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ランチ難民の生ゆば丼

   ある日わたしは岡山城に程近い商店街でランチ場所を探していた。雨も降ってきたし、4月だってのにすごく肌寒い日。
    そしてお腹の減り具合は最高潮。
    空腹は幸せだけど、ちょうど良い加減を逃すとそれは途端に精神的なエネルギーを奪う。なにか食べなきゃ、なにか食べたい、そんな使命と欲に支配されて、判断力が低下する。その結果、これでいいかと目についたなじみのファーストフード店に飛び込んで「おいしいけど、これでなくてもよかったかもねえ」と、小さな後悔をコーラと一緒に胃に押し込む羽目になる。

    さてどうしよう。
    時刻は12時少し前。まごまごしていたら、勤め人のランチタイムピークに巻き込まれてしまう。お店を探さなくては。というか、目の前に店はたくさんあるのだ。

    パスタやピザなら、食べ慣れていて選びやすい。パスタやピザって、どこで食べたって大抵おいしいし、ちょっと華やかな気分になれるのも間違いない。ディナー営業もしているイタリアンのランチタイムならばなおのこと。
    でもね。
    美味しいイタリアンレストランのパスタランチには、大抵立派な前菜やサラダがついていて1500円〜2000円。
   前菜は大好きだけど、多種盛りの美しい前菜を、ひとりでしかもお酒も飲まずに食べるなんて。ままごとのようなミニサイズのキッシュ、チコリにちょこんと乗ったペースト状の何か、タコのカルパッチョ。まて。そんな宝石箱のような素敵な皿を空腹にまかせてひとりで平らげる時間?  考えるだけでもったいない。そういうのは、私にとって人と囲みたい皿なのである。
   じゃあ生野菜のサラダは?これは単に好みの問題。パスタにつく生野菜サラダが実はそんなに好きではない。「ランチタイムだから」という感じで添えられたサラダボウルは、パスタを食べたいと思ったときは邪魔の極み。パスタ+生野菜サラダの組み合わせって家っぽくてホントいや。
   じゃあアラカルトでパスタ単品注文?
 前菜やサラダをはじめに断っては?  
   そうねえ、とだけ言っておく。

   ではでは。
   ちょっとしゃれたカフェのランチタイムではどうかとメニューをのぞく。トレイに並ぶかわいい豆皿、その一つひとつに盛られたたくさんの惣菜に一瞬目を奪われる。
    が、しかしまて。冷静になるのだよ、自分。
    よく見ると家で毎日食べているようなおかずがスタイリングによって映えているだけ。メインの皿に鶏の唐揚げとキャベツ千切り。豆皿には切り干し大根、ポテトサラダ、オクラとろろ、わかめとしらすの何か、冷やっこ、黄色い大根のつぼ漬け。カフェオレボウルみたいなうつわに雑穀米と味噌汁。
   かわいいなあと思いつつ、台所をいつも預かっている身としては、別にここでコレを食べなくてもと野暮なことを考えてしまう。
   これもまた、誰かと一緒なら楽しいもんなんだけど。かわいいねーなんて言いながらの食事、良い時間ではありませんか。

    似たような理由で、定食屋も却下。自分で用意できるようなものは、わざわざ外で食べたくないのです。

   自分のわがままさに、ほとほと嫌気がさす。20年前ならお店で食べるものはひとりメシだろうとなんだろうとなんでも美味しく食べていたのに。年齢を重ねるごとに、ひとり外食のときの単純な「おいしい!」が減ってゆく。かなしみ。
 さらに雨が強くなって寒くなってきた。町中華か蕎麦屋はないかと探したものの適当なのが見つからず、さてどうしよう。

    これはいよいよマクドナルドになるのかと思ったそのときに、以前から気になっていた店が目に入る。通るたび混雑していて、目当てのメニューには早い時間にいつも完売ステッカーがぺたり。そのメニューのために開店前に並ぶほど熱心にもなれなかったので、完売メニューは私にとって2年ほど幻のメニューだった。今日は時間が早いせいか、店内には並んでいなさそう。これはこれはこれは、ついに幻のメニューと対面だろうか。

   それが、「豆腐屋おかべ」

    これだ。これだよねえとほくそ笑み、ややたてつけの悪い引き戸を開けていざ入店。せまい店の中はすでに満席近く、空席あと1席のところへ私がちょうどよく滑り込んだ。そして幻のあのメニューには、完売の札なし。神さまったら。

生ゆば丼定食ください!
ここで働かせてください!
ハキハキ言うの、大事ね。

    この日の生ゆば丼は、私の後にひとりが注文して完売。自分が注文したメニューに、速攻で完売札が貼られる気持ちよさったらない。

   カウンターの席で、待つこと10分。お隣の先客はバックパックを持つ英語を話す観光客。どちらから来たんだろう。そしてなぜ昼食に「おかべ」を選んだんだろう。ガイドブックに載っているんだろうか。彼らのチョイスは厚揚げ定食で、ちょっとおのこし。お口に合わなかったかしら。
   なんてアレコレ考えているうちに念願の生ゆば丼到着、で、す!

