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【著書紹介】淵田仁『ルソーと方法』  第一回 山師ルソー?(全三回)

淵田仁ルソーと方法書影

今回のnoteでは、2020年4月期に開講が予定されていた人文学講座「ルソー入門:その生と思想」をご担当の淵田仁さんの著書『ルソーと方法』(法政大学出版局、2019年)をご紹介したいと思います。残念ながら2020年4月期の講座実施は中止とさせていただき、予定されていた講座はそのまま9月期に開講予定で現在調整中です。楽しみにしていた受講者の方々にはご心配とご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。代わりにはならないのですが、今回は淵田さんのご著書の一部をご紹介します。この本には淵田さん自身が自著紹介を寄せてくださっています。この自著紹介もとても魅力的な文章ですのでぜひともご一読ください。

『ルソーと方法』は研究者(とりわけルソーの思想や啓蒙期の思想史を専門とする研究者)向けの専門書ですが、専門外の人や一般の人が手に取っても面白く読めるすてきな本です。その理由は、タイトルと帯文から読み取れる淵田さん独特のひねりにあると思います。少なくとも二つのひねりがあると思いましたので、それをまずご紹介します。

この本のタイトルは「ルソーと方法」です。「ルソーの方法」ではありません。たった一文字のこの違いの意味を淵田さんは次のように簡潔に言っています。

本書はルソー方法を彼のテクスト全体から切り取ることを目的としているのでもなく、ルソー哲学全体を貫く方法を明らかにすることを目指すわけでもない。問いは、ルソー方法である。(7頁、強調原文)

ここでは、「ルソーと方法」というタイトルにすることで何が問われないか、が明確にされています。すなわち、ルソーの著作や書簡を読んでそこから「ルソー自身がとった方法」や「ルソー哲学の原理としての方法」と呼べるものを抽出することは目標ではない、と明言されています。それでは、「問いは、ルソーと方法である」と言われるとき、この問いは何を意味しているのでしょうか。それは、「方法」と並んで本書のもうひとつのキーワードである「山師」を手がかりにすることでわかるようになっています。

「山師」という言葉を、本書を書店で手に取られる方はまず帯文で目にします。そこには赤い文字で書かれた「ルソーと方法」のタイトルに添えられるようにして、青い文字で「〈山師〉とは誰か?」と書かれています。また、ページをめくって目次を見てみると、結論のタイトルも「山師とは誰か」となっています。この「山師」という言葉は、本文で最初に引用されるルソーの手紙(ベネディクト会修道士ドン・デシャン宛1761年9月12日付書簡)から取られています。淵田さんの引用したこの手紙を孫引きでここでも引用してみます。

私の推論〔raisonnement〕が不正確であると貴方はたいそうご親切に私を叱りつけます。お気づきになりましたか、私はある種の対象を実によく見ることはできる〔voir〕のですが、それを比較する〔comparer〕ことは少しもできないのです。命題はかなり豊富に湧き出るくせに、帰結は一向に見えないのです。貴方がたが神のように崇める秩序や方法〔ordre et méthode〕は私にとって忌み嫌うべきものなのです。私の頭に浮かぶのはばらばらなことばかりで、私の著書のなかで観念を結びつけるというよりは、私は山師のやり口のような〔命題の〕つなぎ方〔charlatanerie de transitions〕を使い、貴方がた大哲学者たちはまっさきに騙されてしまわれるのです。(8頁からの孫引き。元の引用はRousseau à Dom Léger-Marie Deschamps, le 12 septembre 1761, n° 1490, Correspondance complète de Jean Jacques Rousseau IX, pp. 120-121.〔『ルソー全集』(白水社)第13巻、539頁〕強調は淵田さん)

この書簡のなかで、ルソーは自分自身のことを、「よく見る」ことはできるが「比較する」ことはできず、「命題」は思いつくがそこからの「帰結」を引き出すことはできず、「秩序や方法」を嫌悪し「ばらばらなこと」を考える人間として描いています。問題は、この手紙をそのまま読むかぎり、帯文や結論に掲げられた「山師とは誰か」という問いが立てられること自体が一見奇妙に思わるということです。なぜなら、この手紙のなかでルソーは、誰かのやり口を指して「山師」と言っているのではなく、自分自身のやり口を指して自嘲的に「山師」と言っているからです(それゆえ、淵田さんはこのルソーの手紙を「自虐的な自画像」(8頁)と呼んでいます)。逆に言えば、「山師とは誰か」と問われること自体に重要な意味がある、と考えられます。そしておそらく、「ルソーと方法」であって「ルソーの方法」ではないということと、「山師とは誰か」という問いが設定されることはつながっています。

