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Essay

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鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
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2020年9月の記事一覧

エッセー「香取慎吾 礼賛 "蘇える金狼"」

 SMAPの香取慎吾が「蘇える金狼」の主人公・朝倉哲也を演じると初めて知った時は心底激怒した。  「大藪の前に大藪なし、大藪の後に大藪なし、空前絶後の大藪春彦」を人生訓とする自他共に認める筋金入りの大藪春彦ファンである自分にとって、「野獣死すべし」の伊達邦彦と「蘇える金狼」の朝倉哲也は双璧とも言える存在である。  その聖役をミーハーにチヤホヤされるアイドルグループの小僧が演ずるなど言語道断、横断歩道だと激怒したのである。  しかし、TVシリーズが始まり回を重ねる毎に、い

エッセー「追悼 山田辰夫 " 狂い咲きサンダーロード "」

 2009年7月26日、俳優の山田辰夫が亡くなった。享年53歳。  デビュー作「狂い咲きサンダーロード」を劇場で観て以来のファンだった。  この映画が公開された1980年、日本はバブル景気に向け、その助走を始め時期だった。  新進気鋭の若手監督・石井聰亙、無名の若手俳優・山田辰夫のデビュー作である「狂い咲きサンダーロード」は、個人の主義主張が軽視され、国家が金で国民の心を縛る偽善的資本主義(拝金主義)が重視される一億総発狂時代(バブル)へと、全速で走り始めた当時の日本社

エッセー「自分の価値を知れ」

 父は死ぬ前に息子にこう言った。 「この腕時計はお前のお爺さんが俺にくれたものだ。200年近く前に作られたものだ。これをお前にやる。だがその前にこれを街の宝石店に持って行って売りたいと言え。奴がいくら払うか聞いてこい。」  息子はその宝石店に行って戻って来て父にこう言った。 「この時計は150ドルにしかならないと言われました。」  父は次にこう言った。 「では次に質屋に行っていくらになるか聞いてみろ。」 息子は質屋に行き、戻って来て父にこう言った。 「質屋には、

エッセー「アナーキーなパワーが炸裂する怪作 "爆発!暴走族”」

 1975年(昭和50年)。1975年と言えば ' 暴走族 ' の全盛期真っ只中。  先輩にもエンペラーとかルート20とか、ジョーカーとかのチーム員がウヨウヨいた。  当時違法のセパハンドルと集合管付けたZⅡ乗って246バリバリ走ってた先輩の姿、カッチョよかった。  そんな時代を反映して製作されたのがこの映画。  タイトルからして凄い「爆発!暴走族」(激爆)。  主演は一応「千葉真一」となっているが、大ウソ。  実はこの作品、かの岩城滉一の初主演作品である。しかし

エッセー「自由に大空を飛びたいという人類の夢がついに実現 Jermanが高度1828メートルを達成」

 アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催中のExpo 2020 Dubaiにおいて、"Jetman"と呼ばれるジェットエンジン付きのスーツのデモンストレーションが行われ、Jetmanを纏ったスタントマンのVince Reffetが高度1828メートルまでの飛行に成功した。  Jetmanは翼のような形状のパワードスーツを着用し、両脇のジェットエンジンで推進力を得るニューマンフライトデバイス。滑走路を必要とせず、立った状態から離陸してすぐに飛行できるのが最大の特徴。鳥のよう

エッセー「全国にスチュワーデスブームを巻き起こした伝説のテレビドラマ"アテンション プリーズ "の想い出」

 スチュワーデスは(今はCAとか呼ぶらしい)は男の永遠のロマンである。  スチュワーデスと言えば、1970年~71年(昭和45年~46年)に日曜日19:30~18:00までの通称「不二家枠」で放送されていたドラマ「アテンション プリーズ」。  紀 比呂子(きの ひろこ)演じるスチュワーデスの卵 ' 美咲洋子 ' が、数々の失敗を繰り返しながらも立派な国際線スチュワーデスへと育ってゆく姿を描いたこのドラマ、当時、日本全国の小学生(特に女子)の殆どが観ていた。  自分の周り

エッセー「ジョン・ウェイン(デューク)人世最後の大立ち回りin ロンドン "Brannigan(ブラニガン)"」

 ジョン・ウェイン、彼こそラスト・アメリカン・カウボーイである。  シカゴ警察のはみ出し刑事ジム・ブラニガンが、逃亡した犯罪者の逮捕・引き取りのために英国ロンドンで大暴れ! 1975年公開の痛快娯楽映画「Brannigan(ブラニガン)」である。  "デューク"はもちろんロンドンでも大暴れ。愛用のコルト・ダイヤモンドバックをまるで水鉄砲にようにぶっ放し、犯人を追って右ハンドルのフォード・カプリでロンドン市内を大暴走。挙句の果てにはロンドン・ブリッジもひとっ飛び。  ブラ

