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短編小説・Flying Monkey

昔々...


天上の雲を貫くようにそびえる聖山のふもとに猿の王国があった。

穏やかで美しい四季の移ろいの中、猿たちは豊かに平和に暮らしていた。

猿の王の統治は見事で、自然の恵みは誰にも搾取されることなく、王国の隅々にまで分け隔てなく配分されており、かつて繰り返されていた諍いや争いは今やすっかり姿を消している。


王がまだ若い頃、この王国はいくつかの小さな国に分かれており、日々大小様々な争いがあちらこちらで繰り広げられていた。
王は並外れて腕力も強く、俊敏だったが、他のどの猿よりも知力があり、何故か『欲』には無関心で、多くを欲することはなかったのだ。

はじめ、国の猿たちはそんな王を恐れ、従った。

年月が流れ、目に見えて争いが少なくなる頃には、猿たちは王を敬い、尊敬するようになった。

そして、完全に国が統一され、平和が続くと、猿たちは王の存在を忘れ、国中の誰もが『誰かによって統治されている』という意識を持たなくなった。

王の王としての仕事は完全に成し遂げられたのだ...

イラスト1


猿の王には何故それほど『欲』がなかったのか?...
それは... 実は王にはいつか成し遂げたいとてつもない大きな『望み』があったからだった。


その日も王は聖山中腹の岩場から広い青空を見上げていた。

後ろから従者の猿が話しかけた。
「王様... 王様は何故、毎日空ばかり見上げていらっしゃるんですか?... 」
「ほら、あれを見てごらん...」
王は青空の遥か上空を指差した。
「あれは...コンドルですな...今日はまた、随分高いところを悠々と飛んでいますなあ...」
「そうだろう... 見事なものだ... 一体どんな気分なのだろう... 君はあんな風に大空を悠々と飛んでみたいと思ったことはないか?」
「空ですか?... いやいや、そんなことは思ったこともありませんなあ... 第一、あんな高いところ... 怖いじゃないですか。王様は空をお飛びになりたいのですか?」
「私は若い頃から、いや、子供の頃から、一度でいいから空を飛んでみたいのだ。他に何かを欲しいと思ったことはない。私の望みはいつもただ1つだけ、空を飛びたい... ただそれだけなのだ... 」

王の言葉を聞いた従者は、しばらく考えを巡らせていたが、やがて口を開いた。
「王様はあらゆることを成し遂げてこられました。争いをなくし、飢えをなくし、私たちに平和と幸福と希望を与えてくださいました。しかも、ご自分は何1つ望まず、ご馳走も宮殿も美しい雌猿もお求めにはなりません。今や何でも成し遂げられる王様のたってのお望みですから、叶えられないという筈はありますまい」

「本当に、そう思うか?... 」
「はい、幸い明日は新月の日。夜、女神様が舞い降りる日です。神の祠の祭壇にお出向きなさりませ。私たちの為にこれだけ多くのことを成し遂げられた王様のたってのお願いです。女神様とて決して無下にはなされますまい」
「そうか... 女神様か... もしかしたら、叶えてくれるかも知れないのう... 」


翌日の新月の夜、王は一人祠の祭壇に赴き、ひたすら祈りを捧げた...

するとやがて祠の入り口に一条の光が降り注ぎ、そこに女神が姿を表した。
「猿の王よ、私に何か望みがあるのですか?」
女神は穏やかな透き通るような響きで、王の心に直接語りかけた...
「おお...女神様、私には是非叶えて頂きたいお願いが1つだけあるのです」
「猿の王よ、あなたはこれまで何も望まず、国の猿たちの幸福の為にひたすら骨身を削って参られました。そのことは私もよく存じております。もしあなたに何か望みがあるのなら、そして私が力になれることであるなら、遠慮なく申してみるがよろしい」

