所感諸々。16

初めてPCを使って書いている。なんだか長い文章になってしまいそうだと感じたから。

使うツールが変わると、画面に表示される文章の段落が変わるのなんだかいただけないけど、それはアタシがただ使い慣れていないってことですね。

そもそも、誰かに向けて書いているのではなくて、自分の覚書の要素が8割で、あとは共感してくれる人がいるのかを確かめたかったりで、始めたし。

予想通り、この駄文を読んでくださった方の1割が「スキ」を押してくれているので、アタシの考え方は独特なものなのかな。と感じている。

中学時代の友人は、アタシの話すことが当時は小難しくて理解できなかったけど、今は理解できるよと言ってくれる。

自分でも自覚しているけど、どうやら物事をこねくり回して自分でも消化しきれていないことを吐き出してしまうのは、今に始まったことではないのだな。

極力暗い話題や、強い正義感とかを押し付けるような話題にならないように気をつけてきたけども、書き込む内容は「イラッ」としたとかの引っ掛かりであったり、怒り?憤り?みたいなものを感じたときの気持ちだから、なにかしら皮肉めいたものにはなってしまう。

今、カオス(CHAOS)ですね。

どんな人の中にも先の見えない不安や、今まで通りにできないことへの不満があふれてしまっていて。

ふと、第二次大戦中の市井(しせい)の人の気持ちに心を寄せました。おそらく今と同じなんじゃないかと。

大本営のいうことに右往左往し、だけど何をしてもしなくても、時間は前にしか進めないシロモノだから、日常を維持するためにひたすら実直に「勝つ」ための努力を半ば強制的に押し付けられながらも、過ごしていたのじゃないかと。

こうの史代さん作の「この世界の片隅に」

ドラマやアニメにもなったこの原作の世界がとても好きで、ここまで戦時中の人の生活を調べて漫画にしたものをアタシは知らない。

当たり前のことだけど、どんな悲惨な時代でも「普通に過ごす、過ごそうと努力する日常」があるわけで、そこを丁寧に描いていることにハッとさせられた。

なにが起ころうとも、「生活」せねば日常は成り立たない。

「生きることを活か」さなければ、途端に維持できなくなるものが溢れてしまう。

いま、巷には情報が溢れかえっている。これも生活が維持できなくなってきつつあることの副産物と感じる。

陰謀論、都市伝説、日本の歴史、海外の情勢、人々を統制するためのリーダー、海外の王室、日本の天皇。

過去のことばかり考えていてもしょーがないし、生き証人がいなければ、過去のことも現在のことだって、ねつ造、フェイクいくらでも操作はできる。

でも、なぜ今ココにいるのだろうと知るときに、歴史の中から垣間見えるものがある。そして、間違ったことをやり直すポイントが見つかる。

時間をかけてここまできちゃったんだから、取り戻すのは容易ではないと思う。でも、やり直せないことはないんだから。

こだわって、とどまる理由は何?   


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