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生きることが仕事

「仕事」

 長いこと考えていた「仕事とは何か」に、サラリーマン生活が終わりに近
づいたころ、結論を出した。それは「生きることが仕事」だと。

 「仕事」について考えていたのは、定年後を見据えてのこと。定年後、す
っぽり抜ける「仕事」の代わりはあるのか。不安軽減のヒントを見つけたか
った。生活の大半を占める仕事。そんな足元を見つめるが最初だった。

「お金」

 五十代に入ったころには最初の志は薄れ、稼ぐことが仕事という思いが支
配的だった。定年後、収入は途絶える。「稼いでいない自分」。つまり仕事
をしていないことになるのか。

 家事、育児、ボランティアなどは、一般的にお金にならないと知ってはい
た。しかし、それを再認識したときハッとした。稼げないが仕事と言えるも
のがあるのだ。

会社生活での囚われ

 定年後、人によっては、罪悪感や劣等感にさいなまれたり無気力になるこ
とがある。抱き続けると日常生活に支障をきたす危険がある、と言われる。
なぜ気持ちが落ち込むかというと、肩書を失うことによって「社会に役立っ
ていない」「怠けている」と自分で思ってしまうからだろう。

 肩書には固執していなかったが、それによって自分の価値が社会に認めら
れているという感覚はあった。定年によって社会から切り離され自分の価値
が分からなくなる。厄介なことだ。

 生活の多くの時間を費やしてこその仕事。サラリーマン生活は、そんな勤
労観を身に染み込ませることになると思う。世間の目がそれを助けていると
いう面もあるだろう。

残る不安感

 三十代から仕事の合間を縫ってボランティア活動を続けていた。お金には
ならないが、定年後も続けることで自分の価値を感じることができるだろう
。そう考えていたが、もやもやしたものは残っていた。

見えてきた「働く」ということ

 お金のことは脇に置く。すると先述したように色々と「仕事」が見えてき
た。働くことは仕事だ。
 さらに、社会に自分の価値を問うことをやめる。するともっと身近なとこ
ろに仕事があることが分かる。料理、掃除、洗濯、ゴミ出し、庭の手入れ、
等々。働くことに変わりない。しかも、生活の大半を占め、かつ生活に密着
している。
 そう考えたら、ボランティア活動を続けながらも持っていたもやもや感の
正体に思い至った。活動の頻度は、年平均で数回というのがいいところだっ
た。

辿り着いた「仕事」

 生きていくためには日々働かなければならない。その意味を長いサラリー
マン生活が矮小化していたようだ。
 「生きることが仕事」だ。そう考えたほうが、少なくとも定年後は楽に生
きられると思う。

「怪訝な顔」

 「仕事」について語り合っていた席上、「生きることが仕事」と発言した
ら目の前の相手は怪訝な顔をした。そんなものだろう。
 退職直後、「今何しているの?」と聞かれた。劣等感を感じてしまいなが
ら「何もしていない」と答えたことを憶えている。頭での理解があっても、
腑に落ちてるとは限らない。「生きることが仕事」との自信を得たのは退職
後しばらくしてからだ。

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