王の目はその言葉に輝いた。
「女神様、ありがとうございます。私のたった1つの望みです。どうか私が空を飛べるようにして頂きたいのです... 」

女神は一瞬驚きの表情を浮かべたが、やがて落ち着きを取り戻し、ゆっくりと話し始めた。
「さてさて...猿の王よ、あなたは猿の中の猿、あなたが望むならどんな猿よりも大きな幸福を掴める筈。しかし、その幸福は猿としての幸福でなければなりません。猿として生きること、それはあなたの運命なのです。残念ながら、その運命を超える望みを叶えてあげることはできません。猿は空は飛べぬもの。そんな大それた望みは捨てて、猿としての幸福を受け入れなさい」
「女神様、そんなものは、もうとっくに手に入れました。私の望みはただ1つ、空を飛ぶことだけなのです!」

「おお...猿の王よ、それは無理というものだ。どうか目を醒ましなさい... 」

王は、女神の言葉に失望の表情で深くうな垂れた...
女神はその様子を哀れに思い、言葉を続けた。
「猿の王よ、あなたは空を飛ぶことは出来ませんが、その代わり、空を飛ぶ者たち、鳥たちの言葉を理解できるようにして差し上げましょう。せめて空を飛ぶ気持ちだけでも彼らから聞くことができるように... 」

女神はそう言うと、指で優しく王の額に触れ、そしてゆっくりと光の中に溶け込むように姿を消した。


翌朝、王が目覚めると、鳥たちの囁きに気が付いた。
「丘の東側の斜面に麦の実がついたぞ...西風が吹いてる間に行った方がいいぞ... 」
「川に急ごう!淀みの卵が孵化したみたいよ...」
「まったく... 昨夜は野ネズミ一匹捕まえられなかった... 今日はもう寝ぐらに戻るとするか... 」
「川向こうの林に赤い実が熟し始めたよ。早く行かないと他の群れに取られちゃうよ...」
鳥たちは周囲の木々の枝々を飛び移りながら、盛んに餌の情報を交し合っている様子だった。

王は鳥たちに話しかけてみた...
「鳥たちよ、1つ私に教えてくれないか?」
すると一羽のツグミが王の目の前の低木の枝に降りてきた。

「あなたは、猿の王様だね。一体あたしたちに何が訊きたいんだい?」
「空を飛ぶというのは... 一体どんな気分なのか、聞かせて欲しいのだ」
「飛ぶ気分?... うーん... 特に、ないねえ... 普通のことだからねえ... 言ってみれば... 忙しくて、疲れるね... 早くどこかの木の枝にとまって一休みしたい気分だねえ... 」
「大空を悠々と飛ぶことだってあるだろう?」
「ないね。あたしたちはそんな風に飛ぶことはないからね。悠々とだったら... あ、そこにいるフクロウさんがゆったりと飛んでるねえ。ねえ、フクロウさん、フクロウさん!」
ツグミはそう呼びかけると、慌ただしく飛び去った...

同じ枝にゆったりと大きなフクロウが舞い降りてきた。
「儂に何か用かな?」
「大空を悠々と飛ぶ時の気分を聞かせて欲しいのだが...」
「大空か... 儂が飛ぶのは概ね夜だ。野原や林の低いところを野ネズミを探してそ〜っと飛ぶだけなのじゃ... 昼間に空高く悠々と飛ぶのは... やはり、コンドルじゃろうのう...」
「そうか... それなら、是非コンドル殿に話を聞きたいのだが... 」
「よかろう。儂はコンドルとは比較的懇意での。同じ肉食だからの。あとでここに来るように話しておいてやろう」

王はコンドルが訪ねて来るのを楽しみに待っていた。
コンドルが王の元にやってきたのはそれから2日後の昼間だった...

