伝える。自分の電話は問題ない、とバシールは訴えるが、問題は必要なときに車がないことだ、と叱る。3時間位その場で待ってろ、と言いたい。言わなくても待ってろ、と思う。叱る方も気分が悪い。何度も叱らなければならない相手と関わるのも疲れて来る。そこで料理人ワジッドに相談した。職にあぶれているドライバーはいない か、と。 運転手を探しているは家族か、単身の人か、新しい日本人か、と聞かれて、自分である事を明かす。ドバイ帰りのワジッドの兄はタクシーを買って生計を立てているそうだ。もし運転手として雇われたら下の弟がタクシーを運転するそうだ、なんていったって7人兄弟だから。でもワジッドとバシールは同じ村の出身だから、兄を後釜に据えるのは止めておいてください、と言う。兄を雇用すれば、まるでワジッドがバシールを追い出したかのように思われるからだ。依然一緒に働いたキリスト教徒のダニエルがいるから、その人を紹介しましょう か、と。 バシールは暗雲が立ちこめるのを察してか、見るたびに車を神妙に綺麗に掃除している。午後から乗馬に行くので土埃で車が汚れる事も分かっていながら洗車をしている。乗馬での空き時間も窓を磨いている。そしてバシールには運が悪い事に今日は給料日。苦言も給料日に言い渡すし、先方からの要望もこういうときに出て来る。どれだけ理解できるか知らないが、ゆっくりと静かに、何度も同じ指示を出す事は嫌だということ、電話が繫がらなくて待たされたり、車の整備がどうなってしまっているのか分からないのは困る事を話した。「携帯は問題が無い、着信履歴も無かった。」と言うが、そういうことじゃなくて、連絡があるまで待つのではなくて、どうしたら良いのか考えて欲しいのだ、と伝えた。つぶやくように「ネクストタイム(次は気をつけます。)」と言って下がる。 名誉挽回の機会となるはずだったらラホールへの小旅行もまたもや中止だ。パンジャブ州に大きな影響力を維持する政党PML−Nの党首で元首相のナワズ・シャリフとその弟の選挙無効が最高裁で確定されて、イスラマバード以外の各都市でデモが起きている。PML−Nの本拠地のラホールになんかとてもじゃないけど行かれない。普段の運転でもレーンを守るように、ゆっくりと燃費良く、乗り心地の良いように走るように、と何度も言っているのだがすぐ忘れる。用事を言いつけてもあまりうまくいかない。 45歳の彼がこれ以上勘が良くなるとは思えない。そして半年以上どこかの家庭や組織に勤めた事が無いため成長の機会が与えられなかったのか、成長が見られないから続かなかったのか。さて、いくら払ってどのタイミングで辞めさせるべきかと考え、ワジッドに、辞めさせるにはどれくらいの猶予を与えるべきだろうと聞いてみる。すると「If Madam want, please give one more chance. If Madam want.」といつもどおりの謙虚さで、明日にでも辞めさせる勢いの私に待ったをかけた。 「悪い人じゃないけど指示どおりに出来ないのが困る。英語もまだ充分ではない。今回一度の事で怒っているのではない、こういうことが止まないからいけないのだ」と説明する。ダニエルは英語を話すのか、と聞くと、話す、と言う。とりあえずダニエルの書類は明日揃えるとも言う。同村のよしみで庇ってみるのか、本気でバシールを思っているのか。 ワジッドがそういうならちょっと考えてみる、とワジッドの顔を立てた。でもここで妙な仏心を出しても何にもならない。どのタイミングでダニエルを雇うか、バシールにどうやって引導を渡すかをこれから数日、数週間の間に考えることとなるのだろう。気の毒だけど、今までも短期で食いつないできた彼だからなんとかなるだろう。気が重い事に変わりはない。
2/25/2009 叱られる方も辛いが叱る方も辛い 日曜日に問題点を指摘して、月、火と神妙だった。いつもの能天気すれすれの明るさが無かった。ワジッドに、バシールは怒っているように見える、と伝えると、バシールはマダムが怒っていて自分を辞めさせるのではないかと思っている、と言う。まあ、当たらずとも遠からず。賢いワジッドは自分からはバシールに何も言わなかった。ワジッドのお陰で首の皮一枚で繫がっているというのに。 水曜日の朝は助手席に座ってみた。助手席に座ると隣で緊張しているのが分かる。運転もいつも以上に丁寧だ。バシール、私は何をあなたに要求している?と聞いてみる。「イエス・イエス」いや、そうじゃなくて、私の要求を言ってみて。「イエス・イエス」緊張のあまりウルドゥ語の丁寧語で「ジー、ジー」とも言う。 うー、やっぱり通じないのか、と沈黙がちょっと続くと、ぽつぽつと答え始めた。運転にも気をつけているし、周りに不審車がないかもいつも見ている。携帯も調子が悪いとすぐ変える。電波が届かないといけないから地下に皆といないで屋根裏の自分の部屋にいる。(いつも上で寝ている、という話しもあるが。)英語が問題なのも分かっている、ついてはマダム、教わってくるので自分のノートに要求を書いてください。ちゃんと守ります。 ノートカードに「安全・治安」「整備」「運転技術」と見出しをつけて、細かく要望を書いてみた。やっぱり私の要求水準は高い。こんなことうるさく言う主人はそんなにいないだろう。職場の同僚である運転手さんに相談に行きがてら、ノートカードを見せたら、一瞥してふっと笑って「バシールとちょっと話してみる、イスラマバードには仕事が他にもあるだろうから本人が続けたいのか聞いてみる、ドント・ウォーリー」と。 職業柄、私はパキスタンに来る前からたくさんの運転手さんと接してきた。それがバシールには仇となっている。ついついバシールを運転手界業界の双六の上がりみたいな人達と比べて、同じような仕事ぶりを要求してしまう。でも本人もそういう風に扱われるのは嫌いじゃないみたいで、彼なりにプライドを持って仕事をしているふうだ。 人は悪くない。態度も良い。勘がそんなに良くないだけ。要望というか指示書というかを渡すと、嬉しそうに「サンキュー」という。彼も仕事を続けたくて、ワジッドもバシールと働き続けたいのなら、このまま社会貢献と一人技術協力と思ってバシールを鍛えてみるか。がんばれ、バシール。がんばれ、私。
