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『ラディカル・プロダクト・シンキング』を読んだ感想

ラディカ・ダットの『ラディカル・プロダクト・シンキング イノベーティブなソフトウェア・サービスを生み出す5つのステップ』を読んだので感想および振り返り用のメモを書いていきます。(物理本も買いましたが結局Kindleで読みました。)

※感想およびメモの範囲を超えてしまうため、本書で紹介されているフレームワーク自体の紹介・引用はしていません。

全体的な感想

"プロダクト"づくりに関わる人にはエンジニアや営業などの職種を問わずおすすめできる本だと思いました。「ラディカル・プロダクト・シンキング」を実践する方法として、穴埋め式のステートメントやキャンバスフレームワークが用意されているので、ビジョンや戦略を考えるのにとりあえず試してみるということもしやすそうです。

また個人的には、ビジョン自体がどうあるべきかや、そのビジョンをもとにどう行動すべきかに落とし込むあたりについて、納得感とともに深く理解できました。元々色々な企業のビジョンを眺めていても
それって結局自社のことしか考えていないのでは?」とか「それが達成されて誰が嬉しいのか?」というモヤモヤを抱えることが多かったのですが、なぜモヤモヤしていたのか、またどういうビジョンだと自分は共感できるのかを言語化してもらったような感覚です。

序章 ラディカル・プロダクト・シンキングとは何か

"プロダクト"は考え方・世界観であり、"ラディカル・プロダクト・シンキング"は態度であるという旨の記載がありました。

プロダクトを考え方と捉えると、ラディカル・プロダクト・シンキングが適用できる対象も形を持った製品だけではなくてあらゆる物事である、ということなので、この概念の可能性の大きさ・汎用性の高さを感じました。

第1部 イノベーションのための新しいマインドセット

第1章 ラディカル・プロダクト・シンキングが必要な理由

「長い時間をかけてイテレーティブを繰り返したところで、ビジョンに満ちたソリューションに出くわすことはない。」

リーンとアジャイルは目的地にたどり着くスピードは上げるが目的地は示さないとあった部分は、例えばアジャイル開発を導入してイテレーションを回していても全体的な計画が曖昧になってしまう、といった課題に対して「そもそもそういうもの」という解としてぴったりな表現かもしれません。

リーンだけでは片手落ちで、全方向に素早くても意味がないというのは『エッセンシャル思考』が示しているものとまさに共通する部分です。

リーンに方向づけを与えるためのラディカル・プロダクト・シンキングというのは概念の落とし所としてかなりしっくり来ました。

第2章 プロダクト病 ──優れたプロダクトが腐敗するとき

"プロダクト病"の各症状を紹介していますが、これはプロダクトがかかる病ではありながら、個人個人の人生にも当てはまる症例に思えました。序章で「プロダクトとは考え方」とありましたが、つまりはそのとおり、人生もプロダクトの一つと捉えられるのではということを考えました。

人生も優れたプロダクトを目指してプロダクトマネジメントができるはずですし、そこにラディカル・プロダクト・シンキングも適用できるのかもしれません。

またBER(ベルリン・ブランデンブルク国際空港)の失敗事例が紹介されていました。↓はまだ工事が続いている途中に書かれた記事ですが、大規模な失敗事例として純粋に面白いです。

第2部

第3章 ビジョン ──変化を想像する

この章では「ラディカル・ビジョンステートメント」と、そのために何をするかを示す「ビジョン進化ステートメント」が説明されていますが、前者はビジョンで後者はミッションと捉えられると理解しました。つまりこの2つがあればプロダクトの4階層のCoreであり世界観をつくる助けになるということ。

個人的に響いたのは以下です。

チームメンバーの全員が独自の言葉で同じビジョンを語れるようにするのが、ビジョンステートメントだ

細かい言い回しは個人個人で違ってもよくて、むしろそれぞれ個人が自分の言葉で語れるだけの熱量や当事者意識を当然持っていることが前提なのだと感心しました。

また何をしないかの指針としてもビジョンが有効というのは今までに考えたことがない視点でした。確かにこれが満たされていないと、いくらでもやるべきことがある状況の中で何をやらないかの判断が個人次第になってしまい、結果的に方向性を失ってしまう部分かと思います。

この章全体としては、ビジョンは企業体としてのありたい姿ではなくて、企業があることで実現する"世界の"「ありたい姿」であるべきということがはっきりと言語化されていて強く共感しました。(一般に広報されているのはプロダクトのビジョンと言うよりは企業のビジョンなので、そこの差は少し割り引いて考える必要があるとは思いますが。)

第4章 戦略 ──「なぜ」「どのように」行うか

ラディカルプロダクト戦略「RDCL(ラディカル)」についてと「RDCL戦略キャンバス」が説明されています。

まずは何よりもリアルペインポイントの発見・特定に尽きることが理解できました。

〜寄り道〜
発見の方法の詳細は別の本に譲っていました。とりあえず紹介されていたうち邦訳されている『ユーザーインタビューをはじめよう』は良さそうです。

『INSPIRED』の「製品の発見」以降の章も改めて読んでみます。

また「Visual guide to best books on Product Management」に従えば、『SPRINT 最速仕事術』 が良さそうです。

この章自体は戦略の話なので先程引用したプロダクトの4階層としてはWhyよりも下の階層にあたる部分ですが、ラディカル・ビジョンステートメント自体が問題を記載するものでもあるので(RDCLのR=リアル・ペインポイントと強く関連あり)やはりWhyを修正した結果Coreを修正するなど、こうして何度も行き来することになるんだと思いました。