もしルソーの方法が問題であれば、先ほどの手紙を出発点にして、ルソーの「山師のやり口」がどのようなものかを明らかにするという課題に取り組めばよいことになるでしょう。そしてその場合であれば、「山師とは誰か」という問いがあえて立てられる理由はなくなるでしょう(ルソーが自分自身のことを山師と言っているのだから)。したがって、「山師とは誰か」という問いが掲げられるということは、この手紙のなかでルソーが自分自身のことを「山師」と言っているということを額面通りには受け取らないということを意味しています。

この〈額面通りには受け取らない〉ということがひとつ目のひねりです。額面通りに受け取らないということは、ここでは、ルソーの発言の背後にルソーの欲望を読み取る、ということを意味します。

いわば、これは一種の種明かしとして機能することを欲しているような書簡である。(8頁、強調原文)
断片的な思考をあえて「山師のやり口」によって他者に示すことがルソーのやり方なのだ。(9‐10頁、強調原文)

「種明かしとして機能する書簡」ではなく「種明かしとして機能することを欲しているような書簡」というところがポイントです。淵田さんは本書の「はじめに」で、「哲学をなにか高尚なもの、脱社会的なもの、純粋なものとみなす考え」(3頁)に対して、哲学の営みを「ひとつの社会的な振る舞いのあり方」、「何かの身振りとして、演技として、社会のなかで機能することを欲している」ものとして捉える考えを提示しています(4頁)。こうした観点をとるとき、哲学書と呼ばれる書物からは、ただ厳密な思考が読み取られるというのではなく、むしろ、「自らの思考の軌跡を言葉として表現する際に、その言葉の裏に厳密な思考が存在するのだと他者に伝え知らしめたいという欲望」(4頁)が感じとられることになります。

なおかつ、淵田さんは、自らを山師と称するこの発言にただルソーの欲望を読み取るだけではなく、この発言によって成立する「ゲーム構造」をも見出そうとしています。それは、「山師」という謗りの言葉の含みが、その言葉を他人に向けたり自分で引き受けたりすることによってずれたりひっくり返ったりするようなゲームです。これが二つ目のひねりです。この点が徐々に明らかになっていくのが本書の見どころのひとつなのですが、その伏線とも言うべきものが序論の注8で張られています。

「〈山師〉のモチーフについては桑瀬章二郎の研究に多くを負っている(桑瀬章二郎『嘘の思想家ルソー』、岩波書店、二〇一五年)。私たちはルソーの言説を「ルソーが詐欺師にして虚言者であるのか、それともルソーを虚言者であると秘かに告発する者が詐欺師であるのか」(同書、二四〇頁)というゲーム構造において読まねばならないだろう。すなわち、ルソーが自ら山師の方法を用いていると対話者に語りかけるその時、対話者自身が山師と見なされてしまう。私たちはルソーのテクストを読むとき、こうした〈鏡〉としての機能を有する彼の言説戦術を意識せねばならない。」(13頁、注8)

こうした点をまとめますと、「ルソーと方法」という問いと「山師とは誰か」という問いは、別々の独立した問いではなく、同じひとつの問いの二つの側面であるようにも思えてきます。この二つの問いがどの点で重なるように思われたのかということを、本記事執筆者が理解したかぎりでお伝えするのが、今回も含めた全三回の本記事の目標です。今回は序論の一部しかご紹介できませんでしたが、次回はいよいよ、本書の議論に分け入っていきたいと思います。

(執筆者:守博紀/NPO法人 国立人文研究所事務)

第2回はこちら


淵田仁(ふちだ まさし)
城西大学現代政策学部社会経済システム学科助教。横浜市立大学商学部を卒業後、一橋大学大学院社会学研究科にて博士(社会学)取得。18世紀フランスの哲学・思想史が専攻。主な著作として『ルソーと方法』(法政大学出版局、2019年)がある。共著に『百科全書の時空──典拠・生成・転位』(法政大学出版局、2018年)『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(明石書店、2018年)等。
ルソー入門:その生と思想 (一般:8,000円/4回 学生:4,000円/4回)
(2020年9月期に開講予定。日程・会場は現在調整中)

【授業予定】
第一回: 啓蒙の時代における〈ルソー〉
第二回: 社会批判者としてのルソー
第三回: ルソーの社会構想
第四回: 自己と社会、その矛盾

【参考文献】
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』岩波文庫
ジャン=ジャック・ルソー『エミール』全三巻、岩波文庫
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』光文社古典新訳文庫
ジャン・スタロバンスキー『透明と障害』みすず書房
淵田仁『ルソーと方法』法政大学出版局

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