3/1/2009 バシールも私もいろいろな人に支えられて いつまでも続くかと思っていたが、バシールのがんばりが今でも続いている。最初、特に英語が分からなくて行き先を間違えたり、時間通りに来なかったりしたときには、ほぼ仁王立ちになって怖い顔で迎えてみたりした。本当に怖そうに「ソーリー、ソーリー」と言っていた。それがだんだんとバシールの努力が分かってきてからは、間違いが起きても、叱責せずに「遅れたわねえ」と静かに言った後に、単純な用事を頼んで挽回するチャンスを渡したりしていた。 ある程度の信頼関係が出来ると、主従の関係はかっちりと守りながらも、朝はハクション大魔王みたいな笑顔で「グッド・モーニング!」と迎え、職場で降りる時は「フダ・ハーフィス!(God Bless you)」と迎えの確認時間を聞き忘れる勢いで、元気よく挨拶して降ろしてくれる。さしずめ「いってらっしゃいませ!」か。車に乗った瞬間も何度でも「グッド・アフタヌーン」や「グッド・イーブニング」と挨拶をする。基本的にパキスタン人はどうも挨拶を大事にするらしく、いつもしっかりと挨拶をしあっている。 昼休みにバシールの運転する車に乗ろうと職場の部屋を出た時、同僚の運転手さんが私の所に来てくれた。「バシールと話した。どうしてちゃんと言いつけ通りにルートを変更して走らないのだ、どうしているべき場所にいないのだ、仕事を変えたいかと聞いてみた。本人は仕事を変える気はないと言う。あなたが車に乗ったらすぐに謝れと言った。きっと彼はちゃんと謝っていないだろう。次からは気をつけますとちゃんと言えと言っておきましたから、大丈夫です。あの運転手は私の友人ではないし、辞めてしまえばそれまでの付き合いです。あなたはまだ2年間同僚として、上司として、ここにいます。この国のお客様です。何かあったらいつでも言ってください。車の事じゃなくても言ってください。」パキスタンの人はよく、<この国の客人として>という言い方で気を使ってくれる、歓待の精神がある良い人達だ。 すでにバシールとは話がついていたから、タイムラグが生じてバシールは第三者にもう一度怒られたことになったかしらん、と思って車に乗った。ところがバシールはご機嫌だ。 エンジンをかけてちょっと走ると、話し始めた。「いやいや、本当に申し訳ない。いろいろ小さな間違いをたくさん犯していますが、今後は気をつけますから、本当にすみませんでした。(マダム、アイアム・ソーソーリー。アイ・リトル・リトル・ミステイク・エブリタイム。モア・ケーアフル。)」なんか他にもいろいろ言っていたけど、私もいやいや、サンキュー、サンキューとお茶を濁した。同僚がどういう言い方をしてくれたか分からないけど、えらく前向きで反省していてやる気に溢れている。 やる気が出たり、遅れて怒られた後とには自分を罰するかのように、「夕食を取らずに待ってました!」とか「戻らずずっと待ってました!」と嬉しそうに報告する。さっそくその夜も夕食を取らずに待っていた。ふてくされたり腐ったりせずに「えへへ、えらいでしょ」という感じで言ってくるので、ついつい次に仏心をだして、それでお互い失敗したりの繰り返しだ。 そして今日、ヨーロッパ人の友人の若い運転手さんで大学出だという人の車に乗った。英語も理解力もバシールに勝っている。今まではその友人の上司の運転手を勤めていたが、上司の家族が退避となり、解雇されたところ赴任したばかりのこの友人がこの街に慣れるまでの間使っている。彼は自分の雇用が継続されないかもしれないことを薄々感じているのかもしれない。どことなく悲哀が漂うし、力強い明るさも元気もない。そもそも「大学は出たけれど」な状態なんだろう。 それに比べて叩き上げのバシールは、私の運転手であることが誇らしげでとても嬉しそうだ。私の要求水準は高いが、明確で分かりやすいし、黄色い声を張り上げて怒ったりすることもない。バシールはプライドを持って楽しそうに仕事をしている。土曜日の朝は小さな鍬を片手に私の家庭菜園を耕している。ひなたぼっこをして、通りすがりの子供を可愛がっている。また一雨降って地が固まっていった。
3/7/2009 「直ちに新しい運転手を見付けなさい。」 ところが、ブログを読んだハワイの友人で、ハワイで定年生活を送る前には香港で某金融機関のアジア地域統括支店長だったアメリカ人女性からお叱りのメールをいただいてしまった。運転手ほど重要な使用人はいない、世間に対する自分の顔にも値する。どこかに乗りつけたり、迎えが来た時も自分自身の地位や威厳やイメージにも影響する。治安の悪い彼の地で危険を察知する役割も担う。優秀であれば安全が求められるその国での保安対策にもなる。ただでさえ心配しているのにこれ以上ブログ読者に心配をさせずにさっさと新たな運転手を見つけなさい、と。それで渋々重い腰を上げてバシールを解雇するタイミングを見据え始めたのだった。
What's this about hiring a driver who doesn't even know how to drive your car?? Hiring your servants' relatives is OK for jobs like sweeper and toilet-cleaner and launderer and gardener, but for driver? No! As Mr. Darcy would say, it will not do. Your driver is the most important employee you have. He is your face to the world outside. He affects your image, your prestige, your status, whenever you drive up to or away from a place. He should be a guardian against possible danger; if he's good he can provide a measure of security in a place where security matters. There must be a better way to go about finding a good driver. Don't make your readers worry about you any more than they already do.
