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アート作品を買うことで得る”至福”と、210×297mmで変わる世界観

楽しみにしていた「作品」がさっき、うちに届きしあわせにひたっていました。8月の終わりころの京都の画廊で作家に出会い、微妙齢の女子3人楽しい語らいをしました。キャッキャと笑いまるで昔からの知り合いのよう、とちょっと調子にのってはしゃぎましたね。

それはそれと、翌日にはすでに遠い記憶、とても楽しかった想い出とシンとするのはいつものことなのだけれど、いつもと違ったのは、そのとき勢いで作品を買ったのです。そんなことこれまでにはなく初めてのことでした。

しかも、実物を見ていない、1つも。その時おこなわれていた画廊の作品展は別の作家のもので、身内。だから、本当に初めて知り出会った作家のその時初めてネットで見た作品でした。

本物かどうかというのは、ネットの画面からでも十分伝わるもので、それは珍しいことではないけれど「これ欲しい」と思う作品に出会うことは本当にまれなこと、これまで覚えている限りひとりだけだったと思います。そのときそう思った人形作品は、残念ながら迷って申し込みをした時にはsold outでした。10年以上も前の話。

今回久しぶりに、「これ欲しい、自分のスペースに置きたい」と思ったので、滅多にないその<何処かからくる情動>にそのことに感動して嬉しくなりました。


画廊のオーナーからのメールで、2ヶ月ぶりにその時の気持ちを思い起こしその2日後が今日でした。額装された作品は記憶の中のそのままで、実物の大きさも数字でしかわからなかったものがとてもしっくりと、まるでずっと知っていてここに持っていたもののようです。

存在感。

これは、この作品のすごさももちろんだけれど、私との相性が一番なのだと当たり前のことを感じます。現代アートに対して”相性”なんて平べったい言葉が似合わないようだけれども、他に浮かばないので

「相性」。

そして、嬉しくて作品を手にここに飾ろうか、ここに掛けてみようかとウロウロと家の中を歩き回ってみました。

そして思ったことは、この家はこの作品にあわない!

全く逆に考えていたんですね。好きなものを飾れば家がステキに居心地の良いもの、空間に変わると。違いました。この作品に合う空間を探そうと、本気で感じました。ひとつの作品の持つ力に直撃して、アートの、芸術の力をあらためて思い知ったのです。

うまく言えないけれど、
そしてプライベートな事情をすべて書くことはしないけれど、

家が狭いとか広いとか新しいとか古いとか、都会とか田舎とかそういうことではなくて、

自分を知るきっかけになったのです。

自分が何を欲していて、何が不必要で、今の現状がどうあるのかという本心。やっぱり本当の心を知ることは大事ですね。引っ越したい引っ越したいと言い続けていたのも、ただ単に、飽きたのでもこれまでずっとそういう引っ越し人生をしていたからでもなくて、ここに気づくためだったんだと思いました。


うす〜く気づいてはいても、動かないとこのように外側から強制的に動かされますね。わるい気づかせ方ではなくて(そうすると私はただただ凹むから)、大好きなARTの力で気づかせてもらいました。神さまはいます 笑


* 芦屋画廊 kyoto https://www.ashiya-garo.com/
* 玲翠 https://reisui-francesca.jimdofree.com/
* http://naoki-takada.art/



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