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徒然雲 貴き泉と東の杜と【泉涌寺境内】京都あるき

西国三十三所観音霊場巡礼に今熊野観音寺を訪れた昨日、
京阪電車の東福寺駅で下車したのだが
この駅でも何人もの外国人観光客の人が降りて、みなさんどこへ行くのかな〜?
東福寺かしら?
と思っていたら、どうやら目的地は東福寺前のバス停だった。
路線バスに乗ってどこかへ行くよう。

スマホのナビやガイドで便利に旅できる時代、バスでも電車でもうまく活用しているのを見かける。
道を聞かれることもあまりなくなった。

そんな時代でも意外とよく見かけるのが、
かなり分厚いガイドブックを持って歩く海外からの旅行者。
日本の『地球の歩き方』のようなものなのだろうか?!
ヨーロッパ系の人に多いような気がする。

辞書ほどある
それにしても・・・足、なが!


最近よく来る京都なので、外国人観光客の多さにも慣れてきた・・・



そんなみなさんの流れとは外れて、山に向かって歩き泉涌寺の境内に入る。


東山の一角の広大な境内


参道


境内には数多くの塔頭(たっちゅう/泉涌寺に属する寺院)が建ち並ぶ。

まず現れる塔頭が『戒光寺』(正式には戒光律寺)
真言宗泉涌寺派の準別格本山


門がまえはそんなに大きくはないが、
御本尊の釈迦如来様は丈六と。
丈六』というのは一丈六尺で約4.8m、台座から背光まで合わせると約10m
という大きさ。
これは京都でも最大級とのこと。

戒光寺


説明を見るまで丈六の意味がわからなかったので、実際に本堂にて拝見した時は
その大きさに驚き、かなり迫力のある見事な仏様だった。
まさかこのお堂の中に、これだけの規模の釈迦如来が立っていらっしゃるとは
想像できなかった。

この釈迦如来像は仏師・運慶湛慶の父子による鎌倉時代のもの。


残念ながら、本堂内は撮影できないので外からちょこっと。
これだけでもその大きさと迫力は見て取れる。

丈六釈迦如来
重文



弁財天社
浪漫電話
と書いてある
鎌倉時代につながる?


思いがけず、素晴らしい仏様の姿を拝めて幸先よくスタート。

参道を進むと、今熊野観音寺が左手に。




そのまま進むと真言宗泉涌寺派の総本山の『泉涌寺』(せんにゅうじ)

名前はよく聞いたことあったが参詣は初めて。


大門
重文

御寺(みてら)と称するのは、皇室の菩提寺・香華院であるから。

大門(総門)をくぐり広い参道「降り参道」の正面に仏殿




重厚感のある一重入母屋造り。

仏殿には現在・過去・未来をあらわす阿弥陀・釈迦・弥勒(運慶作といわれている)の三尊仏が祀られている。


中は高い天井に龍の墨絵が描かれていた「雲龍図狩野山雪








龍雲図(狩野山雪筆)もかっこよく素晴らしかったが、

ワタシは裏壁の『白衣観音』(びゃくえんかんのんず)にシビレた!

狩野探幽の筆によるもので
裏壁一面に描かれた、墨の濃淡で浮き上がる観音様の美しさ優雅さ荘厳さ・・・

久々に絵画で感動した。
墨絵の繊細なのに大胆、墨の濃淡に浮かび上がる画がなんとも生き生きと映える。
色がなくても鮮やかに見えるのは・・・

また見に行きたい。すぐ行きたい!
そう思わせられるワタシの『スキ』な仏画になった。




伽藍の舎利殿や、皇室ゆかりの霊明殿、などの建物の趣あるディテールが美しい。


舎利殿



霊明殿



裏側?
も美しい


スキ


みごと




泉涌寺の名の由来となった、泉涌水屋形

泉水は今も尽きることなく湧き出でている。

泉涌水屋形




経蔵の扉


経蔵の周りの杜に


どら焼きじゃないよ




月輪山の麓に広々と、そしてどっしりと構えた伽藍だが
境内全体が山の一部であることを感じるとともに、
気高さと威厳があるお寺だった。

東福寺も好きなお寺だが、この泉涌寺境内もとても好きになった。

紅葉が美しいということは・・・
ワタシが一番好きな新緑、青もみじが美しということ!
その時期にまた訪れよう。



そんなことを思いながら降り参道を上っていたら、
かわいい集団がありんこの行列のように現れた(笑)
お寺の幼稚園の記念撮影とのこと。
仏殿バックに・・・

仏殿とリトル信者




家に戻ってジャケットのポケットからゴロゴロ出てきた
経蔵の杜で拾ったコたち。

子供の頃、どんぐりでえらい目にあった・・・
缶に入れてあったどんぐりから、うじゃうじゃ虫が出てきた。


ミニどんぐり




10月も終わろうとする秋晴れの京都を歩いた一日。


まだつづきが・・・


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