お叱りメール3/10/2009 相手に教え、自分も学び、自分の身体に教えこむ パキスタンで週末ごとに通っていた乗馬でレッスン中にコーチに繰り返し言われているたことがある。<馬の調教をするときは馬に教えながら自分も学び、自分の身体に教え込むのだ。馬に教え、自分も学ぶ。>使用人との関係もそれと同じだなあ、と思う。職場の部下も同様だ。だから最初に部下や後輩を持ったときの部下達からは多くを教わっているし、今だったらこういう接し方をしただろうにな、と思う。でもそこは一期一会。そのとき自分が最良と思う接し方をするしかない。 人の上に立つというのに完成系はないし、自分の場合は少しでも良い上司像に近づけているのであれば、それは学ばせてもらった過去の部下たちの犠牲の上に成り立っていると思う。
三月はテロだの街中が封鎖されるデモや車の故障にワジッドの不在などですぐにバシールの解雇という事態にはならなかった。一時帰国も控えていたので、雇用は継続されていた上に、できれば次の目処が付いた上での解雇としたかったためもある。東京に着くと張り詰めているパキスタンの日常の緊張感がほぐれていく。
イスラマバードでの喧騒が嘘みたいな平和な東京の日々。街は春の活気に溢れて不景気風も恐れていたほどには感じない。前回正月に帰ってからの三ヶ月間にはいろいろあった。ムンバイ事件にラホールのスリランカチームへの銃撃、シャリフ兄弟の解任に対するデモやロングマーチ。それで神経が実は擦り切れていたのか、日本に発つ日にまた運転手バシールの首を切りそうになった。 いや、バシールは悪い奴ではない。仕事も一生懸命やる。でもたまに調子よさが鼻について、他の運転手さんがとても優秀に見えるのだ。確かに、バシールの様にびしっと車を降りて、ドアを開けている運転手もいない。ただ、他の運転手さんには車の故障があると2、3の修理工場を回って見積もりを取ってきて自分で修理をしてきてくれる人や、マダムのシャルワ・カミースに合わせたショールを買ってきてくれたりするセンスの良いアイザックがいたりする。まあ、アイザックは婚約者に「私の為に死ねる?」と聞かれて睡眠薬を多めに飲んで、マダムのお迎えにふらふらで来たりもするのだが・・。 皆運転手さんにはわりと苦労するらしい。何人目かをクビにした後自分で運転している人もいる。そう考えると、ジェネレーターの管理を頼んだのに時間通りに作動しない、とか車の修理を任せられないとか、調子よくサボろうとニカニカと「後お仕事は?」とか「6時半じゃなくて定時の5時半の迎えですか?」とか聞くことなんか大目に見ようではないか。私の機嫌がなんか悪そうだと思ってか「隣からもらってきて、花壇にいい匂いの花を植えました。」と得意げに言ってみたりする。そんなことよりも車やジェネレーターの管理をしっかりしろ、と思うのだがあまりにも得意そうで笑ってしまう。 バシールの文句を職場で言っていると、皆が料理人ワジッドと比べてはいけない、と諭してくれる。前回クビにしそうになった後2、3日は本当にしょげていて、挨拶をしてもしょぼーんと小さな声で返してたよ、と言う。いろいろな言い訳があったりなかったりで逃げていく運転手さん達だって大勢いる中、そんなにうちで働きたいのならありがたいと思うべきか。住み込みで休みをあまり取らないというのも魅力なのだ、と同僚に諭される。確かにそうだ。いざ、というときにつかまらないのは面倒だ。 しかし、なによりもブログネタは尽きないバシールだ。クラスに一人はいる調子の良いおっちょこちょい、そんな感じの若干44歳のおっさんだ。私がいない間は喜び勇んで村に帰っていった。古くなった家を修繕するために頼まれて給料を1か月分前払いにした。優等生ワジッドは帰国する私に「ご心配なくマダム、自分の家だと思って留守を預かります。」と言う。なんでこの2人に同じ基本給を払っているのかよく分からないが、とりあえず2人のでこぼこ具合はちょうど良く機能しているみたいだ。
3/31/2009 バシールの心温まる気遣い 1ヶ月半ほどパキスタンを離れている間にワジッドのお父さんが亡くなって、ワジッドはカシミールにずっと帰っていたそうだ。なので、ワジッドに頼まれて、その間ほとんどバシールがうちにいた。自主的に二人で留守番のシフトを組んだようだ。警備会社には任せておけませんから、とバシールが言う事は最もだ。そうは言いながらも、留守中の給料も払っているとはいえ、本当は使用人にそこまでは求めないんだけど。 帰宅して、きれいに野菜が並んでいる家庭菜園を眺めていると、バシールが出てきて、ちょっと照れたように、バジルを近所からもらってきたのだと言って、間に落ちているゴミをどけた。車を出すと、近くに超してきた日本人駐在員家庭の料理人や運転手が車中のバシールに手を振っている。 なんだか分からないけどバシールおじさんも彼なりに一生懸命私に仕えている。プロフェッショナリズムに欠ける、とたまに憤慨している私だけど、プロフェッショナルな運転手は自分の里帰りを返上して家の留守番もしないし、どこかからバジルを植えてきて私の食卓に並ぶようにはしない。 同僚とお茶を飲んだ帰りに同僚が、「あ、バシールさん久しぶりだ。なんかかわいいですね、相変わらず。憎めないですね.」と言っていた。その方向を見るとバシールが木陰の椅子の上でひざを抱えながらのどかに揺れていた。
