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結局文章は世間に出したらもう読み手のものだけど、仲さんに解説してもらったからちょっと私も解説しちゃおうかしら

先日、 note &ツイッタ仲間の仲さんがこんな noteを書いてくれました。

すごい。記事の中身、まるまるクニnoteについて書いてあります。ココまで解説&分析できるほど読んでもらえるなんて、幸せです。

元のクニnoteはこちらです。


仲さんの今回のnoteの発端は、おそらくこのツイート。

 上記のアイスキャンディー記事のシェアをしてくれたのですが、固いよねえ表現。事象と視点が入り混じるって、いやわかるけど、わかるけどねってことで、戯れで何言ってるかさっっっっぱりわかんねぇやと呟いたら即上記のnoteが出てきたわけです。

そうしたら、これまたnote仲間のMicaさん&仲さんのやりとり。

と、いうわけなので。
計算なのか、無意識なのか。
どっちなのかお答えします。

回答
計算づくですが、実際に書くときは無意識

でも、どう思われても解説されてもいいんです。文章は人目に触れる場所へ出したら、もうそれは読者のものなんです。

以下、解説。


★★★


私がそれなりに構成に向き合って書くnoteは、実は全て今回のnoteと同じカタチで出来ています。私が10数年前に師匠から教わったコラムの構成を、忠実になぞっているだけなのです。

その構成とは。

1.読み手を引き留める。
冒頭で読み手の頭の中に情景が浮かびやすい描写を置く

2.読み手の共感を誘う。
実体験や数字・データなどを記し、共感・納得を誘う描写を置く

3.読み手に感動を促す。
 1と2から総合した感想や結論を置く。この場合の「感動」とはお涙頂戴ではなく、心を震わす何かのこと。自分の描く読者ターゲットに向けた描写を置く

この3つです。「序破急」に近いのかしら。文章を書くためのノウハウ本には似たようなことがたくさん書いてあります。

しかし、感想は強要するものではないので、1~3へ込められているものは、全体的に「何か感じてもらえたらいいなあ」という私の期待値でしかありません。でも、結果的にこの構成は、読んでいる人の脳を刺激する書き方。強制的に場面転換することで、読み手を飽きさせない運びになります。


note×企業のコンテストで賞をもらった記事は、いずれもこの構成に沿って書いています。(もう遠い記憶の彼方……。一年が早過ぎますね)


仲さんは都度、人に読ませる文章は「個の話から普遍的なテーマに展開する」ことが大切だと説いています。自分事から他人事(世間)へ、また逆も然り。

これは、文章書きのノウハウを伝授する人たちが、表現は違えどあらゆる書物の中で昔から解説している事柄です。そして、ある程度の経験がある商業ライターなら、仕事のたびにこの展開の大切さを痛感しているはず。

いわば、これは文章書きの人、そして「商業ライター」が目指す最終地点だと私は考えています。

1.読み手を引き留める。
冒頭で読み手の頭の中に情景が浮かびやすい描写を置く

2.読み手の共感を誘う。
実体験や数字・データなどリアリティあるものを記し、共感・納得を誘う描写を置く

3.読み手に感動を促す。
 1と2から総合した感想や結論を置く。この場合の「感動」とはお涙頂戴ではなく、心を震わす何かのこと。自分の描く読者ターゲットに向けた描写を置く

webコンテンツ上の3000字程度のコラムやエッセイは、1の冒頭につまらない描写が続くと早々に離脱されます。大勢の人に読まれるには、300~800字くらいで、早めに読み手の脳裏に浮かぶ何かを植え付けた方が効果的です。

でも、著名人の文章、つまり「誰が書いたか」に重きが置かれている記事は特別なのでこれには当てはまりません。読みに来たひとは「その人の書いた文章」が読みたくてwebページを開いているためです。憧れますね。

また、コラム文章の全体像が見えている紙媒体も別。紙媒体では文章のゴールが一目瞭然なので、「とりあえず最後まで読む」確率がwebよりは高いです。詳細な資料は割愛します。まあでも、それは別の話ですね。

