所感諸々。3
当たり前と、循環のこと。
当たり前って言葉を、前回多用してしまったけど、ふと当たり前ってなに?ってなった。
当たりが前?前が当たり?
語源を調べてみた。
漢語の『当然』と言う言葉がまずありき。
形容詞で、そのとおり、言うまでもない
という時につける。今の日本語の意味とそう変わらない。
この『当然』を読み方が同じ『当前』という字を当て、それを訓読みにして生まれたという説が一般的だそう。
もうひとつの説は、漁や狩りなどの共同作業で一人当たりに分配される取り分を『当たり前』といい、分配分を受け取るのは当然だとして『当然』の意味を持つようになった、という説もあるそう。
『当たり前』に持った違和感を、この『取り分』に当てはめてみたら、なんとなくすっきりとした。
これがモノの道理とか、良識だとかの正統的なのもについて、当たり前と言われることには違和感は感じない。
皇族の方へ、失礼な言動をしたってまた物議を醸してるあの人。
プライベートをよく知っている親しい友達が『遠距離恋愛、辛いよねー』って言うならいざ知らず。
身分の違いとか言うんじゃなくて、
披露宴に親族として出席してたら、主役達の友達がちょいと羽目外して騒いでるの見ちゃって、こちらが気恥ずかしくなる、みたいな感じ。
そういうのは、二次会でやってくれよ みたいな。
ただ、披露宴とは違うから、アイツあぶねーなって思ったなら、周りの人の中に騒ぎになる前にそれを上手にいなす人、いなかったのかしらね。
あとから議題にするくらいなら、サッカーのPKでゴール前に並ぶディフェンスの如く、壁になって防ぐとか。酔っ払ってたなら、空手チョップで気絶させとくとか。。。ふざけすぎました。
いい大人で礼儀礼節を重んじる人が集まっている場なのだから、あんな青二才、赤児の手を捻るかごとく対応出来る人がいて、当たり前じゃない?
これは、言うまでもないの『当たり前』
本題の『取り分』
パワハラだとか、叱責なんかのワードで出がちな
こんな当たり前のこと、わからないの??
ウチらの中じゃ、当たり前だし?!
これに、違和感を感じてまして。
で、取り分を当てはめたら、なんかすっきりする。
こんな『取り分』のこと、わからないの??
ウチらの中じゃ、『取り分』だし?!
そう、こんなフレーズを聞いて、不可解に思わない訳がない。
何をもって『取り分』とその人が思っているのか、わかっていればいざ知らず。
そう、相互で『取り分』がなんであるか、理解していないと成立しない話し。
これが、世代間のギャップであらわれる事柄なのではないかしら。
往々にして、自分のルールを知らしめたいときに出てくるsentence
世間の常識なんかにも、当てはめる。
でも常識なんて、時代背景とか使う道具が刷新されたら、いくらでもひっくり返るモノ。
漁や狩りなどの共同作業で、一人当たりに分配される取り分を『当たり前』とするなら、そこは不平等であってはいけない。
最近目にした文献で、縄文人は争いをしなかったってモノがあって。
食べ物の有無は、まず生きるための最重要案件だから、基本的には平等に分けていただろうね。
そこの当たり前を壊したら、命をかけて争ったかもしれないけど。
いまは食べ物だけじゃなく、いろんなものの分け前を享受しながら生きている。
資源とされるものは有限で、リサイクル・リユースを提言されて幾く年月。
近頃は『サスティナブル』って、言うんですね。
木更津に、サスティナブルをテーマにして農業、牧場を営むテーマパークができたとニュースで紹介していまして。
何が驚いたって、水の循環まで園内で行ってること。
上水は井戸水をポンプで汲み上げてって、これはよくある話しで。
下水については、施設内から出た排水は全て浄化槽の中で粗方キレイにしてから、園内の人工の川へ流し、さらにその川辺にクレソンを植えて、クレソンにまた水の浄化を助けてもらうってところ。
『循環』もテーマになっているから、きちんと巡らせる為に細やかに手を加えて、ムダを出さないという心意気に驚いた。
『はたらく細胞』ってマンガを読むと、自分の身体の中で起きていることが良く理解できるけど、カラダひとつ取ってもムダな細胞や器官は、いっさいなくて。
文句も言わずに、ウン十年働いてくれているなと思うと、アタマが下がります。
不調を覚えるというのは、細胞さんは毎日毎日同じことの繰り返しを几帳面に行っても基本大丈夫なんだけど、なんかくたびれたんだよねーって、言ってるんじゃないかと思える。
そう感じたなら、やっぱり休むのが一番。
脳みそも、目も耳も疲れさせないよう、なんの情報も入れない日
のんびり湯船に浸かって、筋肉や血管をリラックスさせる日
やること山積みで休んでなんかいられないわ、って言わないで。
マグロのように泳いでなきゃ死んじゃうの、とか言わないで。
考えちゃう人は、休んでる自分をじっくり観察してみて。
そういうアタシは、こうやってここへひとりごとを書くのは、情報過多で吐き出したくなるからなのです。
とんだお目汚し、失礼いたしました。