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むかし隣に作家が住んでいて、回覧板を届けると小さなヨーカンをくれた。


作家という職業を知らなかった小さな子供だったころ、父が私の手を引いて隣の家の前で立ち止まり表札を指差し、一緒に眺めたことを覚えている。

記憶に残る3回目の引越しののちのこと。

塀から玄関扉まで手が届きそうな距離に家が建てられていて、そのことの方が印象に残っている。引き戸でなかったらぶつかってしまいそうな空間が不思議な感じがした。その空間と表札の記憶が隣の社員寮の大きな空間の対比で余計に鮮明に残っているのかもしれない。

大きな二階屋だった。

いつも静かな気配に包まれていて、人が住んでいないように感じられたのはなぜだろう。どこの家も玄関は閉じられているし、用事がなければその家に住む住人だって家の周りをウロウロとしてはいない。

でも、人の気配がする家と荒れているわけではないのに静けさに包まれている家がある。

家に戻って、本棚を見ると隣の表札と同じ名前が書いてある。

「ほらな」

父が嬉しそうに言っていたから、それはとてもいいことなんだと私も

「うん」

と笑った。ピアノのある部屋の本棚にもあったし、子供部屋の絵本の中にもあった。

映画にもなって“吉永小百合さん”が主演をしたということは、ずいぶんと後になって理解した。工場の写真がポスターになっていて、記憶は一緒くたになってしまっているけれどとても暗いお話なんだろうなと思う。

大人になって読んだか、子供の頃に読んだかわからないけれど内容は覚えていない、『キューポラのある街』。

当時は、キューポラなんてもちろんわからずに樹木の名前だと思っていたら全く違っていた。世の中のどれくらいの常識かはわからないけれど、それにしてもずいぶんと記憶が作り変えられていておかしい。作り変えられたのか、当時の子供の勝手な印象だったのかもしれないけれど。(今もよくわかっていなかったから調べたら「溶解炉」のことだった)

キューポラという白樺のような街路樹がずっと続いている、そんな町のお話。

本当にずっとそう思っていた。


少し成長して偶然、高校はそのキューポラのある街にあった。

もう、キューポラという「溶解炉」は立ち並んでいなかったし、もちろん白樺のようなキューポラという街路樹もなかった。


西と東を逆に覚えてしまって、(それはバカボンの歌のせいだけど 笑)いまだに一拍おかないと正解にたどり着けないように、私の中ではキューポラは白樺のような樹木の方がしっくりくる。

その静かなお隣の家に、回覧板を届けた記憶があって、お手伝いさんの女性がでてきて受け取ったあと、ちょっと待ってと言って奥に戻り引き返してくると、小さなヨーカンをどうぞとくれた。

子供だったのでヨーカンは苦手ででも、お礼を言ってもらった。

考えてみれば、なぜお手伝いさんと感じたのだろう?“早船ちよさん”の顔を知っていたわけではないのに、父から作家と聞いていて、父がそれを自慢げに話してくれて家に本があってその名前が隣の家の表札と同じで、そんなよく理解できない小さな子どもの頭で、勝手に作家の顔を作っていたのかもしれない。

でてきた人が、その女性ではなかったのでしかも大きなうちにはお手伝いさんがいるというとっさの創作で、目の前の静かなヒトをそう名づけたのかもしれない。


その一回の記憶しかないから、その後は行かなかったのかもしれない。もしかしたら一度会ったあの女性は作家の”早船ちよさん”だったのかもしれない。






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