「○○のために」をやめる
サラリーマン生活を送り、五十代に突入した頃から退職後の生き方がとて
も気になりだした。そのせいか、定年後の生活を指南する本が目につきやす
くなり、色々読んでみた。その中で印象に残った「定年後」は次のようなも
のだった。
・働き続ける
・起業する
・ボランティア活動
・趣味を持つ
年金だけでは不足なので、定年延長したりアルバイトをしてお金を稼ぐ。
あるいは自分の得意を活かして起業する。
稼ぐことにこだわらなければ、ボランティア活動や趣味の世界がある。前
者は、社会貢献を実感したい欲求を満たしてくれるだろう。後者は、日々の
充実感や達成感を与えてくれるだろう。
退職前は、まあそうだろうなという感想しかなかった。稼ぐことを考える
とアルバイトや起業はすぐ思い浮かんだ。ボランティア活動をしていたし、
趣味はいくつか持っており、退職後も活かせると認識していた。
退職後、ふと思うことがあった。退職後何をするにせよ「○○のために」
という思いが高まってしまっては楽に生きられないだろうということだ。
ボランティア活動の憂鬱
細々とではあるが、退職後も個人レベルでボランティア活動を続けている
。一時期、活動に精神的負担を感じたことがある。やらねばと思うものの気
乗りしない。なぜなのだろうか。
ある時、ボランティア活動を社会貢献や自己実現のためだとの思いが強ま
っているのが原因だと思い至った。「○○のために」という思いが強くなる
と義務感が生じるだろうし、健康などが原因で続けられなくなったとき罪悪
感や劣等感に苛まれるだろう。そうならないためには、手助けするのが好き
だからやっているぐらいに思っているのがよいのではないか。
目標追求の罠
以前、『生きることが仕事』というエッセイを書いた。「生きるための仕
事」ではないのだ。タイトルに「○○のため」という言葉を入れるのを避け
たが、それには理由がある。
目標追求をやめた方が楽に生きられるとの思いからだ。「○○のために」
行動すると目標追求になりがちだと思う。目標に囚われやすくなり、固執し
てしまう。結果、周りが見えなくなり、自分が本当に求めるものが分からな
くなると思う。目標達成できないと劣等感にもつながるだろう。
サラリーマン時代を振り返る
会社では目標達成が求められていた。自分の目標を設定し達成する。それ
が評価につながっていた。
目標達成のメリットは、仕事に対するモチベーションが上がる、自信がつ
くなどがある。しかし、達成できなければ、モチベーション低下や自信喪失
をまねくだろう。
サラリーマン生活が長いほど、目標を追求することに慣れてしまい、その
デメリットに目を向けられなくなる気がする。
リラックスして生きるために
退職後、アルバイトするにせよ起業するにせよ「お金のために」との思い
が強くなると肩の力を抜いて生きるのが難しくなるだろう。ボランティア活
動は「社会貢献のために」だけやると、趣味は「生きがいのために」だけや
ると気楽に生きるのが難しくなるだろう。何事もほどほどが一番だと思う。
「○○のために」という思いは執着心を生みやすい。執着心が強いと生き
づらさを感じやすくなると思う。
「友人のために」「子供のために」「健康のために」等々沢山の「○○の
ために」が思う浮かぶだろう。その時は立ち止まり、一考してみた方が良い
かもしれない。
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