「午後ティー」の功罪
思えば子どもの頃から、疑似恋愛の多い人生でした。恋に恋してうっとり、そしてそんな自分にうっとり。同級生から先輩、芸能人、漫画や小説の登場人物。相手は男性とは限らず、好みのルックスであれば女性でも気にしません。女子バスケット部のクールなあの子、素敵でしたもの。
この週末、バイクの後ろに乗せてもらうと疑似恋愛ができるんよと友人と語り合い、大笑いしました。タンデムシートは恋の入り口。運転手の背中に密着して自分の命を預けるんですもの、そりゃあ恋に落ちますよね。運転手がどんなヤツでも、です。バイクのタンデム、そこでランデブー。しょぼい韻踏み。タンデムシートの恋など、9割がた乗車中で終わるんですってば。
気が置けない友人と話していると不思議です。記憶の奥のそのまた奥、殻の中に閉ざされていた記憶が蘇り、こうしてnoteでも書いてみようかなという気持ちになりました。
時は1989年3月。ミユキ13歳の春です。
中学一年生の終わり。リーダー格の男女の声かけでお楽しみ会をしようということになりました。今なら「陽キャ」「打ち上げ」というんでしょうか。打ち上げとはいっても子どもなので当然飲めや歌えやではなく、団地集会所にお菓子やジュースを持ち込んでおしゃべりするという慎ましい催しです。それでも、普段制服でしか会わないのに、日曜に私服で遊ぶなんて、それだけでうきうきしたものです。
クラスきってのどヤンキーD嶋くん。兄も姉も、なんなら父さんも母さんもいまだバリバリで二代にわたる生粋のヤンキーです。毎日リーゼントはがっちり固めなきゃなので柳家のポマードは二週間で無くなるんですって。と、思ったらお楽しみ会当日はパンチパーマになっていました。ちょっと待って、そんなきついパーマどこであててるの。中学生にそんなパーマあててくれる床屋は一体どこなの。ヤンキーのネットワークは、昔も今も謎です。そしてヘアスタイルをキメたら、当然服装も張り切ります。上下白いスーツ。一体どこで以下略。ヤンキーD嶋くんもお洒落キメちゃう集会所お楽しみ会の威力、すごい。
D嶋くん、かなり気合いの入ったルックスですが、気のいいヤンキーでした。通常なら「雑魚とは話さねえ」とイキリそうなものですが、彼はクラスメイトと分け隔てなく話します。さすがに休み時間は不良仲間とつるんでいたので、同級生とグラウンドでボールを追うなんてことはありませんでしたが、ヤンキーにありがちな「おだった態度」(※北海道弁)を、教室ではほとんど出さない人だったのです。今思えば、ホンモノだったのです彼は。風の噂で、大人になってからの彼は以下略。
買い出しメンバーをどう決めたのか忘れたけれど、たしか男女5、6人。買い出しなんてパシリのようですが、今日は違う。お楽しみ会です。近所で待ち合わせて買い物をする、それだけでなぜか特権をもらったかのように買い出し班ははしゃいでいました。
飲み物は何を買う? あ、あたし午後の紅茶! とちょっとお洒落な女の子が声高に言いました。1986年に発売された「午後の紅茶 1.5リットルペットボトル」、1988年に発売された「午後の紅茶 缶」は、私たちの暮らしに旋風を巻き起こしていました。それまで外で買う飲み物といえばコーラやファンタの炭酸飲料、ハイシーなどのフルーツ味のジュース、いわゆる甘い飲み物と、缶のウーロン茶または缶コーヒーくらいしかなかったのです。紅茶で、甘すぎなくて、しかも缶のデザインは今まで見たことがないくらいに洗練されていて。部活帰りの女の子たちが、こぞって自動販売機で午後の紅茶を買い求めた時代なのです。※1
ペットボトルのコーラやジュース、紙コップ。そして缶のウーロン茶や午後の紅茶をたくさんのお菓子やスナックと共に袋に詰めてスーパーマーケットを出たら、なぜかD嶋くんが店の前の電信柱に寄り掛かっていました。肩幅の合わない白いスーツは、きっとお兄さんからの借り物。パンチパーマとスーツの出で立ちにミスマッチなひょろひょろの少年体型、店から出た私たちは一瞬ぎょっとしましたが、D嶋くんはいつも通りでした。「おう」と言いながら女の子が持っているビニール袋をひょいと取り上げます。やはり気のいいヤツです。