第5章 優先順位づけ ──力のバランス

ビジョン負債という言葉が出てきます。エンジニア的視点で言えば、技術的負債が高まるところ=ビジョン的負債でもあるのかなと思いました。技術的負債が高まるとそのままデリバリーにも影響があるわけで、それはすなわちビジョンの実現における負債としてビジョン負債も高めているということかもしれません。

返済を見越して、いま「ビジョン負債を増やす行動をしている」自覚が大事そうですが、"プロダクトの中核に競合他社の技術やコンテンツやデータを利用する"など後から負債を返そうにも返しようがないものもありそうです。技術的負債よりもインパクトの強いものとして扱うべきだと思います。

この章としては「優先度フレームワーク」と「サバイバルステートメント」の説明がありましたが、いずれもそれに従うというよりは、個人のお互いの説明や議論や対話を促すことに焦点を当てているところが印象的でした。

第6章 実行と測定 ──さあ、始めよう!

OKRの悪影響について記載がありました。OKRをパフォーマンスと結び付けるべきではないというのは『Measure What Matters』にも書いてあります。

ただ実際問題目標管理とパフォーマンス評価を切り離すのは無理では?と思っていたところ、このラディカ本にも同様のことが書いてあったのでやはりそうだよなと共感した部分です。

ここのあたりは若干論旨を見失いかけましたが、自分は「OKRの代わりとして、あるいはOKRのO相当としてラディカル・プロダクト・ビジョンステートメントを置くとよい」と理解しました。
ラディカル・プロダクト・ビジョンステートメントただのビジョンとは違ってだいぶ詳細なので十分行動計画にしやすいはずです。

(そういう意味では個人単位でのOKRは微妙に組織にフィットしないケースも多いのかもしれません。結局はチームでの成果を見るべきで、ではそのチームの成果は何かというとビジョンステートメントにどれだけ近づいたかどうかでしかないわけですし)

第7章 文化 ──ラディカル・プロダクト・シンキングな組織

スーパーチキンを集めたチームの生産性が落ちる実験を引き合いに出し、スーパーマンがチームの集団的知性を下げることについて説明されていました。

『EMPOWERED』でも"優れたプロダクトチームは『普通の人々』で構成される"とありましたが、むしろ普通の個人たちだからこそより良いチームにつながるのかもしれません(少し考えただけでも、スーパーチキンがいないほうが心理的安全性は高そうな感じがあります)。このあたりは深堀りしたいところです。

社内の仕事そのものにもラディカルプロダクト戦略を適用する例が紹介されていましたが、これは色々応用できそうです。

なにか社内プロセス(エンジニア目線としてはソフトウェアプロセス)を改善しようとしたときにも、なんとなく流行っているからとか今風だからとやるのではなくて、リアルペインがあることが大事だというのは忘れずにいたいです。

第3部 世界を住みたい場所に変えるために

第8章 デジタル汚染 ──社会への巻き添え被害

インターネットによる「偽情報の広まり」が指摘されていましたが、ここ最近のAIの進化で話題が持ちきりなことを思うと、今後はAIによる「嘘情報の広まり」を実感することになる数年かもしれません。本書で言及されていた内容ではありませんが、知らず知らずのうちにGoogleに思考を汚染されていて、そのGoogle(検索結果)がAIに汚染されていくという今後の構図を思うと少し面白いです。実際にどうなるかわかりませんが。

第9章 倫理──ヒポクラテスの誓いとプロダクト

倫理の章。

結論として、ラディカル・プロダクト・シンキングは倫理面にも配慮した企業活動を行う助けになることが理解できました。

私たちは自分がつくるプロダクトの影響力を完全には理解していない。そのため、設計者につくったプロダクトに対する責任を負わせることもない。

自らの成果に責任をもたせるというのは『反脆弱性』の「身銭を切る」の章を思い出します。ある意味でプロダクト企業の創業者は人生を賭けてはいるので身銭を切ってはいるかもしれませんが、そもそもプロダクトの悪影響を問われることがないのであればそこには悪い意味での反脆弱性を持つ構図が生まれている気がします。

〜少し脱線〜
例えばAIの副作用としての悪影響が見えてくるのは数年後かもしれません。そのときの責任はAIにあるのかAI技術者にあるのかという論点もありますが、そもそもAIに責任があるとしてもAIは身銭を切ることもできない、AIがインチキを言ったとしてもAIは罰を受けないといった状況は、もはや企業の枠を超えてAI自体が反脆弱性を手にしてしまった時代とも言えるのかもしれません…なんてことを考えました。

終章 ラディカル・プロダクト・シンキングが世界を変える

ビジョンから考えることで、システムが備えるべきアーキテクチャ特性も決まってくるという事例がありました。ラディカル・プロダクト・シンキングはプロダクトの4階層のHowまでも場合によっては規定しうるのだと改めて再認識できました。

最後に

改めて考えると、ビジョンだけにとどまらずこれはプロダクトマネジメントど真ん中を貫く概念なのだと理解しました。

イテレーティブな開発自体もしっかりと実践してきたというわけでもないので、片手にイテレーティブ、片手にラディカル・ビジョンステートメントとどちらも実践しながら磨いていきたいです。

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