エッセー「日本カルト映画史上に燦然と輝く名作 "戦争の犬たち " のエンディングテーマ 泉谷しげる"褐色のセールスマン "」

 日本カルト映画界の巨匠・映画監督・土方鉄人(ひじかた てつと)がメガホンをとったインディース超大作「戦争の犬たち」のエンディングテーマ曲として使われたのが泉谷しげるの"褐色のセールスマン"である。  因みに、泉谷しげる自身、この史上最大の自主映画に出演している。  この映画、タイトルこそフレデリック・フォーサイス原作のハリウッド映画と全く同一だが、純国産の知る人ぞ知るインディーズ映画である。  この作品は、1970年代に日本の自主映画界で活躍した映画制作集団「騒動社」

エッセー「いつの時代も変わらぬ世の不条理を風刺する ”零心会のズンドコ節”」

 1986年、テレビ朝日系列で毎週金曜日の21時から放送されていた「ハングマンⅤ」。  そのエンディングで白づくめの衣装に赤い手旗を持ち、硬派な歌と男踊りを披露していたのが「劇男零心会(げきだんれいしんかい)」である。  劇男零心会は1980年代初頭に結成された男性のみの路上パフォーマンス集団。  かの哀川翔や柳場敏郎もメンバーとしてその名を連ねていた劇男零心会だが、1983年に路上パフォーマンスをめぐって事務所と対立し一旦解散となった。  その後、引き続きその名を受

エッセー「懐かしのラジオ番組 ”麻梨子産業株式会社 ”」

 昭和46年頃、平日の深夜11時にTBSラジオでオンエアされていたシュールな番組、それが「麻梨子産業株式会社」である。  視聴者から募った様々な新商品のアイデアを、社長兼MCである大村麻梨子女史が紹介するという内容の番組だったが、オープニングのオリジナルテーマソングが今でも頭にこびりついて離れない。  「♪麻梨子産業~、社員はエリート、社長は美人。麻梨子産業~、麻梨子産業~、まり子産業株式会社~♪」。  番組中で愛川欣也(キンキン)が電話番役をしていたのが妙に印象に残っ

エッセー「バブル期を駆け抜けた異端のダンスユニット" MORE DEEP(モアディープ " 」

 1990年にマドンナのヴォーグの大ヒットにより一躍有名となった " ヴォーギング " 。それから遡ること2年前の1989年、本場ニューヨークで " ヴォーギング " を身に付けた気鋭のダンスユニットが芝浦GOLDなどのクラブシーンを中心に活動を始め話題を集めた。「MORE DEEP」である。  来るべきクラブシーンの流行を察知した彼らは、いち早くハウスサウンドやドラッグクィーン的なパフォーマンスを取り入れた「MORE DEEP Night」をオーガナイズ、やがて4人のサウ

エッセー「追憶のアンナ・ミラーズ」

 1970年代後半に日本上陸を果たしたアメリカのパイレストランチェーン「アンナ・ミラーズ(通称アンミラ)」は、アメリカンダイナー風の可愛いユニフォーム(ミニスカート)とお洒落なお店の作りで現役女子大生やモデルや芸能人の卵など、粒揃いの女の子達が競ってバイトするトレンディなお店だった。そのため、彼女達をお目当てに集まる常連客も少なくなかった。 余談だが、アンナミラーズのユニフォームのデザインは現代の" 萌え "文化に多大なる影響を与えた。その一例としてメイド喫茶のメイド服が挙

エッセー「リスペクト 大島由佳利 アジアを股にかけて活躍した正統派アクション女優の軌跡」

 大島由佳利(アジアではシンシア・ラスター/Cynthia Luster)は香港、台湾、フィリピンを股にかけ活躍した日本人アクション女優である。  中学生時代に器械体操と剛柔流空手を学び、体育教師を志して日本体育大学女子短期大学部体育学科に進学。大学生の時にたまたま観た香港映画『ヤングマスター 師弟出馬』を観て衝撃を受け、ユン・ピョウに憧れスタントの道を志す。  幾多のアクション俳優を輩出した名門JAC(ジャパン・アクション・クラブ)の門を叩き、1982年に「宇宙刑事ギャ