5/10/2009 バシールが、「ディス・ナイス スメル」と私に差し出した花。ここのところ、どこかで拾った花をクーラーの吹き出し口に指している日もあった。これは水につけておけ、という。10日は持つから、と。 その前日の夜、車に乗り込んだらジャスミンの小さな花や蕾が連なった輪っかがバックミラーに掛かっていた。まさか私が出てくるのを待っている間にバシールが針と糸で小さな花をつないだか?バリやネパールと違ってイスラムの男性は日常に花を取り入れる文化があるわけじゃない。道に咲き乱れるジャカランダの花を指して、あれって何て言う花?と聞くとアイ・ドント ノーと悪びれずに答える。 そこで思い出した、夜信号待ちをしているとストリートチルドレンみたいな子供達が窓に顔を寄せて物を売ろうとするのだけど、この輪っかを売っていた女の子がいた。ガラクタ売りでも物乞いでも断固として私は小銭を渡さないのだが、この花は良いアイデアだな、と思っている内に信号が変わった。そうか、そういう子からバシールが買ったのだな。 「フラワー・ベリーナイス」、とバシールに後部座席から呼びかけると、ラワルピンディーで10ルピーで買った、夜にはまた買えると言うので「グッド・アイデア。アイ・ライク」と30ルピーを渡しておいた。翌日には小さな花輪が2連も飾ってあった。
5/16/2009 ワジッドのお父さんが4月の終わりに亡くなった。イスラムにも49日みたいなものがあるらしく、その為に日曜日からなんと5日間も休みを取ってカシミールに帰る事になった。いつもながらワジッドの不在は不安である。あとは頼りになるようなならないような運転手のバシールだ。昨日の晩にラワルピンディーまでワジッドを送ってあげたとのこと。ダッシュボードにはジャスミンと思しき花輪が飾ってある。 昨晩イスラマで信号待ちしていると走って寄ってきたお兄さんから10ルピーで買っていた。なんだ、子供じゃなくて大人じゃないか。そしてラワルピンディにも花売りがいるらしく、普通は2輪なのに、4輪がたわわになっている。そこを通るたびに買わざるを得なくなっているのだろう。夜「グッナイ〜」と言いながら、おっと、花を冷蔵庫に入れておかなきゃ、と自分の部屋に持って帰って、朝車に乗るときに嬉しそうに取り出してダッシュボードにかけていた。大雑把なんだか細やかなんだか分からないおっさんだ。 昨晩、外交団区域に夕飯を食べに行ったときに、車は置いておいて、バシールは2時間は自由にしなさい、とガソリン節約の苦肉の策を講じた。未だに私はどこかに行くたびに運転手を家に帰して遊ばせておいてまた迎えにこさせるというガソリンの浪費に納得がいかない。運転手なんだから私のいるところで待ってろ、と思うのだけど治安のせいか過酷な気候のせいか、同僚も皆そうしている。夕飯を終えて、夜中の12時過ぎに家に戻ると、さてこれから夕飯だ、と陽気にバシールが宣言する。食べなかったの?と聞くと、良い場所が無いから茶を飲んだだけという。家に帰すべきだったかしら、と一瞬思って、そんな自分を戒める。
5/24/2009 バシ弁で職場でランチ 普段は昼休みに自宅に戻ってワジットの手料理を食べていた私だが、ワジットの留守中は外食が多かった。この時期はテロが多少落ち着いていたのか、パキスタンに慣れてレストランに行くことにも抵抗がなくなったのか。日本人が標的になることは想定されていなかったので、日本人学校も開校していた。国連や欧米の外交団の多くは家族の帯同を許していなかったが、日本は青年海外協力隊を打ち切った以外は、子供づれでも家族での滞在は継続されていた。