そして想像力をかきたてる1の描写から一転、2では現実的なエピソードで読み手に腹落ちさせます。2を読んでもらえるのは、1があるから。上記の私のnoteでわかりやすい構成は、六花亭の記事です。中盤に六花亭という会社の紹介エピソードがあり、それはとても大切な情報ですが、そんなもん冒頭で真面目に書いても、読者がよほどの六花亭マニアじゃないと離脱されます。

そして3。ココは書き手の力量や感性が問われるところです。これまで書いた文章は誰に読んで欲しい? そう自問自答してみると、何で締めくくれば良いか見えてくるはず。
アイスキャンディーnoteの締めの「横断歩道のくだり」は、育児真っ最中のひと、子育て終了組、そして内輪ではありますが、noteをいつも読み合っているクニミユキを知るひと。そんな方たちを思い浮かべて書き上げました。

これだけ云々かんぬんお説を書くと、さぞかし構成を練って仕上げているのかと思われそうですが、これはもうクセです。読んでもらおうと気合いを入れて書く文章(コラムの類い)は、気が付けばこのような構成になっています。

私はここ5~6年ほど、月に5万字〜多い時で10万字くらいのライティング仕事をしています。これだけ書いていると、クライアントにOKをもらえる構成のパターンが見えてきます。上記の1,2,3の構成パターンはコラム関係では鉄板。ただ、悲しいことに最近は私自身にコラムの仕事が皆無なので、忘れないようにnoteでひとり壁打ちしている状態です。悲し。


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ある日の朝日新聞のコラム。パラリンピック出場に、人生をかけて挑戦するアスリートを紹介するコラムです。

こちらも構成は1,2,3戦法(いつからそんな名前に…)。冒頭の300字くらいで、家族が散歩する姿を描写し、温かい様子を読者に伝えたあとに、パラリンピックに挑戦する苦悩・喜びという本題に入っています。

新聞には、このようなパターンの小さな囲み記事が毎日たくさん載っています。そして新聞紙面の良いところは、「ここまでは導入部分、ココからは理屈部分、ここからは締め部分」と目で見るとすぐにわかるところです。上下スクロールのWEB記事だと、なかなかこうはいきません。みんな、紙の新聞や雑誌、読も。


余談ですが。
デジタル版のための記事は離脱されないための工夫がなされていて、タイトルが紙面とは違います。「マミーって叫ぶゴールで…」なんじゃこりゃって気がしないでもないですが、本文へ導くためには紙面タイトルの「ゴールで待ってて」よりもこちらの方が効果的。

最近のみかさんのnoteも、123構成に近いのではないかと。冒頭の描写でオンラインライブへの想像力が掻き立てられますよね。みかさん、違ったらごめんなさい。


★★★


「どうしたら面白い文章が書けますか」

仕事はライティングですなんて言うと、人からこう聞かれる場面がけっこうあります。でも、3000字コラムやエッセイで、最初の一文節から最後の締めまで、ぶっ通しで面白い文章なんてそうそうあるものではありません。(※この場合「面白い」はゲラゲラ笑うの意ではありません)

面白い描写と、そうでもない描写が組み合わさって「面白い構成」になります。最後まで読み進めてもらうために、文章に緩急をつけていくのです。

「これは!」と思うエピソード、エモい表現、泣ける言い回し。それらは全て何てことない面白くない言葉に引き立ててもらいましょ。ここぞという時に読み手にガツンと届けるために伏線を張っていく。「構成」とは、そういうことだと私は考えています。

文章は、鍛錬です。月に5万文字以上書くのを何年も続ければ、そりゃ構成がキーボードを叩く指に染みつくってもの。
仲さんも「実は文章にも腕力がある」と書いていました。その腕力の鍛え方も使い方も書き手によって様々で、私は「仕事として量を書く」ことで腕力を身に付けた気がします。

凡人はうまくなりたいなら、書くしかないのです。


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