日本一小さな学校で学んだ大切なこと
こんにちは、kuniです。
みなさんは「日本一を知ってますか?」 というお約束を聞いてどんな問いを思い浮かべますか。山の標高、湖の面積、都道府県のエトセトラ、受験の参考書に書かれているような問いは、しばし教養として染み付いているものばかりです。
反対に、あまり世間には知られていない日本一も世の中にはたくさん存在しています。それゆえ日本一という敬称は、広告の世界ではしばしばプロモーションに駆り出されがちです。新聞の一面広告で出ているような日本一という敬称に警戒心を感じてしまうのはわたしだけじゃないですよね。
ところで、日本で一番小さな学校をご存知ですか?
日本で一番学生数多かったり、規模が大きい学校はすぐに想像がつきます。だけど、日本で一番小さい学校という問いはあまり知られていないし、なんだか意味深です。
さて今回は、そんな日本で一番小さな学校で過ごした日々について触れようと思います。今のわたしに大きく影響を与えてくれた場所です。
それでは。
書道がきっかけで禅の世界にのめり込む
以前の記事にも書きましたが、わたしは高校を中退してから紆余曲折を経てそのままお見合い結婚をしたこともあり、長いこと学歴コンプレックスに悩んでいました。
そんなモヤモヤした気持ちを断ち切るようにはじめた書道にのめり込み、やがて筆禅道というジャンルに出会います。いまからおよそ20年前、わたしが40代前半の頃です。
筆禅道は、整った文字を書くことよりも、一筆をもって「いま、ここ」という一点に力を出すことを大切にする書道です。そのため、書を書くテクニックよりもスタンス・心構えが重要になります。呼吸法や座禅、禅的な境地を体感し、全身をつかって活きた書を書くことが求められます。
当時 子育てや、ママ友との関係性、学歴コンプレックス、と様々なことに悩みがつきなかったわたしは筆禅道に傾倒していくと同時に、禅自体にも興味が湧いてきました。子育て中でしたが、家庭とは異なる場所で学ぶことへの好奇心がかき立てられたのです。
そんな中、筆禅道の師匠から禅や仏教を体系的に学べる学校があることを聞きます。それこそが日本で一番小さな短大であり、日本で唯一の禅・人間学科を開設している正眼短期大学です。
正眼短大は、臨済宗の正眼寺が設立した「禅による人造り」を掲げている学校であり、ひとりひとりの個性を大切にした指導を行なっています。そのため、非常勤含む20名の教職員に対し、学生の定員が30名(当時)とかなりの少人数制になっていました。
キャンパスは岐阜県の山奥にあり、生徒の多くは僧侶を目指すことを目的に入学することや、2年間は原則入寮が義務付けられていることが普通の学校と比べると特殊に映るはずです。当時のわたしの心境には非常にフィットするものがあり、学校見学後に社会人枠での応募を決意することになりました。
さて、この学校に行ってみたいと思ってみたのはいいものの、受験要件には高卒認定が必要だということが分かります。さてさて困ったぞと途方に暮れている中、当時の先生から高校生の頃の単位がまだ残っていることを聞き、なんとか証明書の発行まで辿り着くことができました。最後の関門である試験にも運良く合格でき、20年ぶりの学生生活がはじまります。
20年ぶりの学校生活で得られたもの
同期は4人。もちろんわたしが一番の年配者です。正眼短大特有のアットホームな環境のおかげからか、入学時に先輩から言われた「名古屋嬢が来た!」という冗談を20年たっても覚えています。青春を取り戻すような感覚で謳歌しました。
わたしは家庭があったため、毎月一回は寮に泊まり座禅をするという条件付きの学生生活でした。往復3時間かけて車を運転し、車中では般若心経を唱えたり、禅に関する講義を聞きながらの通学でした。
正眼短大では、禅以外にも日本文化全般に触れることができました。茶道、華道、陶芸、尺八など。もちろん仏教や筆禅道、臨済禅に関するすべてのこと。茶道の受領では茶杓造り。作夢(肉体労働のようなもの)は芋掘りなど体験型の実習も多かったように思います。
当時の学習ノートを見返してみるとカリキュラムのバリエーションに富んでいるのがよく分かります。
禅の作法
禅と人間
倫理と人間
日本の歴史と文化
宗教と社会福祉
禅と食文化
彫仏
特に印象に残っている授業は、正眼寺で聴く山川宗玄学長のお話。「碧巌録」という仏書を定本にして話をされていたと記憶していますが、わたしにとっては、その難解なお話を座禅しながら聞いている時間が至福でした。
正眼寺は山奥にあるため、冬はよく雪が降ります。寺にある吹き曝しの道場はとても寒いのですが、山川学長は「天から御馳走がふってきたぞ!」と笑みを浮かべて言っていたのを鮮明に覚えています。
そんな正眼短大での2年間は、わたしが本来もっていた大切なものを思い出させる引き金となりました。
「そういえば母は若い頃東京でお茶を教えていたし、母の実家は東京墨田区の呉服屋。いつも私の実家は季節ごとに掛け軸や生け花がかざられていたなぁ」
忘れかけていたものが、呼びおこされる感覚。
母のお抹茶など飲んだことがなかったわたしでしたが、短大に通ったことでDNAが騒ぎ出し、このころから着付けも覚えるようになります。茶道や華道、小笠原礼法にも卒業後通うことになりました。
短大における書道の先生は、筆禅道の大家である今は亡き寺山旦中先生の弟子でした。その先生とは今でも交流が続き筆禅会を主催しています。
同期のうちの一人は、今でも交流が続いてます。この記事のことも北海道から楽しみにしてくれていて嬉しい限りです。
わたしにとって40代から勉強を再開することはとても勇気がいることでした。正眼短大の環境や人の近さが、わたしの身の丈に合っていたと思います。毎日3時間の通学も自分との対話の時間でした。おかげで、心の奥底に秘められている何かが呼び起こされる感覚に向き合えたと思います。
最後に山川宗玄学長の言葉を引用させて頂きます。
わたしも今の事業を通して、日本で一番小さな学校で学んだ教えを多くの人たちに伝えていきたいと思っています。
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