今週は部下の女性2名を連れて新しいフレンチのお店に行った。二人ともパキスタンを出た事は無く、パキスタン料理以外は食べつけない。とりあえずガスパチョを選んであげてからはたと気づくとワインやシェリーで調理してあるものが多い。オーナーにイスラム食のハラルフードはどれなのか確認するとワインが入っていないチキンを教えてくれた。私はビーツと人参の冷製スープの後、ラムとビーフのラグーのラビオリ。デザートのタルト2つと私はコーヒーを飲んで1人1000ルピー弱。 その夜は同僚と中華料理店に行き、持ち込んだビールと紹興酒でたらふくご飯を食べて一人600ルピー。その翌日はマーケットでシャミバーガーの卵入りという高級な方を頼むと55ルピー。今週はバシールが頑張っているから2つ買って一つを「ギフト」と言って渡した。サンキュウと満面の笑みだ。 そして今朝、職場に到着するかしないかのところでバシールが「エクスキュジュミー、マダム」と切り出した。母の姉が亡くなったからラワルピンディに日中行かなくてはならない。ついては昼は迎えに来られない。 車が無いと私は何も食べられない。家を出る前に言ってくれれば昨日のパーティーの残り物を持って出たのに、今更そんなことを言われても、と呟いて困った顔をすると「オッケー、ノープロブレム。アイアムカミング。」ときた。 「アイアム・レディ、パキスタニ・フード」というのは自分がパキスタン料理を作って来るということらしい。パキスタン料理は時間も手もかかる。ではお願いします、という簡単なものでもない。美味しいと評判のお店をいくつか列挙して、サモサを買ってきて、と頼むともう一度自分がご飯を作れる。パキスタン料理とライスだと本気で言っている。 たしかにワジッドとの食事を担当している事も多いし、石けんで手を洗う事も教えてあるし、なんとかなるだろうと思い、お弁当を届けてもらって帰ってそのままバシはラワルピンディに出発する事で決まった。お昼時に届けられた食事は大量で、この前銀座で食べたようなフルコースだった。チキン・ビルヤニ、ダール、チキンカレー、キッチンタオルに包まれたチャパティ、温かい料理とは別にぶら下げてきたライタ。割り箸とフォークとスプーンまでちゃんと入っていた。バシの事だからフォークはぜったいに忘れると思っていたのに。 昼はカップラーメンで済ませようと思っていた、という同僚とパキスタンに到着して3日目の同僚の3人で分け合っても充分な量のごちそうだった。私はバシの健気さがおかしくて職場の運転手さんに移動中にこの話しをすると、仕事を何だと思っているんだ、昼いきなり抜けるのはおかしいと言い、弁当のことについては鼻で笑う。あまりにも当たり前な反応だ。これが流暢に英語を話す職場の最優秀な運転手とタクシーの運転手から私の運転手に昇格した人の差だ。バシは一生懸命なんだけどやることがなんだかちぐはぐなのだ。あか抜けなくてプロフェッショナルではない。 6時にはインシャッラー(アッラー次第で)ちゃんと迎えにきます、と言っていたけど6時10分過ぎに出て行ってもいない。電話するともう外門にいます、と言うので内門の外を歩いていたら猛スピードで車が迫ってきて、「ソーリーソーリーソーリ」とバシールが申し訳無さそうにしている。 パキスタンの人は過ちの説明をしなくてはならないと思うから、謝るよりも先に「アクチュアリー・・」といかに渋滞だったか、知り合いに遭遇して抜けられなくてと延々と説明をし始めるのが常だ。それをやろうとした警備員になんどか「聞きたくないわ。」と手で遮ったのを見ているせいか、もうバシも「アクチュアリー・・」と言わなくなった。弁当を作るよりも指定した時間にちゃんと帰ってくる事の方が運転手として大事なんだけど、もうそう思うのは止めた。自分から弁当を作る、と提案する運転手もそうそういない。解雇の危機を何度も乗り越えているバシール。最近はルートもちゃんと変えているし、運転も燃費も乗り心地も良くなってきた。
5/28/2009 料理を届けてくれたバシールは、「マイ パーティー」と自分のおごりだと言ってお金を受け取らなかった。これはどこで買ってきた料理だったのだろう。冷静に考えると数時間でこれだけの食事を調理は出来ないと思う。あまり計算や打算で動いている感じはなく、美味しいランチを調達してきた。でも都合よく叔父さんや叔母さんが立て続けに亡くなったり、割と長期返済で借金を頼んできたり、不思議な動きもあるにはあった。
嵐の前の平穏な日常 金曜日の夜にワジッドが帰ってきた。外食続きで疲れていたので土曜日は早速に昼は冷製カッペリーニのジェノベーゼにざくろのスーパードレッシングを使ったトマトサラダ、夜は豚の梅シソ巻きにオクラのおひたしにご飯とお味噌汁という幸せな食事をとれた。 朝から乗馬に行き、ヨガを試み、毎晩残業が続いていたバシールにもう今日は仕事は終わりと伝えると、叔父が亡くなったから5日間田舎に帰りたいと切り出す。ついては給料を2日前倒しで払って欲しいのと、お願いをノートにしたためたから読んで欲しいと言う。伯母さんに続いて伯父さんとは今年は不幸が続く年なのか、ワジッドが帰ってきたから安心して伯父さんも亡くなったのか。 ノートには家の補修をしたいからお願いですから3万ルピーを前借りして10回払いで返却させてください、と丁寧な書簡形式。5時の田舎への出発予定には後30分もないからゆっくり考える暇もない。それなら借金を先延ばしにすれば良い話しだが英語で立派な手紙を代筆してもらう事の重大さを重く受け止めてしまった。