生ゆばあんかけ丼

    とろんとろんの、生ゆばあんかけ。お出汁と薄口しょうゆで味つけされた生ゆば入りのあんが、ごはんの上にたっぷり。外が雨で寒かったので、あつあつのあんかけご飯がほんとうに嬉しい。ああ、妥協しなくてよかったよ、わたし。

    お腹ぺこぺこだったけど、せっかくの初対面、がっついてはならぬ。油揚げのお味噌汁をひとくちすすり、落ち着け落ち着けと自分を制す。ふうと呼吸を整えて、いざ、れんげを手に取りあんかけの海へ。てっぺんに添えられた生姜と三つ葉は避けて、まずはあーんと初体験のひとくちめ。

    あっっっっつ。やけどした?したな。なんて考えながら、薄い生ゆばをむにゅむにゅと噛み締める。

おいしい…

    つるつるした生ゆばの甘さ、あんかけの奥ゆかしいお出汁のうまみ。それらがごはんと絡まって、口の中いっぱいに幸せの熱さ。あちあちしながらゆっくり飲み込んで、名残惜しくておっかけで控えめの量でふたくちめ。ああ、あったかい。これが幸せというものだよ母さん…。

    さんくちめは生姜の山をちょんと崩し、三つ葉と共に口に運ぶ。これまた、これがまた、なんということだ。生姜のぴりりと、三つ葉のえぐみ、お出汁に合わないわけがない。あったかい生ゆばともぐもぐ咀嚼。薬味というやつの底力。ありがとう、料理を2倍3倍とさらに楽しませてくれる薬味たちよ。
   
    落ち着こう。このままでは生ゆば丼があっという間に終わってしまう。狙うは小鉢ライトの冷やっこ。え、さっきカフェめしの冷やっこに文句言ってたって?  いいですかここは豆腐屋直営の食堂ッですッ。
    店員さんが「普通の醤油と甘めの醤油です」と置いてくれたふたつの醤油さし。きりりとしたしょっぱい醤油が好きなので普通の醤油をやっこにかける。ここでもまずは豆腐だけをひとくち。
   あまい。大豆の香りがしっかり残っているかための豆腐。その後は定番の生姜とネギも一緒に味わって、これまた食べ慣れたホッとする味。
    こうしてあんかけでほてった舌は、冷やっこで見事にリセット。さあ食べなくちゃ、生ゆばあんに戻らなくちゃと再びれんげをぐいっと丼にさすと、あら…?   何か黒いものが出てきた…

   

 生ゆばあんの奥から出てきたのは、意外にも椎茸の甘煮。 
 はい想像。
 塩気さっぱり、お出汁しっかりの生ゆばあんと椎茸の甘煮を一緒に口に入れます。生ゆばと共に椎茸を噛み締めます。あんの出汁を味わったところに、おっかけで広がる椎茸の甘い煮汁。   
 天才。 
 この組み合わせ考えた人は、何をもって椎茸を中に忍ばせようと思ったのか。こんぶの佃煮が小皿にあるので、それと同皿に並べてもよさそうなのに、なぜ、なぜに椎茸は生ゆばあんとごはんの間にわざわざ忍ばせたのか。
 そしてこの椎茸の煮汁の甘さに、三つ葉の爽やかさが追い討ちをかける。甘さに飽きた頃に、生姜の香りで再び舌が戻る。ああ忙しい、けどおいしい。

   ここらで冷やっこをまたひとくち放り込み、安定のリセット。で、私としたことが生ゆばに夢中でレフトの小鉢を失念していたので、気を取り直して小鉢を手に取ると、あら、これは卯の花かと思ったら白和え。白和えです───。
    右の冷やっことは180度違う、これでもかってくらい滑らかでこってりした甘さ。にくい。にくすぎる。ねりごまが入ってる?かな、丁寧に練られたトロトロの甘い和え衣。和えられた細かな野菜の歯応えが心地良いけど、大きく主張はせず、あくまで主役は豆腐の甘さ。はー、おいしい。
    白和えで甘味に連れて行かれた口の中は、センター小皿の昆布佃煮と冷たい沢庵で落ち着かせましょうか。ほら、口の中の温度が下がるとまた熱い生ゆばあんが恋しくなる。
    小鉢ライトセンターレフトは、単なる添え物かと思ったら大間違い。生ゆばあんのスター性を受け止める盤石な守備選手で、味の調和がすばらしい。どこから組み合わせても、生ゆばあんのために最高の働きをする。
  
    熱い、冷たい、しょっぱい、甘い。
 
 生ゆば、油揚げ、冷やっこ、白和えの口当たりの違い。豆腐のそれとはまったく違う趣の昆布佃煮と黄色いたくあん。全てのバランスが秀逸で、食べ終えるのがものすごくもったいない。
 決して早食いしたわけではないのに、とろりとしたあんの効果で、最後の最後までごはんはぬくいまま。丼の底に残る最後のひとくちをれんげですくい、名残惜しく口に運び生ゆばあんかけは終わり。そして、いじましくも締めにひとくちだけ残した甘い白和えを味わって、お茶をひとくち。

 あああああ、おいしかった。
 急に寒くなった4月。この春最高のひとりランチでした。


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