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戦闘服からヘッドセットへ 7 〜恋愛相談窓口〜
坂口莉里SVは、片瀬が仕事を辞めると聞いてから自責の念に駆られる日が続いていた。
片瀬の元気になった姿を見て、もしかしてこれで良かったのかという思いと、何かしてあげられたのでは、という思いの繰り返しが続いていた。
上杉は珍しく朝早くに職場に着いたため、莉理に近づき声をかけた。莉里は、朝からパソコンに向かって準備をしているようだった。
「さかぐっちゃん。そろそろ何人かで飲みに行こうぜ。チームで飲み、なかなか実現してないから」
莉里は顔を上げると、申し訳なさそうな表情をした。
「ああ、ごめんなさい。チームの皆と飲みに行きたいと思ってるんだけど。毎日、残業が続いてて。皆も飲みに行きたいよね、職場だけよりプライベートでも仲良くなってほしいし」
上杉は、莉理がここ最近、元気がない事を懸念していた。
「俺、迷惑かけないように、横尾からきちんと学んでるから」
「え?ふふ、ありがとうございます。成長を期待してますね」
莉里は上杉の目を見て、笑顔でそう答えた。
「おう。任せろ」
マイクを通した大きな声でフロアトップが声を上げた。
「それでは、朝の全体ミーティングをします!」
珍しくクライアント側の幹部も来ているため、少し空気がぴりついていた。
いつもはジャケットを簡単に羽織っているくらいのSVも、前ボタンをしっかり留めている。
終わると、チームごとの打ち合せに入った。21チームのメンバーはそれぞれの席に座った状態で、SVの莉里が立ち上がって声を上げた。
「おはようございます!先ほど、クライアントから話があったように。今月から新しいイベントが始まります。『目指せクリスマス、サンタのプレゼントは我がチームに』です」
同イベントは、年末に毎年行われるものだった。皆、ダサいネーミングだと思いながらも寝ぼけまなこで、中にはうつらうつらしている者もいた。
「イベント賞品はチーム戦と個人戦で設けられています。まだ21チームは新人なのでチーム戦は対象外です。個人戦のみで、お客様からの感謝メール数がフロア内トップ5にプレゼントとなります」
そう言うと、上に設置されている大画面にプレゼント賞品が表示された。
「今年は、最新の加湿空気清浄機、ディズニー旅行、商品券5万円などなど豪華です」
おお、という声が上がり、眠気が飛んだのかそれぞれに目を合わせて喜んだ。
「おお!ディズニー旅行当たったらテンション上がる!」
上杉はそう言うと、よしっと声にしてヘッドセットをつけた。
「本当にその通り。是非、うちのチームから対象者が出てくれると嬉しいです。頑張りましょう!」
「お電話ありがとうございます。担当の上杉でございます。本日はどのようなお問い合わせでしょうか」
上杉は、研修の訓練による成果か、徐々に会話をスムーズに進められるようになっていた。
「ああ、名古屋市の佐々木です。お世話になります。スマホなんだが。メールの送り方を教えてもらえるかな?」
「メールの送り方でございますね。かしこまりました」
よっしゃ、これは簡単だ。俺でもすぐに案内出来るぞ。
上杉は少し笑顔になり、すぐに終わりそうだと予感した。
お客は、どうやらそこまで使い方を駆使していない高齢男性のようだった。
上杉は、お客の情報を聞き、パソコンに入力すると、情報が表示された。
「お待たせ致しました。ご利用確認がとれました。ご愛顧ありがとうございます」
上杉の部署では、万が一、お客が操作の最中に間違った箇所を押し、データ削除をする事のないよう、お客のスマホ画面を共に見て案内する事を基本としていた。
もちろん、画面を繋がずに口頭での案内を希望する人もいるため、その時には誤操作した場合の責任はとれない事を了承の上で進める事となる。
今回のお客はどうやら常連のようで、お客のスマホ画面を上杉のパソコンからも見られるようにする操作を率先して進めていた。
「ええと、繋げるための画面はここだな。数字を教えてくれる?」
上杉が画面を繋げるための数字を伝えると、お客はすぐに入力をし、画面を繋ぐボタンを押した。
「ありがとうございます。画面がこちらでも見られるようになりました」
「はいはい、こっちにも繋がってる時のマーク出てるよ!それじゃ、メール開くね」
そう言うとメールアプリを開き、新規作成
から送信先のアドレスを選択した。
あれ、このお客様、自分で操作出来るぞ。なんで教えてほしいって言ったんだ。
「あのう、お客様・・・。操作はほぼ正しいようですが」
「いやね、あのね。この相手は私の昔からの友人で女性なんだけど・・・」
そう言って、少し含み笑いでお客は大事な部分を何か誤魔化しながら話しているようだった。
「なんて書いて送ったら良いか教えてほしくて。文章とか一緒に見てほしいなっていう話でね・・・」
なんと、メールを送る操作方法という事ではなく、つまりは意中の女性へのメール文章を一緒に考えて添削してほしいという要望だった。
上杉は笑顔だったが、徐々に何を言ってるのかという表情に変わり、いつもの上杉節を言いそうな口になっていた。