なんていったって田舎に子供3、4人残しているおっさんだ。 しかし、月曜日から4日間運転手がいないのも面倒だ。その場で同僚が休暇中で暇にしている運転手さんや、首を切られたばかりの運転手さんに電話をさせるけど、代理は見つからない。翌日の乗馬行きのタクシーはアレンジしておいてくれたが、タクシーでは警備が厳しい職場まではたどり着けない。するとバシールはまたもや「オッケー・ノープロブレム」と言って月曜日の朝までには戻って来る、と言う。来月の私の休暇に合わせて休みを取るというのだ。なんと親切な。 前借りは1ヶ月分の内翌月払える分だけ、と決めてある・・はずだった。でも豪華弁当を作ってもらって、休みを返上してもらうとこちらも負けざるを得ない。しかし、只では負けられないので、まるでショールを買うように、借金を半額に値切って3ヶ月で3回とボーナス払いで9月末までには払い終える額の1万3千ルピーを渡した。これでバシ弁分のチップは無利子扱いの利子分へと消えた。そして給与アップもしばらくお預けにしていいだろう。 親戚の死も家の修繕も休みや給与交渉、借金申し込みの常套手段だ。ウルドゥー語の先生によると、ただお金を貸してください、というよりパキスタンの人は必ず大掛かりな説明をするという。そして現在攻撃されているスワートの人は信用していいけどカシミール人にはおいそれとお金を貸してはいけない、という。それを言ったらワジとバシの献身ぶりはパキスタン人とは思えないとよく言われるから、信じるものは自分のカンだけ、ということになる。ただし、これを持ち逃げされても退職金より安いくらいだ。それよりもバシは、最近同僚の運転手が、運転手にしてみれば不当解雇に近い形で泣き寝入りを強いられたから、自分の職の安定を確保する術で10回払いを提案してきたとも考えられる。 そしてバシが田舎へ旅立って行った翌、日曜日の明け方、お腹が痛くなる。上を向いているとそうでもないのだけど、横を向くとシクシクと痛む。お腹を壊し、熱が8度8分まで出た。これが噂のパキ(スタン)腹か、それとも豚インフルか。ネットで調べてもどちらでもなさそうだ。日曜日は一日寝ていてワジッドがレモン水を階段の踊り場まで運んできたり、携帯でお茶やお水は要りませんかとメッセージを発し、気にかけてくれる。 そんなときにワジが作る豚汁とお粥を食べると力がつく。牛蒡が入っているからこれどうしたの?と聞くと乾燥牛蒡がありました、と言う。豆腐が売っていなかったので油揚げは作れませんでした、とも。豚汁つくってね、の一言でこれだけの物が出来ているというのはやはり幸せだ。お腹を壊してふらふらしているというのに、前日にサバの一夜干しと間違えてしめ鯖を解凍してしまったワジのために、鯖寿司を作らせてみる事にした。その調理の前にはワジが長らく留守にしていた台所を漂白剤かお酢で殺菌してもらった。体調が底打ちの時に果敢にも鯖寿司に挑戦。これで悪化したら本物の食中毒だなと思いながらも食欲はある事を確認。鯖寿司は太巻きのように一周してしまったので、それを半周にして、もう一度作ればうまくいくはず。 月曜日には熱も7度2分に下がったので、朝4時半に戻りました!と朗らかに報告するバシに静かに運転してもらって職場に行き、職場の日本人医師に整腸剤とアイソトニックドリンクの粉末をもらって少し元気になる。本物の食中毒だった嘔吐もあるし、抗生物質が処方されたことだろう。疲れと暑さとクーラーで身体を冷やしているのだと思う。バシにも、私が病気だから殺菌石けんでよく手を洗うように言った。いつも洗ってます、と得意げに言う。なんとかまたバシとワジが揃った日常に戻りつつある。
6/1/2009 パキスタンのカシミール人、パンジャブ人、シンド人やパシュトゥーン人
連日40度は暑い。湿度は40%程だから、まとわりつく暑さではないけど、まだまだ夏が続くと思うとうんざりする。自分で料理をする訳でもないのに暑くて毎日の献立を考えるのさえも面倒くさい。暑いときは辛いものだ、とホノルルの韓国料理を懐かしく思い出しながらタットリタンを仕込む。ナムルも作ってもらったが、こちらの教え方が悪いから間が抜けている。ごま油をちょっと足そう、と言っておいた。 その前はラタトュイユにクスクス、のつもりが出てきたのはキヌワだった。ワジッドがクスクスはハラルですか、と聞くので北アフリカの回教国の主食だからハラルだよ、と教えるけどキヌワは南米の穀物だ。マダム、キムチはハラルですか、と聞く。豚が入っていると思えないからハラルのはずよ、と言うと、もう味見してしまいました、と言う。和食も韓国料理も日本酒を入れている状態で味見しているから、本当はそれはハラルじゃないはずだけど知らないでいい事はあえて言わないでおこう。韓国料理なんて作った事無いだろうにタットリタンはなかなかの出来映えだ。 