お楽しみ会とはいっても、タイムテーブルがあるわけではありません。集合後は好きな飲み物とお菓子を前におしゃべりをするだけ。教室での行動が集会所に移動したそれだけですが、私服での集合は室内がワントーン明るく見えました。
ちなみに、1980年代の札幌地域での中学生の流行りのファッションは英字新聞柄のシャツ(大豆田とわ子のアレ)とゴシック書体の英字ロゴのトレーナー。男女問わず、皆どこかしらにアルファベットを纏っていた気がします。ボトムスはブリーチしたGパン、ちょっとお洒落な女の子はチェックのパンツ。そんな中、D嶋くんの白スーツは異彩を放っていました。でも、不思議とそれをどうこういう人もいなかった気がします。怖かった? いいえ、そんな背伸びした奇抜なファッションごと、ヤンキーである彼のキャラクターになっていたのです。
全員でゲームをするわけでもなく、おしゃべりをして笑うただそれだけの取り留めない時間。室内に飽きたグループが集会所前の庭で木に登ったり鬼ごっこを始めたり。さっきから車座でひそひそ話しているグループでは、どうや恋の打ち明け話が始まった模様です。
他には、いつも共に過ごしている女の子メンバーの中に、これまで滅多に交流がなかった男の子が数人入っているグループも。こちらも恋の噂話。何組と〇〇と何組の〇〇が付き合っている、何組の〇〇は〇〇が好きらしいというアレです。単にそれだけのことなのに、いつもは話もしない男の子が話の輪に混ざっているのが新鮮でした。テーブルの中央に広がったお菓子も、紙コップの飲み物も残り少なくなり、ミユキが「ねえねえ、まだ飲み物あったっけー?」とつぶやいたときでした。
庭から戻ったD嶋くんがスーツの上衣を翻しながらこうひとこと放ったのです。
「あ、午後ティーあっちにあったよ。はいこれ」
午後の紅茶のペットボトルをD嶋くんから受け取りながら、固まるミユキ。
ごごてぃー?ごご、てぃー?
午後…?てぃー?
午後の紅茶 だから、午後ティー……!
なんてお洒落な……!
2022年の今、皆当たり前のように「午後ティー」と呼んでいますが、1989年当時、発売間もない午後の紅茶をそんな風に気取って呼ぶ人を見たことがありませんでした。そして、そんなこましゃくれた言い方をしたヤンキーD嶋くん……!あなたは一体……!
「あ、午後ティーあっちにあったよ」のひとことで、まわりにいたクラスメイトがどよめきました。
「D嶋! なんだよその言い方!」
「D嶋! お洒落!」
「なんかすごい!午後ティー!午後ティー!」
「今日からウチ、午後ティーって言う!」
D嶋くん、どうやら高校生のお姉さん(どヤンキー)がそう言っていたのを聞き、満を持して披露したようです。男の子たちにはやし立てられるD嶋くん。さらに女の子からは、「(パンチだけど)なんてお洒落な言葉を!」と羨望のまなざしを受けるD嶋くん。
そして、気さくに午後ティーを渡してくれたヤンキーD嶋に恋したミユキ。
まって、中学生でパンチパーマだよ? と数日で我に返った、13歳の春の淡い疑似恋愛でございました。
【おまけ】衝撃の事実
キリンさんの公式サイトによると「午後ティー」と消費者が呼ぶようになったのは1990年代頃から。そして…「名付け親はわからない」……! なんてことだ……!
「午後ティー」呼びが、1989年3月、札幌の片田舎のヤンキー少年少女の間で浸透していた事実をここにお知らせします……!
もしかして、名付け親は札幌市手稲区周辺のヤンキーかもしれません。
参考サイト
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