淵田仁『ルソーと方法』自著紹介

淵田ルソー書影

 2020年4月期講座で「ルソー入門:その生と思想」をご担当いただく淵田仁先生に、昨年出版されたばかりの御著書『ルソーと方法』(法政大学出版局)について自著紹介を書いていただきました。本書は先生の博士論文をもとにしたものですが、すでに書評などで絶賛されています。少し難しそうな専門書ですが、そこで何を問題にしたかったのかを易しく書いていただきました。是非手に取ってみてください。

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 Kunilaboから自著についての紹介文を執筆するよう依頼を受けた。本書は、18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーについて書かれた研究書である……と書けば、残念なことに大抵のひとは関心を失ってしまうだろう。なのでここでは本書の内容ではなく、これがどのような意図で書かれたのかを記することをもって、自著紹介に代えたい。

 『ルソーと方法』は、哲学思想に関心はあるがルソーという固有名に〈ある種のつまらなさ〉を感じる読者に向けて書かれている。

 ルソーと言えば、啓蒙の批判者としてのイメージが強い。事実、ルソーが発した文明社会批判は当時の人びとに多大な影響を与えたし、現在の私たちの目にも少なからず彼の批判的生き様は社会に唾吐く異端児のように格好良く映るかもしれない。

 しかし、批判というのは実際のところ難しい。批判された相手が必ずや反応するとは限らない。あぁ、そうですか……という反応しか得られないことは多々ある(自分たちの経験に照らし合わせて見よ)。そして、世の中を見てみれば批判というものはそこら中にある。ルソーが発した批判——例えば、文明批判——も、内容それ自体どこかで聞いたことがあるようなものに思えてしまう。"So what ?"と。ルソーの言説に感じてしまうこうした〈あるある感〉こそ、今の私たちがルソーをつまらない思想家と感じる理由ではないか。

 だとすれば、どうルソーについて書けば面白くなるのか。この問題に対して、私は〈どう批判したか〉というメタ戦略について書くことにした。つまり、〈ルソーの方法〉である。

 だが、本書ではルソーの〈方法論〉の解明を目指したのではない。問題は、〈ルソーと方法〉である。

 通常、私たちは方法という言葉を聞くと、なにか目的を成し遂げるための補助的なものを想起するであろう。この文章を書くためのワードプロセッサであったり、可読性を高めるための改行やフォント、あるいはレトリック等々。重要なのは〈言いたいこと〉であって、〈どう言うか〉は二次的な問題にすぎない、と。

 こういう発想を否定するのが本書の目的であった。とはいえ、それは方法と内容の単なる転倒を目した訳ではない。むしろ私が主張したかったこととは、内容と方法の厳密な分割の不可能性である。〈言いたいこと〉と〈言い方〉の相互的浸食をルソーの言説内に見出していくこと。〈真面目に何かを言う〉ことは可能なのか。こうした問題をルソーというフィルターを通じて検討すること。これが本書が問いに付すものであった。

こちらで京都大学佐藤淳二先生の書評を読むことができます。

淵田仁(ふちだ まさし)
一橋大学大学院社会学研究科特任講師。横浜市立大学商学部を卒業後、一橋大学大学院社会学研究科にて博士(社会学)取得。18世紀フランスの哲学・思想史が専攻。主な著作として『ルソーと方法』(法政大学出版局、2019年)がある。共著に『百科全書の時空──典拠・生成・転位』(法政大学出版局、2018年)、『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(明石書店、2018年)等。
ルソー入門:その生と思想 ☆(一般:8,000円/4回 学生:4,000円/4回)
第3月曜日(4/20、5/18、6/15、7/20)19:15〜20:45
会場:スペース・コウヨウ 6階(国立市中1-15-2)

【授業予定】
第一回: 啓蒙の時代における〈ルソー〉
第二回: 社会批判者としてのルソー
第三回: ルソーの社会構想
第四回: 自己と社会、その矛盾

【参考文献】
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』岩波文庫
ジャン=ジャック・ルソー『エミール』全三巻、岩波文庫
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』光文社古典新訳文庫
ジャン・スタロバンスキー『透明と障害』みすず書房
淵田仁『ルソーと方法』法政大学出版局

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