そしていつまでたってもワジッドには追いつけない運転手のバシールは、交通警察にタイヤが痛んでいると呼び止められたと主張する。職場の運転手さんに一緒に見てもらうと毎週足場の悪い馬場に通うせいか、タイヤがすり減っているので後輪を交換することにする。めずらしくバシールが3つの修理工場の合い見積もりを取ってきたのだが、いざ交換しようとするとタイヤの幅が違うので後輪だけじゃなくて4輪とも交換する必要があると言う。職場の運転手部屋に出向いて、運転手さん達に相談すると、車輪の番号を確認していろいろな業者に電話をしてくれた。イスラマバードでは見つからないから今度ラワルピンディで聞いて来るから数日時間をくれ、と言ってくれた。 でもそれは職場の運転手さん達がバシールを一人前に見ていないから、手を貸してくれたものらしい。以前、バシールに指導してくれた運転手さんは、バシールは信用がならないしプロフェッショナリズムに欠けると半ば小馬鹿にしている。ここだけの話だけど、と前借りを私に頼んでくれとバシールが彼を呼び止めて依頼したと話してくれた。職場の運転手さんにそんなことを言ってみるなんて、バシールは分をわきまえない。「カシミール人っていうのは信用ならない、前借りしたりして職を確保しようとするのだ」、と推定パンジャブ人の運転手さんの談。しかし、別の運転手さんはカシミール人だし、うちの職場の優秀な役務系はけっこうカシミール人が多い。それにワジッドとバシールなんて同じカシミール人なだけじゃなくて村まで一緒だ。一緒くたにしていいのかなあ、と思う。 カラチのあるシンド州ではパシュトゥーン人の人口増加を懸念してスワートからの国内避難民を閉め出そうとするし、運送業の大半を占めるパシュトゥーン人が運転したバスが人身事故を起こして住民と対立が起こるし。パキスタンの民族間の差別やイスラムの宗派間の差別もそうとうなもんだ。シーア派とスンニ派、スンニ派の中でもデオバンディだのバレルビだの。せっかく南アジアのイスラム国家を作ったんだから仲良くしなさい、と言いたいところだがそううまくもいかない。 そして私は本来であればすぐに受け取れるべき書類をパキスタン政府に督促しに、わざわざパキスタン外務省に足を運び、パシュトゥーン人の役人の執務室で決裁が終わるのを1時間もお茶を飲みながら待っている。生産効率は悪いし、賄賂の温床だ。
7/15/2009 どんな仕事でもリスキリングは大事 朝ご飯を遅くに取ったので、昼ごはんを抜いて三時のおやつにサモサを食べる事にした。新聞に掲載されていたベンガルサモサだ。バシールも嬉しそうに分け前に預かれるのではないかと車を走らせる。しかし、ここのところバシールにはちょっと冷たく接している。何故なら来週にも首を切るから。 憎めない性格からなんとなく付き合ってきたけど、向上心の無さが災いして理解力がどんどん落ちている。楽な方に流れていく。無駄な支出がある、とか、面倒なことが起きたときに対処ができない。職場の運転手さんに実は首を切るのだと言うと、なんで彼はみすみすとこんな良い仕事を手放すのだ、と頭を振った。この運転手さんは個人の運転手から職場の運転手のトップに上り詰めた人だ。きっと根本的にバシールを理解できないと思う。この前夜、その二人で座り込んで語り合っていたが、何か諭したのだろうか。そうだとしてもバシールに成長はなかった。 転勤する友人の運転手さんはまじめを絵に描いたような人ということ。通いになるが、うちからバイクで15分の距離の場所だからそんなに不便はないだろう。今回のバシールの解雇は本気だからワジッドにも言っていない。気の毒だけど慈善事業で運転手を雇っている訳じゃないのでお引き取り願う。心が痛むには痛むのだが。だからせめていつものとおり優しくしてぬか喜びさせずに、やっぱり・・という感じで辞めてもらうしかない。あくまでビジネスライクに。
2009年8月9日 そして、とうとうその数日後に推薦状を用意して、前借りした借金を退職金がわりとしてバシールの解雇を言い渡した。それからは何人の運転手が回転していったことか。優秀で通っている人でも相性が良くなかったり、英語はできるのに言葉が通じなかったり、先方から断られて去られることもあった。落ちこぼれのバシールとは相性が良かったのだと思う。