「よっこらせいっと...」
コンドルは王の前にゆったりと降り立つと、大きな翼を気だるそうに畳んだ。
穏やかそうな表情だったが、抜け目なさそうな鋭い目つきで王をじっと見据えた。

「俺に何か聞きたいことがある猿の王様ってのは、あんたのことかい?」

「おお...コンドルよ。是非教えて欲しいことがあるのだ」
「ほう... 俺みたいな嫌われもんに一体何が聞きたいって言うんだい?」
「あなたは、いつも大空を悠々と飛んでいる。一体どんな気分で飛んでいるのか、私に聞かせてくれないか?」
「え?... あんたは猿だろう?そんなことが何故聞きたいんだい?」
「私の夢は、あなたの様に大空を悠々と飛ぶこと... しかし、私は所詮猿だ。それは叶わぬ夢。せめて大空を飛ぶ心持ちだけでも聞かせて欲しいのだ... 聞かせてくれはしまいか?...」

コンドルは、少し考えを巡らせている様だったが、やがて思いついた様に笑みを浮かべて、王に向かって話し始めた...
「猿の王様よ、あんたはそんなに空を飛びたいのかい?だったら、何も俺の話を聞くんじゃなくて、自分で飛んでみりゃあいいじゃねえか。本当にあんたが飛びたいんだったら、俺が飛べる様になる方法を教えてやろうか?」
「ほ、本当かっ?私が飛べる様になる方法が何かあるのかっ?」
王はコンドルの進言に驚き、その言葉にすがった。

「ひとつだけ、あるぜ。ちいと骨は折れるが、やってみる気はあるかい?」
「も、もちろんだとも!飛べる様になるなら、何でもやる!どうか、その方法を教えてくれまいか」

コンドルは片方の羽を伸ばして、空にそびえる聖山の頂上を指した。
「ほれ、あそこだ。あの山のてっぺんによ、『翼のいただき』ってえのがあるんだ。断崖絶壁の一番上のところだぜ。そこによ、よじ登んだ。どうだい?できるかい?それができりゃあ、あとは簡単だ。頂の先から祈りを込めて飛べば、あんたの願いは叶うぜ」


王は決心した。
従者や国の猿たちにそのことを伝え、聖山の頂上を目指して旅立つことにした。

「じゃあ俺は一足先に頂のところに行って待ってるからよ。頑張るんだぜ」
コンドルはそう言い残すと、聖山の頂上に向かって飛び立っていった。


何日も苦しい旅は続いた...

最後に王は力を振り絞り、高い断崖絶壁を2日2晩掛けてようやく目指す頂にたどり着いた。
丁度夜が明け、朝日が『翼の頂』に降り注ぎ始めていた...

「さすが王様だ。よくぞここまで登ってこられたねえ... いよいよだぜ。ようく祈って思い切って飛ぶんだぜ」
「わ、わかった!コンドルよ、よくここまで導いてくれた。礼を言う。私はきっと夢を叶えてみせるぞ...」

王は固い決意で頂の先に立った。
眼下には猿の王国と、それを取り巻く広大な世界が輝く様に広がっていた...

王はそっと目を閉じ、深く祈りを込めて、両腕を広げ...
思い切り頂から中空に向かってジャンプした...

王の身体は... 真っ逆さまに断崖に沿って落下していき...
断崖途中の岩に激突し、大きく跳ね上げられて、さらに落下と転落を何度も繰り返した...

王は凄まじい衝撃の中で、自分の骨が砕け、内臓が破ける音を聞いた様な気がしたが、やがて意識は暗闇の中に溶け込んでいった。


聖山の中腹、断崖の下に傷だらけとなった猿の王の死骸が横たわっていた...

そこにコンドルが舞い降り、王の身体を残らず平らげてしまった。
コンドルは満足そうに羽ばたき、大空高く舞い上がった...


こうして猿の王はコンドルの胃袋の中で、念願の大空を高く悠々と飛び続けたのでした...

                                   [了]


この短編小説ではイラストレーターのTAIZO Condovic氏にイラストを書き下ろして頂きました。
TAIZO氏のProfile 作品紹介は…
https://i.fileweb.jp/taizodelasmith/








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