「いや、お客様」
すると、モニタリングをしていた横尾が猛ダッシュで上杉の側に近づいた。上杉は驚いた表情で見上げると、横尾は保留ボタンを指でさし、エアで保留!保留!と言っている。
上杉は何がなんだかわからずに戸惑いながらも、言う通りにした。
「かしこまりました。お客様、操作の資料を用意するので、2分ほどお待ちいただけますか」
「ああ、良いよ」
保留を押すと、すぐに横尾は声にした。
「保留ですね」
間に合ってよかったと小さく声にし、肩で息をした。
「どうした?」
「上杉さん、今、お客様に何を言おうとしたんですか?」
「いや、それがさ。このお客様、俺に恋文の添削をしてくれって言うんだよ。驚いたよ、ここは操作案内だぜ?恋愛相談窓口じゃないっつーの」
横尾は、やっぱりかとつぶやいた。
「これ、どうすんだよ?何て言ったら良いんだ」
「上杉さん、このようなお客様は実は多いんです」
「え?!本当か?」
「はい、いつもと同じようにお話をしてください。文章は、お客様に何を伝えたいのか考えて頂いて、おかしな文章でしたら、こうしたら分かり易いですよ、という伝え方でご案内して下さい。間違えても笑ったり怒ったりしないで下さいね!」
「はいはい。こんな事もあるんだな」
上杉は投げやりに答えた。
「僕、上杉さんのパソコンのメモ機能に文章を書くので、それをお客様に話してください」
「おう、助かる。よろしくな」
「ああ、これで安心だ。いやいや、ありがとう!助かったよ。相手の方は寝るのが早いから、もうこれを見たらすぐに寝てると思う。返事はまた明日になるかな。そしたら、また明日に電話するよ」
「かしこまりました、お役に立てて光栄です」
まだ午後7時だけど、もう寝るのか。
電話が終わると、横尾は上杉を冷たい目で見た。
「切電ですね」
「横尾、そう怒るなよ」
「いやいや、上杉さんとんでも無い事を言いそうでしたよね。恋文メールで悩んでいるお客様に、ここは恋愛相談所じゃない、なんて言っちゃダメですよ!」
「いやいや、さすがの俺もそこまではっきりは言わないよ。ここはそんな所じゃないので、友人に相談してくださいって言おうかと思って」
「いやぁ、それもダメかな。少しでもお客様に寄り添ってください。元介護職員だったオペレーターがいるんですが、その方はお客様からの感謝メールがすごく多いんです。それだけ、たくさんの方が安心して電話出来るという事になります。これからの研修にクレームだけじゃなく、寄り添いの部分も入れますね」
上杉は、学ぶ事が多くなった事に愕然とした。
「マジか!足りない事だらけじゃねーか」
その頃、社内では嫌な噂が広まっていた。
莉里は、お昼休憩を気分転換のため、職場近くの飲食店へ行く事がよくあった。一人の事もあったが、時間が合うと同世代のSVである飯島有紀と出掛けた。
その日、二人は札幌駅から大通り駅の間であるチカホ、つまり地下歩行空間に出来たおしゃれなカフェへ入った。
「有紀のパンケーキ美味しそう。今度はそれにしようかな。お腹が空き過ぎて、がっつりにしちゃった」
「莉里のも美味しそうだよ。あ、そう言えば聞いた?莉里のチームのオペレーター、変な噂が出てるよ」
有紀は心配そうな表情でそう言った。
「変な噂?え、知らないけど。・・・どんな話なの?」
「お昼に、仕事の話であれだけど。多分、聞いておいた方が良いかも。まぁ、あくまで噂だけど状況によってはその人、辞めないといけなくなるかも知れない」
莉理は、何の話か検討もつかず、キーマカレーを口にした。
「確か、上杉虎って人いたよね?」
「え、上杉さん?いるけど」
「あの人、腕の内側の関節部分の皮膚が不自然にぼこぼこしてるって誰かが言い出して。それが、たくさんの注射を打ったみたいな感じらしくて。いつの間にか、やばい薬やってるんじゃ・・・って噂になってる」
「・・・え?何それ?」
莉理は想定以上の話に驚き、再び口にしようとしたスプーンを止めた。
「私も、話を聞いてからまさかと思って、さり気なく腕を見たんだけど。申し訳ないけど納得出来るくらい、そうだった」
「またまたぁ、そんなので断定は出来ないでしょ?」
莉里はそう言いつつ、絶対とは言えなかった。まだ出会って数か月で上杉の事をそこまで詳しく知っている訳ではない。
「あとで、ちらっと見て見たら?あの人、電話の最中に暑くなるのか、腕をまくるはずだから」
「・・・そうだね、あまり気は乗らないけど」
有紀は莉里の悲しそうな表情を見て、心が痛くなった。
「あ、莉理、朗報もあるよ」
「朗報?」
有紀はパンケーキの上に乗ったマスカットを口にして美味しいと言いながら、莉理に笑顔を向けた。
「片瀬さんの一件から、今後はクレーム対応している人には他チームリーダーも目をかけようって。あと、今回みたいに無理やりなリーダー育成はしない、メンタルケアも強化する方針で固まったみたい」
莉理は顔ををほころばせ、噛みしめるかのように言った。
「そうか、そうか。良かった、本当に良かった」
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