不正防止の抑止効果と主人としての義務と 運転手がバシールからアルタフに変わって、運転手との距離感が変わった。さすが色々な組織で長らく勤めていたアルタフは存在感を消すことができる。待っている事も気にならないし、表情もあまり変わらないし、無駄なことを言わない。 ブレーキから音がする、というので5月に修理したばかりの店に車を持っていかせると、純正ではなくて、現地生産の安いものだという。音はするが問題ない。店では、バシールが持ち込んだ物だから工賃のみしか分からない。それなら自分の領収書に言い値で材料費を書くなと言いたいが、それではバシールが取り分を抜いたのか?と思わせる言いぶり。ワジッドを通じて、アルタフと二人でバシールに連絡を取って説明を求めよ、と言い渡したが電話が通じないという。アルタフは、とつとつと、純正なら多分倍はします。一回分解して洗浄したら軋みが無くなりました。今の状態から、新品時の市場価格はわかりません、と言う。うーん、すると車の修理費が高いと騒ぐ私の為に安物をバシールが気を利かせて買ってきた可能性もある。結局乗り越えられなかった言語の壁はこういう所で現れる。 言葉が通じるアルタフに、バシールの説明を利かないと店かバシールが誤摩化していることになる。私が直接手を下したり、手を回したりすると大変なことになるから、バシールは覚悟した方が良い、とドスを利かせた。修理費を抜いたり誤摩化すのはたちの悪い運転手の常套手段だ。職場にも、妙なカラーコピーの領収書を持ってきて、立て替えた料金を請求してきた運転手を厳しく追及したら自主退職した、というケースがあったばかり。日本人や日本女性からはちょろまかしやすいという風評が立ったらたまらない。 同僚に相談して、職場の警備部長から管理区域の入行証の返却の連絡をしてもらった。そのときに必要とあらば呼びつける事も出来るし、労力を厭わなければ警察に介入してもらって店とバシールを取り調べる事もできると言われた。でもバシールは数百ルピーずつ抜いていたことはあっても数千ルピーを抜くとは考えづらい。彼の車のメンテナンスに信用が置けなかったから最終的に解雇に至ったのであって、騙される程にはそもそも信用をしていなかった。 新しい体制になったので、ガレージ部分の掃除や家庭菜園の管理とか、ワジッドを通じてアルタフに厳しめに指示を出している。後から厳しくするのは難しいから、断食月でも遠慮も容赦もせずに仕事を言いつけておく。ただし、断食が空ける時間とお祈りの時間だけは気にかけてあげる。バシールと違って、アルタフは待機中は車の側にたたずんでいる。すぐに人の家に上がり込んで寝ていたバシールからすると気の毒な気がするが、結局昨年の断食月に雇用を始めた私は仕事にそもそも甘いバシールをつけあがらせた感がある。だから仕事には厳しくしても、食糧や原油値上げの物価高をかんがみて、月末の給料日前に断食明けに必須の果物やナツメヤシに充てるお金をワジッドに渡した。 バシールの料金水増し疑惑を追いかけたことが奏功したのか、ワジッドが「マダム、実は私はたまに浄水器から水をいただいています。」「マダム、食料品の出費が多いと感じているでしょうが、市場価格が上昇しました。」とめずらしく自分から言ってきた。ワジッドは気が小さい所があるし根が正直でまじめだから、出来心さえ起こさないようにすれば大丈夫だという信頼がある。アルタフも同じような雰囲気だ。でもアメとムチのバランスは難しい。仕事は適度に与えて、ちゃんと見ている事も示さなければならないし、来月の回教正月の扱いをどうするかも考えなければならない。月に2度渡しているお茶代に、来月は断食明けに毎日口にするナツメヤシも加えようと思う。あとは回教正月にはここの慣習に習って使用人皆に服の生地を渡すか、だ。
8/9/2009 後に活きることになった使用人との関係性 だいぶ月日が経って自分で運転せざるを得なかった時期に、いつもと違う時間に不意打ちで帰宅するとバシールが門の中に入り込んで警備員とだべっていた。思わず「アッサラムアレークム バシール、アプキヤハルヘ?」とウルドゥー語での挨拶が口を突いて出た。はた、と気づいて警備員に昔解雇した運転手を無断で敷地内に入れた警備員を叱りつけた。バシールと会えてうれしいのと、バシールを門の中に入れて良いかということは別である。
バシールとの日々は楽しかったな、と思う。でも仕事を介した関係でしかないのだから、仕事をきちんと出来なかったらその関係は継続させられない。運転手の職務とは、身の安全にも関わることだし努力して指導して、悩んで、解雇したのは正しかったことも今ならわかる。今の自分だったら解雇しなくて済んだのではないか、と思ったこともあったが、当時をつぶさに思い出してみると、採用経験も管理経験も積んだ今であればきっともっと早く解雇していただろう。 憎めない人を解雇すると言う経験は、その3年後に別の地で仕事でも体験することになる。なるべく自尊心を傷つけない形で穏便に、できる限りの指導の後にお引き取り願う。当事誰もが諦めていた問題職員の退職の序章は実はバシールの指導経験だったのか。生活を共にするような雇用関係は、自分の管理能力を鍛える場としてはすごい演習場である。一年目でなかなか濃厚なバシールとのやり取りとなったが、残りの2年ではワジッドを通じて更に成長させてもらったと思う。