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当たり前を覆す


大晦日。25年間その日は必ず家族と一緒に過ごしていた。親が作ってくれた年越しそばやらなんやらを食べるのがいつものお約束だった。
大人になって、みんなは年越しを友達といたりパートナーといたりする人をちらほら見かける。
私には縁がないものだなと、私は人混み嫌いだしって勝手に苦手のレッテルをつけ、彼氏がいたとて年末は家族を優先した。
正直ここ最近の年末は葬式状態だった。
私的には。だけど。
家にいなければならない雰囲気、盛り上げ役と空気読み役をしていた。毎年この時期になると嫌なことがあって、自分がいないと多分ダメだなってHSPの勘でご機嫌取りをしてた。

「ぁあつまんねー大晦日。大晦日って感じしねぇ。テレビもつまんねぇ。」
「年末こんなんなら1人で過ごしたいもう疲れた」「私がいなきゃ親が悲しむ」

私が毎回思ってた言葉。考えすぎな私の過剰思考なんだろうけど。
今年もそうなんだろうなって思ってた。

年末も近くなってきたある日
「暇ー?みんなで年越ししよー」って友達から連絡が来た。

え?まじで?
私が?みんなと?家族以外で?年越しを?
頭がぐるぐる回ってしまった
2択だ。いくか。いかないか。

行きたい と 家族のこと
私が遊びに行っていいのかな、大丈夫かな。
年越し蕎麦作ってくれるのに悲しまないかな
長女もいないし、次女と親だけで大丈夫かなって
やはり他人のことばかり気にしてしまう。
友達も私がそこにいていいのか?っていう謎メンツにいる、ここは空気読んで断るか...って思ったりした。

正直に友達には私の夢が叶いそうって言った気がする。笑

迷いに迷ったけど考えすぎる自分の背中を
長女が「気にしないでいってきなよ」の一言でいくことを決意した。

当日本当に来るのかな、私がいていいのかなって思ったけどちゃんとお迎えも来てくれた。みんな揃ってた。
みんなで上野まで電車乗って、少しおなか減ったからって空いてる居酒屋に入って。
ここですらもう、夢が叶ってる。
「居酒屋いってお酒を飲みたい」
そんな単純な夢すらも成人して6年経っても叶えられなかった。
無事悪酔いせず、白桃サワー少しと梅酒をのんで顔真っ赤にして思い出話してそろそろ帰るかって
伝票みたらそんな頼んでないのにまぁ素晴らしい金額でいやぁおもしれぇ人生って思った。
これも経験だなって言って笑った。


その後に本題の年越し。お賽銭。 
浅草まで乗り継いで着いた頃にはだいぶ行列ができてて並ぶか並ばないかで悩んだけどせっかくだしもう並ぼうぜってなって並ぶことになった。
人。人。人。
頭の中は人酔いしそう、はぐれそう、女私だけで他の男友達は無駄に気を遣わせてないかとか色々考えたけど、はぐれないようにみんなで声かけてくれて並んでる最中にカウントダウンになって年越した。

無事投げ銭して、願い事何もいえなかったけど手を合わせて、鮎の塩焼きとたこ焼き食べて
夜中の都会を練り歩いた。
馬鹿でけぇ音のバイク、ビュンビュン通る車、都会独特のにおい、眩しいくらいにひかりまくる電光、見たことあるのにでけぇ〜っていって見上げてしまうスカイツリー。
都会に住むのをあこがれたけど、目の前に歩いている友達たちをみていたら地元の田舎も捨てたもんじゃねぇなって思ってしまった。

駅まで歩いて電車に揺られて、地元ついたの四時半。ぼったくられた居酒屋でまた笑って酔い倒れの愚痴をひたすら聞いてひとりひとり家へ送ってくれて「良いお年を〜ありがとう〜おやすみ〜」っていって最後私を送り届けてくれて家に帰った。

写真見て改めて謎メンだなーって思いながら
非日常の幸せを噛み締めてたら日が昇っていた。

もう疲れすぎたし色々もっとあって少し美化しすぎた記事だったけど、私は2022年の最後、今までで1番正月らしい濃い思い出になったなと思ってこの記事に残しておきます。
行ってよかった。自分の素直な気持ちで行きたいって言えてよかった。自分の当たり前を覆して新しいことができたことがよかった。

みなさま良いお年を



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